三人の十五歳(5)

「そ、そんな馬鹿な。ただの田舎あがりのガキだと思っていたのに、あんた何者だ」

「シャルル・ド・バツ・カステルモール改め、シャルル・ダルタニャン。さあ、俺から盗んだ物を全部返してもらおうか」


 シャルルがベキボキと拳を鳴らして、ジャックに詰め寄る。「ひ、ひぃぃ!」と惨めにもコソ泥は怯えて後ずさり、自分の荷物袋からシャルルが見覚えのある小さな壷を取り出した。この壷の中身は母フランソワーズが調合してくれた膏薬である。


「よし、他の物も返せ」

「な、無い。十エキュの金は全部散財しちまった。手紙やら巻物はちり紙に使って……」

「トレヴィル殿への手紙と我が家の家訓状をちり紙に? 何てことを!」


 字が読めないジャックにとって、どんな貴重な書物や文書も、鼻水をかんだり、尻を拭いたりするための道具にすぎないのだった。


 シャルルはがっくりと膝をつき、「ああ! 万事休すだ!」と嘆き叫んだ。父から預かったトレヴィル殿への紹介状はちり紙となって、すでに失われてしまった。トレヴィル殿との約束は果たせず、これで銃士隊への道がまた一歩遠のいたのである。


「そんなに貴重なものだったのか?」


 何にでも首を突っ込みたがるニコラがシャルルに尋ねると、大いに落胆している最中のガスコンの少年は、力無く頷いた。


「ふうむ。では、その賠償として、この泥棒が売り物にしていた馬たちを君がもらってやればいい」


 ニコラがニッと笑い、ジャックが売りさばこうとしていた馬五頭を指差した。


「みんなノルマンディー産の馬だな。身体もどっしり大きいし、いかにも軍馬向きだ」

「待て、待て。この男は泥棒なのだろ? 我々はこいつを捕まえて、盗品の馬はお役人さんに押収されないといけないのでは?」


 不正を嫌うアルマンが、慌ててニコラを止めた。しかし、ニコラは「それでは面白く無いよ」と、まるで悪戯を注意されて駄々をこねる悪ガキのように口を尖らせ、聞く耳を持たない。


「ふん縛る前に、このおっさんと真っ当な取引をして購入すれば、問題は無いさ」


 アルマンが呆れ、シャルルが呆然としている中、ニコラは泥棒ジャックに話しかけた。


「口八丁のジャックさん。この馬、全部でいくらだい」

「え……? よ、四百ピストール(十リーヴルで一ピストール)だが」

「ふん。ただで手に入れた盗品のくせして、高いではないか。よし、全てシャルル・ダルタニャン君がお買い上げだ。お代はジャックさんがシャルル君から盗った十エキュと、ちり紙にしてしまった手紙、巻物の代償としてチャラにしようじゃないか」

「ば、馬鹿な! ただの紙切れにそんな価値があるわけがない!」

「ジャックさん。僕はシャルル君の友だちなんだ。だから、あの手紙と家訓状の価値をよく知っている。あなたがおそらく鼻をかんで捨てたであろう手紙は、実はシャルル君の父君が大貴族から購入した別荘の権利書で、最低でも一万ピストールはする。そして、巻物はシャルル君の一族が先祖代々守ってきた由緒正しい家訓状で、これまた五千ピストールは下らない価値ある物だったのさ。ジャックさん、あなたはあわせて一万五千ピストールの金をシャルル君に償う責任がある」

「い、一万五千ピストール!?」


 ジャックとシャルルが同時に叫んだ。ニコラはさっとシャルルの口を塞ぎ、ニンマリとした笑みのまま片目をまばたかせる。黙って僕に任せろ、ということらしい。


「口八丁のジャックさん。あなたはそんな大金を払うことなどできないでしょう。だから、四百ピストールの馬五頭を無料でシャルル君に渡しなさい。そうすれば、牢獄に入れられたとき、あなたの罪が少しでも軽くなるように僕が弁護してあげよう。僕はこう見えても弁護士なんだ」


 ニコラの弁舌はまさに立て板に水で、しかも、彼の言葉にはひとかけらも誠意がこめられていないというのに、この若い弁護士の言っていることは確かに間違いないと思わせる不思議な説得力があった。


 舌先三寸で人々を騙してきたジャックだが、因果応報、自分よりも上の口達者によってついに丸め込まれてしまったのである。ニコラの言うとおりにしないと、とても恐ろしい目に遭うような気がしたのだ。


「わ、分かった。本当に儂を弁護してくれるのだろうな」

「もちろんさ、ジャックさん。あなたの正式な姓名は何だい?」

「ジャック・ミッシェル・ボナシュー」

「僕の名はナルシス・ジャカールだ。裁判で困ったことがあれば、いつでもジャカール弁護士を頼ってくれ」


 しれっと偽名を言ったニコラはジャックの懐に手を突っ込み、ぼろぼろの財布を取り出した。中身を確認すると、五エキュある。シャルルには全額使い果たしたと言っていたが、実は半分残っていたのだ。


「こいつは弁護士費用として頂いておくよ」


 ジャックは狐につままれたような顔をして、口をあんぐり、ニコラを見つめるしかなかった。そして、ほどなくして、騒ぎを聞いて駆けつけたアドルフ、アラン、ボドワンら銃士三人組によってジャックは捕縛されたのである。


 小馬を売るために市場に来たはずなのに、シャルルはいまノルマンディー産の馬を五頭手に入れていた。


「俺には、いったい何がどうしてこうなったのか、まったく訳が分からない」

「君が十二エキュを受け取らないから、その代わりに上等な馬を入手してあげただけさ」

「ニコラ。君は弁護士ではなく、詐欺師だろ」


 飲み込みが悪いシャルルが困惑し、ペテン師まがいのニコラが笑い、生真面目なアルマンがため息をついた。この十五歳の少年三人の出会いが、運命的なものであることを当の彼らすらまだ気がつかないのであった。







 馬市場の雑踏にまぎれ、シャルルたちをじっと凝視する男がいた。

 黒マントの男、ロシュフォールである。


 この一週間、ロシュフォールは護衛士たちにシャルルの行方を捜させていたのだが、ド・バツ・カステルモールという姓の少年がパリのどこにいるかという情報だけでなく、近衛銃士隊のトレヴィルと接触したという情報も入手できずにいたのである。


「ようやく見つけたぞ。ダルタニャンなどと姓を変えていたのか。おかげで捜すのに手間がかかったわ」


 ロシュフォールはフンと鼻を鳴らし、背後に控える一人の護衛士に命令した。


「あのガスコーニュ訛りの子どもをプチ・リュクサンブールまで連行してこい。まだガキだが、剣の腕前は恐ろしく強い。油断せず、必ず数人がかりでやれ。殺さなければ、多少傷つけても構わない」

「ロシュフォール伯爵が利き腕をやられるぐらいですからな」


 クククと品なく笑う、その護衛士の名はジュサック。

 リシュリュー枢機卿に腕を買われて護衛隊に入隊した屈強の剣士である。根っからの喧嘩師で、護衛隊と銃士隊の闘争があるときは、その場には必ずジュサックがいた。一度剣を抜けば、相手がピクリとも動かなくなるまで攻撃をやめない残虐な男だ。彼によって命を失った銃士は両手では数え切れない。死人に口無しで、「銃士隊から斬りかかってきたのです」と正当防衛を訴えて、いままで一度も罰せられたことが無いのである。


(シャルル・ダルタニャン……。五年前、俺が殺し損ねたポール・ダルタニャンと同じ姓だ。ふふ、これは久し振りに面白いことになりそうだな)


 殺してはならないという命令は不満だったが、あの少年をどう痛めつけてやろうかと考えるだけで、悪魔の心を持つジュサックは深い悦楽に酩酊するのであった。

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