ピアノと私
有難いことに、子どもの頃はずいぶんと習い事をさせてもらった。
エレクトーン、ピアノ、そろばん、英会話、バイオリン、学習塾…
とりわけピアノは、小学1年生から高校卒業まで続けた。週1回のレッスンに加え、月に1度は某大学の准教授が指導してくださった。母の期待と先生の熱意、コンクールのプレッシャーに、時折窒息しそうになりながら、よくもまあ続けたものだと思う。27年の人生で、長く続けたことといえば、ピアノくらいだ。
家にあったアップライトピアノは、数年後、ど田舎の一般家庭には珍しいグランドピアノになった。
当時ピアノを習っている同級生も少なく(そもそも田舎なので母数が小さい)、合唱はアカペラでない限り、専ら伴奏だった。
ピアノは好きだったし、弾ける曲が増えるのは素直に嬉しかった。
でも地道な基礎練習というか、そういった類はあまり好きではなかった。ハノンの途中で何度も離席する私をみて、家族は飽きっぽいと呆れていた。
基礎もそこそこに、好きな曲ばかり練習する。
こんなにも時間とお金を費やしているのに、コンクールでは参加賞しかもらえなかったのは、それが原因か、そもそも才能も勝負運もなかったからなのか。
上手にピアノを弾けば家族は喜んでくれた。肝心なところで音を間違えると、父はずっこけたしぐさをして、よく笑っていた。弾いている傍で、「自慢の孫だ」と祖母が言ってくれた。
当たり前のように、大学はピアノ専攻で考えていた。
高校に入ると、徐々に「お受験ピアノ」になり、大好きだったショパンやシューマンは機会が減り、ベートーベンのソナタやバッハの平均律ばかりになった。
高校3年になった頃には、拒絶反応としか言いようのないものが、レッスンの度に襲ってきた。もともと、やりたいやりたくないを強く主張できない私である。ましてや10年以上続けてきたものを受験直前に今更やめると言うことは、飛び降りに匹敵するくらいのことなのだ。
口の代わりに体がリタイアを叫んだ。私は進路を変えた。
罪悪感はずっと続いた。帰省して、カバーがかけられたグランドピアノを見るたびに、心がちくりと痛んだ。
ピアノを弾かない私は、家族にとってどんな存在になったのだろう。
私のピアノを聴いて「自慢の孫」だと言ってくれた祖母。
それから祖母が亡くなるまでの間、いや、亡くなってしばらく経ってからも、祖母はあの時と同じように笑いかけてくれるのだろうかと、私は繰り返し何度も耽っていた。
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