剣戟(1)

「よくやった! さすがは俺の弟だ!」


 馬五頭と三エキュの金をポールに見せると、現金な兄はシャルルを抱擁して褒めそやした。そして、翌日、自分で馬市場に行って、一頭を残して四頭の馬を金に換えてしまったのである。乗るのは一頭だけなのだし、五頭も馬を養う金も無い。ならば、売ってやれということらしい。


 どれだけの金額が手に入ったのかは、シャルルは教えてもらえなかったが、家賃の心配を数ヶ月はしなくてもよくなったことは確かだった。


「今日からは堂々と俺の部屋にいていいぜ。友だちができたのなら、部屋に招いたらどうだ。近所迷惑にならない程度に騒ぐんだぞ」


 というわけで、相変わらず椅子でつくったベッドで寝てはいるが、シャルルの生活はかなり改善された。下宿屋の大家にあいさつをし、シャルルは晴れてフォッソワイユール街の正式な住人となったのである。


 馬市場での騒動があってから二日後、ポールが不在の部屋にアルマンとニコラを招待したのも、そういった経緯からだった。


 アルマンは同じ銃士隊志望なのだから、シャルルとつるんでも不自然ではない。しかし、パリ高等法院の弁護士である法服貴族ニコラが、粗末な銃士の部屋で牛乳をちびちび飲んでいる光景は少し滑稽だった。


 いまは昼食どきである。三人は円卓を囲んで、ニコラが注文したという仕出屋の料理が来るのを待っていた。だが、さっきからどうにも微妙な空気だ。


 ニコラのことが気に入らないアルマンは、ずっとむっつりとしている。シャルルが、アルマンとニコラを同等の友人として扱っていることが不満らしい。


 物事に対してあまり気が利く人間とはいえないシャルルだが、こういった人間関係の機微には聡いところがある。シャルルは、アルマンとニコラに語りかけた。


「俺はアルマンと友だちになりたいし、同じようにニコラとも友だちになりたいと思っているんだ」

「いきなり何の話さ」


 牛乳がまずいらしく、ニコラが顔をしかめながら聞いた。アルマンは黙ってシャルルを見ている。


「アルマンは冷静沈着で、俺には無い貴族としての気品がある。志も高い。ニコラは驚くほど頭の回転が速く、弁舌豊かなうえに博識だ。二人とも俺より人物として優れている。だから、この賢き友たちから多くのことを学びたいと思っている」


 パリに来た初日に、口八丁のジャックの姦計によって牢獄に入れられたシャルルは、自分の未熟さを痛感した。おのれをもっと鍛えるためには、アルマンやニコラといった自分とは別の生き方や考え方をする人間と交友を結び、彼らから自分に無いものを学び取ることが大切だとシャルルは考えたのだ。


「褒めすぎだ。私なんて、まだまだ頼りないひよっこ貴族だよ」


 そう謙遜するアルマンだが、声がうわずっている。シャルルにべた褒めされて、照れているのだ。


「僕は気に入らないな」


 ニコラは不愉快だと言わんばかりに、牛乳の入ったコップをドンと円卓に置いた。


「アルマン君がどれだけの大志を抱いているのかは知らないが、僕にも大きな野心がある。シャルル君、さっきの人物評を訂正してくれ。ニコラ・フーケも志の高い男だと」


 どうやら、シャルルが、アルマンにだけ「志が高い」という評価を下したことに対して不満らしい。ニコラがムキになって言うものだから、シャルルも若き弁護士の野心とやらに興味を持った。


「訂正する前に聞かせてもらおうじゃないか。ニコラの大志が何なのか。ちなみに、アルマンの志というのは……」

「貴族の鑑になることだ」


 アルマンが顔を赤くして、力強い言葉で言った。これは恥ずかしがって顔を紅潮したのではなく、アルマンはおのれの志を語るときに必要以上に力む癖があるのだ。


「貴族の鑑? やけに漠然とした志じゃないか。それでは、いつ目標を達成したのか分からないぞ」

「志とは、人生が終わるときに完結するものだ。私は死ぬ瞬間まで、貴族の鑑たらんと努力し続ける」

「僕の志はもっと単純明快だ。すなわち、この国の宰相になること」


 これにはシャルルとアルマンも顔を見合わせて驚いた。

 ニコラは、いまのリシュリュー枢機卿と同じ地位、フランス王国という大巨船の舵取りを担う宰相を目指すというのだ。


「君たち、何をそんなにびっくりする必要がある。現宰相のリシュリュー枢機卿とて、おぎゃぁと生まれた瞬間から宰相だったわけではないんだぜ。


 かの御仁はボワトゥー地方(フランス西部)の中流貴族の出身で、五歳で父親を亡くし、俺たちぐらいの年ごろには軍人を目指していたらしい。後に転向して聖職者となった。そして、マリー太后に見出され、初めて宮廷に出仕したわけだ。


 いま僕たちが不可能だと思っていることでも、自分の才覚と努力によって何とでも可能に変えられるのさ。十五歳のニコラ・フーケが一介の弁護士にすぎなくても、三十年後、四十五歳のニコラ・フーケが大宰相である未来は大いにありえる」


「なるほど! ニコラの志は大きい!」


 感激したシャルルが椅子から立ち上がり、拍手喝采した。フフンとニコラが満足そうに笑う。アルマンは、この弁護士はまたペテンを言っているのではないか、とまだ半信半疑のようだった。


「やはり、君たち二人とはぜひとも親友になりたい。そうだ、兄貴がアドルフたちと交わしたように、俺たちも永遠の友情を誓う乾杯をやろう!」


 シャルルは喜々として自分のコップをつかみ、天高く掲げた。


「ここに俺たちの友情を誓う! かんぱ……」

「おい、待て、やめろ」


 ニコラがぐいっとシャルルの腕をつかんで制止する。


「何だよ。俺と友情を誓うのが嫌なのか?」

「嫌だね。こんなくそまずい牛乳で誓うなんて」


 シャルルが友人二人に出した飲み物をニコラがあまりにも顔をしかめてけなすので、アルマンも無言のまま試しに牛乳を飲んでみた。そして、吹いた。


「シャルル……。この牛乳、何だかすごく水っぽいんだが……」

「え? 売ってくれた牛乳屋の姉さんは、とっても新鮮な牛乳だと言っていたのに……」

「気をつけろ。パリの牛乳屋は、たまに牛乳に水を混ぜる。これはパリ市民の常識だ」


 シャルルは、新しいパリの情報をニコラから教わったのであった。

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