百合の烙印(2)
シャルルは屋敷内をあちこち迷子になったあげく、女中部屋に隠れていた若い下女をようやく発見して、毛布を貰った。下女は、屈強な銃士たちがいつもの倍以上の人数で屋敷内をうろうろしていることに怯え、部屋に引きこもっていたのである。
ポールとコンスタンスのいる部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、何か揉めているような話し声が聞こえてきた。ドアがほんの少し開いている小部屋からだ。
「おい、さすがにあれは言いすぎだったんじゃないのか?」
「しかし、ポールがジュサックたちとの決闘の場から離脱して、自分の下宿まで逃げたのは事実だ。狡猾ポールは、アドルフたちを見殺しにしたんだぞ」
「だからといって、『親友殺し』と罵ることはないだろう。ポールの奴、立ち直れなくなるぜ」
「あんな薄情者、銃士隊を辞めればいいんだ」
自分の兄の話だと知ったシャルルは、ドアの隙間から覗き込んで会話を盗み聞きしていたが、最後まで我慢して聞いていられなかった。
「兄貴の悪口はやめてもらおうか!」
シャルルはズカズカと部屋に入るなり、ポールを貶していた銃士の横面を思い切り殴ったのである。銃士は、よろめいて尻餅をついた。
「兄貴とアドルフたちの友情にケチをつけるな」
そう言い残し、シャルルは部屋を出て行った。いつも理不尽な命令をポールにされて不満を抱いていたシャルルだが、他人に身内を悪く言われると、腹立たしいのだ。
畜生、畜生と呟き、シャルルは足早に廊下を行く。ついさっきまで抱いていた、愛する女に心の支えになって欲しいだとか心細いだとかいう女々しい感情もすっかり忘れ、兄のため怒りに身を震わせた。一度に二つ以上のことは考えていられない性格なのである。
ポールがなぜあんなに元気が無いのかが分かった。ポールとアドルフ、アラン、ボドワンは永遠の友情を誓ったのだ。それなのに、彼らの絆をよく知りもしない第三者から「親友殺し」などと言われて、心の弱いポールは落ち込んでいるのだろう。
(早く戻って、弟の俺が元気づけてやろう)
何だかんだと言っても、家族思いのシャルルは長兄のことが大事なのである。
部屋に戻ると、見知らぬ女がいた。コンスタンスは外套を着て、外出の準備をしている。
「どうしたの、コンスタンス」
「王妃様のお呼び出しなの。仮宮殿に行ってくるわ」
どうやら、見知らぬ女はアンヌ王妃の使者らしい。シャルルは驚いて言った。
「こんな夜更けに? 夜道は危ないから、俺が送って行くよ」
「迎えの馬車が屋敷の外で停まっているから大丈夫よ。ポール、ごめんね。行ってきます」
「ああ。気をつけて。さっきは……ありがとう」
コンスタンスは、王妃の使者とともに、あたふたと出て行き、部屋にはダルタニャン兄弟だけが残った。シャルルは、椅子にもたれかかっているポールに、毛布をかけてやる。
しばし、シャルルは兄をどんな言葉で力づけようかと悩み、無言でいたが、自分はニコラのように口達者ではないのだから、下手に遠まわしな言い方をせずに直球でいこうと考えた。
「兄貴は、逃げたんじゃない」
「どうした、急に」
「兄貴は、俺たちに危険を知らせるために下宿まで走ったんだ。兄貴が来てくれなかったら、ジュサックたちに下宿を急襲されて、いまごろ俺はどうなっていたか分からない」
「うん。分かっている。コンスタンスにもそう言ってもらって、少し気持ちが楽になったところなんだ」
「そうか。コンスタンスが」
よく見ると、シャルルが毛布を取りに部屋を出て行く前よりも、ポールの表情が和らいでいた。血色も少しよくなっている。シャルルがいない間に、コンスタンスがポールを慰めてくれたのだろう。
「コンスタンスは、優しい子だな」
「ああ。どことなく、故郷の母さんに似ている」
ポールは、自分の右の手のひらを左手でぎゅっと握り締めた。まるで、愛しい人の残り香が染みた衣服を抱きしめるような、そんな仕草だった。シャルルは、兄がこんなにも柔らかな表情をしているのを生まれて初めて見た。なぜだか知らないが、ほんの一瞬、シャルルは言い表せないような不安に襲われた。
「シャルル。もう寝ようか」
「……あ、うん。……兄貴、あのさ」
「どうした?」
「兄貴はさっきコンスタンスと……」
「ん?」
「……いや、何でもないよ。お休み」
きっと考えすぎだ。優しいコンスタンスは、ただ兄貴を慰めただけに決まっている。疲れているから、余計なことを考えてしまうんだ。そう考えながら、シャルルはゴロリと横になった。ここでもシャルルの寝床は椅子でつくったベッドである。
(コンスタンス…………)
コンスタンスはいなくなったというのに、やけに彼女の匂いが部屋に残っている。切なくなったシャルルは、天井を見つめながら、
(今夜こそコンスタンスの夢が見たい……)
と願った。いままでに何度もそう祈り、叶わなかったシャルルの願いである。
だが、やはり夢に現れたのはコンスタンスではなく、アドルフ、アラン、ボドワンの死体を壊れた人形のように重ねて、その上に座っているジュサックだった。殺人狂は薄笑いを浮かべて、シャルルを見つめていた。
アンヌ王妃が、真夜中にコンスタンスを呼び出したのは、シャルロットが急に発熱したからだった。
「コンスタンス。シャルロットは死なないわよね? 死なせたら、ダメよ」
子どもを育てた経験の無い三十路前の王妃は、ただおろおろするばかりだ。十五歳のコンスタンスのほうが、よほどしっかりしている。
「ただの風邪だと思います。医者に診てもらったほうが、安心ではありますが……」
シャルロットは、国王ルイ十三世には秘密の存在である。宮廷の侍医を呼んだり、民間の医者を仮宮殿に招いたりしたら、国王にバッキンガム公爵の私生児が自分の膝元にいることが知られてしまう恐れがあるのだ。いくら愛薄い夫婦関係とはいえ、妻が浮気相手の娘を我が家に匿っていると知って、激怒せぬ夫がいるだろうか。
「今夜は私が徹夜で看病しますので、王妃様はお休みください」
「絶対に死なせないでね。きっとよ」
「はい。力を尽くします」
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