三人の十五歳(1)
「シャルル。ちょっとお使いに行って来い」
朝食中、ポールがシャルルにそう言った。
兄と暮らすようになって六日目になる。シャルルはひどく窮屈な生活を強いられていた。ポールが銃士隊の勤めで留守にしている昼間、部屋の中で物音ひとつ立てずにじっとしていなければならなかったのである。もちろん大家に見つからないためだ。
シャルルは、銃士隊の見習いにすらなれていない。生活費の一部も出せない無収入の半人前以下だ。だから、養ってくれている兄に文句は言えないのだ。
しかし、「どこにも出歩くな」というポールの命令には、シャルルも困惑した。パリに来ていきなり牢獄に入れられた、世間知らずな弟のことを兄は信用していないのである。
だが、シャルルには、口八丁のジャックを捕まえて、父から預かった紹介状を取り戻すというトレヴィルとの約束があるのだ。下宿屋から一歩も外に出られなかったら、あの泥棒を捜すこともできないではないか。それに、コンスタンスとも会えない……。
そんな鬱屈とした日々が続いたが、兄の今朝の一言により、シャルルはようやく外出できると大喜びした。しかし、すぐに浮きうきとした気分は雲散霧消することになる。
「ロシナンテを売ってこい」
「えぇぇ……」
トレヴィル邸で言っていたことは、やはり冗談ではなかったらしい。これまで兄の命令に従い続けていたシャルルだが、これには反対した。
「確かにロシナンテは賢くない馬だが、昔から家で育ててきた家族じゃないか。売っちまうのは可哀想だろう」
「この間のイタリア遠征で、俺の馬が足を折って、死んじまったんだ。次に戦争があったとき、ロシナンテみたいな駄馬に乗って戦場に出てみろ。フランス軍の戦死者、記念すべき第一号になっちまうぜ。役に立たない馬は売って、たくましい軍馬を買いたいんだ」
「兄貴が故郷を出るときに、父ちゃんからもらった馬、死んだのか。可哀想に」
「先月に死んだのはパリに来て二代目の馬だ。最初の馬は五年前に死んだよ。王妃様の使いで、イングランドに渡ろうとしたときにな」
パリに来たばかりのポールは、銃士アドルフ、アラン、ボドワンたちとともに、アンヌ王妃の名誉を守るためにイングランドに渡ってある使命を果たしたのだという。そのとき、リシュリュー枢機卿の手の者に狙撃されて、ポールの愛馬は被弾して死んだ。
「それで、命からがら使いを果たして戻って来た俺たちに、王妃様はどんなご褒美をくれたと思う?」
「さあ?」
「『ご苦労様』の一言さ! まったく、王族はケチだよ! 頭にきた俺は、王妃様の手にキスをしてやったのさ」
「兄貴だったのか……」
コンスタンスが言っていた、王妃様に許しも無くキスをした無礼者とは自分の兄だったと知って、やはり俺たち兄弟は無作法な似た者同士だとシャルルは内心ため息をついた。
(兄貴のせいで、王妃様は、手柄を立てた者にはキスをさせてやれば喜ぶと思うようになったのだろうか)
一週間前のアンヌ王妃とのやりとりを回想し、また、コンスタンスの手にキスをさせられそうになったことを思い出して、シャルルは顔を赤らめた。
「というわけで、ロシナンテを売って来い。その金で、もっといい馬を買う」
「いや、ロシナンテは高く売れないはず……」
「あいつ、見た目だけは珍しい毛並みをしているから、物好きな奴が高値で買ってくれるかも知れない。俺は仕事で忙しいから、ちゃんと馬市場まで行ってロシナンテを売るんだぞ。売れるまで、帰ってきたらダメだ」
シャルルは負けん気が強くて、喧嘩っ早い少年だ。しかし、どうにも長兄のポールには頭が上がらない。幼いころに喧嘩を挑んで、ボコスカにやられたときの記憶がそうさせているのだろうか。いま剣の試合をすれば、ポールに勝つ自信はあるというのに。
トレヴィル邸の厩舎でロシナンテと一週間ぶりに再会したシャルルは、
「お前と会うのも、今日で最後か……」
と、しょんぼりと呟いた。ポールがロシナンテを嫌がったため、ずっとロシナンテをここに置き去りにしていたのだ。
「許せ、ロシナンテ」
「シャルルさん、どうかしたの?」
後ろからコンスタンスの声がして、シャルルは驚いて振り返る。
コンスタンスは、いつもの穏やかな笑みで「おはよう」とシャルルにあいさつした。シャルルも緊張しながら「おはよう」と笑顔で返す。
だが、シャルルの笑顔はすぐにひきつってしまった。コンスタンスの後ろにはシャルルと同い年ぐらいに見える黒髪の少年がいて、ロシナンテの黄色の毛並みを珍しそうに見ていたのである。
(何だ、こいつ。コンスタンスとぴったりいやがって)
シャルルはギロリと少年を睨んだ。少年のほうもその凶暴な視線に気がついたらしく、シャルルと向き合う。
「こんにちは。私はガスコーニュの産、アルマン・ド・シレーグ・ダトス・ドートヴィエイユといいます。当年で十五歳になります。銃士隊に入るべく、上京して来ました。ついさっき、トレヴィル殿にあいさつしてきたところなのです」
シャルルは面食らった。少年はシャルルに睨まれたというのに、とても丁寧なあいさつをしたからだ。ガスコーニュ出身というが、まったく訛りがない。物腰も落ち着いていて、田舎貴族の子というよりは、名門貴族の貴公子の風格がある。
(あ、あるまん・ど・しれーぐ・だと……?)
困ったことに、名前が長すぎて覚えられない。これではあまりにも相手に対して失礼だと、シャルルは慌てた。黒髪の少年はシャルルの表情からおおかたのことを察したらしく、
「アルマン・ド・シレーグ・ダトス・ドートヴィエイユです。アルマンと呼んでください」
と、もう一度自己紹介をしてくれた。シャルルと同年だが、アルマンのほうがよほど大人である。シャルルは、先ほどまでの悪態を改めて、アルマンと握手をした。
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