第十九話 ジミオ、ついに戦う?

「しゃがめ!」


 状況を飲み込めずに、ぼさっと突っ立っているジミオ。

 そんな彼を庇うようにアヤノは立ち位置を変え、突然飛んできた刃物を短刀で容易く弾いた。


「ジミオ、大丈夫か?」

「あ、ああ……でも血っ…血が……」


 ジミオの袖には、アヤノの体から飛び散った赤い新鮮な血がこびりついている。


「ん? ああ、少し狙いを外してしまったようだ。私の右腕がやられているな」


 まるで他人事のように、アヤノは自身の重症をあしらっていた。


「大丈夫なのか?」


 彼女の裂かれた皮の下からどくどくと血液が流れ出し、地面へと滴っている。

 どう見ても大丈夫ではない。


「良くある事だ。しばらくは使い物にならないが、死にはしない。心配するな」

「我に刃向かうような愚かな真似をするからバチが当たったようだな。ふはっはっ!」


 シュン。弓が竜の頬を掠った。


「ななな、何をする! もっと気をつけぬか! 我はルダイ閣下の――」


 シュシュン。もう二本が竜の足元に突き刺さる。


「我も狙われている……だと?」

「ジミオ、岩陰に隠れるぞ! そこのトカゲも一緒に来い」


 取り敢えず遠距離からの狙撃を避けるために、二人と一頭は近くの大きな岩の裏に身を潜めた。竜の尻尾や羽が少しはみでているが、頭と尻が隠れているのでよしとしよう。


「ジミオ、私の巾着からアイテムボックスを取り出してくれ」


 アヤノは岩に背をもたらせ、座ったまま左手で右袖の破れた布を押さえて出血を防いでいる。


「蓋を開けたら、中から包帯を取り出してくれ。それで応急処置が可能だ」


 小さな箱に片手を突っ込むと刹那に乾いた布の感触がした。アイテムボックスは念じた物を使用者の手に自動で届けてくれるのだ。


「それを私の右腕にきつく巻きつけてくれ。しかし、済まなかった。普段なら簡単に跳ね除けられるのだが、近頃少々調子が悪くてな」


 流血の所為かアヤノの顔は薄白く染まっている。


「もしかして、俺があの時アヤノの腕を踏みつけたから……」

「お前は阿保か。私の体はそんなひ弱ではない」


 包帯を巻き終えると、ジミオはその場で膝をついた。彼の目には涙が少し滲んでいる。


「先程の鉄針に痺れ毒が少々盛られていたようだ。体が思うように動かない」


 アヤノは力尽きたように座り込み、岩に背をもたらせた。


「……もう、無理だ。ここで俺は死ぬ」

「もう少し頑張れ。私の命も掛かっているのだぞ」

「無理に決まってるだろ! その状態でお前は戦えないし、ペリアも見つからない! これまで俺が一人で戦って勝てたことなんて、一度も無かったのを知っているだろ!」

「ジミオ、落ち着け」

「元々、俺みたいな雑魚が旅に出ること自体が無謀だった! 俺なんかにこんなことができるわけがないのは俺自身が一番よく知っていた! あ〜あ、村の奴らの言っていた通りだ。俺の夢や希望なんて所詮、妄想の妄想のそのまた妄想だったんだよ!」


 座り込んでいたアヤノが左腕を突き出し、ジミオの襟元を捲り上げて引きつった眼球の前に彼を引き寄せた。


「お前は、これまでもそのような屁理屈で努力を怠ってきたのか?」


 アヤノは怒っていた。普段は感情表現が薄い彼女だが、今は紛れもない憤怒に満ちていた。


「自分には才能が無いから努力しても無駄だと思うのか? 前にも言ったではないか。最初から全てが可能な人間など断じていない! 皆、苦しみながら世の中の階段を這い上がって生きている。お前だけ怠け者のような生き様でよいのか?」

「そんなことを言っても、もう手遅れだ! 敵はすぐそこまで迫っている! 何をしようが無駄なんだよ!」

「なら、命尽きるまで我武者らに抵抗してこい! 動かぬまま無様に殺されることはない。死を前にしては失うものなど、既に消え去っている!」

「お取込み中悪いのだが、早いとこ何か手を打たなければ我々は殺されてしまうぞ。既に黒服共はこの岩の前を包囲している」


 と、岩の上から覗き見をしているドラゴンが告げた。


「……わかった。行ってくる」


 ジミオは決意を固めた。だが、彼の瞳に宿っていたのは希望でなければ、やる気でもなかった。あれは自暴自棄になりかけの追い詰められた人間の瞳だ。


「我も協力しよう。戦闘は苦手だが、我には帰らなくてはならない理由がある……一応、言っておくがもしここから無事出られたら、この借りに免じて我を狩る目的は諦めるのだぞ」

「いや、最初から殺すつもりなんて……いや、少しは有ったかな」


 多額の討伐金のことを思い出す。だが、今はそれどころではない。


「我の鱗は硬い。多少の矢や鉄針は簡単に跳ね除けられる。そして、遠距離からは我の息吹と翼が起こす風で敵を攻撃できる」


 つまり、敵から離れていれば竜は有利に戦えるはずだ。


「貴様は刃物を持った黒服が側に寄ってきたら、我に辿り着く前に仕留めてくれ」


 刀と刀のぶつかり合い。たった数日間だが、アヤノと練習した戦い方だ。勝てたことは無いが、これまでの練習が無意義だったとは思えない。ジミオの瞳は少し色を取り戻した。


「ジミオ、私の刀を使え。その木刀では人間に痛手は与えられん」


 アヤノは自分の愛剣をジミオへ手渡した。


「それは魔術でコーティングされている。べらぼうに振り回しても、そう簡単には折れない」

「まるで俺がべらぼうに振り回すのは確定しているみたいな言い方だな……」


 ジミオはため息を吐く。


「行くぞ、少年よ」


 竜は大きく息を吸ってから、岩の上へよじ登り、迫り来る矢を自慢の鱗で全て弾き返した。


「イグニス・スピリタス!」


 竜が呪文を唱え、溜め込んだ息を一気に放出すると、前方が炎の海に包まれた。


「ほほう、魔法で息吹の性質を変える竜か。これは頼もしい」


 アヤノは岩陰から竜を見上げながら呟いた。


「ジミオ、お前も行ってこい」

「俺がここで死んだら、護衛代を全部実家へ返金するまでお前を呪うからな!」


 出陣直前だというのに、なんとも締まらないセリフである。


「うお、すごいな」


 竜の息吹は圧倒的だった。ジミオが岩陰から踏み出すと、辺り一面が真っ赤に染まっており、これなら戦わなくて済むと思い込んだジミオはほっと胸を撫で下ろした。勇ましく飛び出たものの、勝てる自信は得に無かったらしい。


「少年、右の奴を止めろ!」


 一人の黒服が壁を駆け上がりながら、炎を回避してこちらへ迫ってくる。


「ひ、ひぃっ!」


 はいと言おうとして噛んだのか、悲鳴をあげたのか。真相は定かではないが、少なくとも怯えているのは確かだ。

 接近しつつある黒服は真っすぐにジミオを目指している。ごっくんと息を呑み、ジミオはアヤノに教えられた通りに剣を縦に構えた。

 甘い構えだ。武器は年季の入った強固そうな代物だが、所有者は大したことない。黒服はジミオを初心者だと見切った。


 迫ってくる黒服はアヤノには負けるが人外な速度で走り、瞬く間にジミオの正面に着地。そして、一瞬の猶予も与えずに剣を突き出す。先手必勝、心臓を狙った一撃だ。

 黒服の目的は竜の息吹を止め、仲間が攻め込める状況を作ること。ジミオはその目的を達成するために、たまたま蹴り飛ばされる小石に過ぎない。だから、手っ取り早い攻撃で殺し、そのまま走り抜けようとした。

 もし、不意を打った一撃だったならば黒服の予想通りにジミオは即死していただろう。

 だがアヤノは言っていた。弱いのならば、それを有効に利用すればいい。相手が油断していれば、必ずどこかに隙が応じる。実際、黒服は突きを入れた後、剣が貫いたかどうかを目で視認もせずに走り抜けようとした。

 そして、最初の一撃を見事に受け流したジミオは、その隙を狙って相手には想定外の力を精一杯叩き込む!


 ――カキンッ!


 ジミオが振り上げた短刀は、黒服の手から剣を跳ね除けた。腕を狙ったのだが、紙一重で躱されたようだ。ジミオの狙いが全く定まっていなかっただけかもしれないが。

 想定外の反撃に驚いた黒服は一瞬動揺し、動きを止めた。その隙が命取りだった。

 竜が器用に鋭い尻尾を操り、先っぽで黒服の背中を貫いたのだ。


「少年よ! 次が来るぞ」


 呆然と血みどろの死体を眺めていたジミオは我に帰り、再び剣を構えた。今度は両側の壁を使って二方向から数人の黒服が攻めてくる。


「ヴェネヌム・スピリタス!」


 竜が自分の体と同色である、紫の濁ったブレスを吹き出した。猛烈な威力で敵を仰け反った赤い炎とは違い、ふわふわと煙幕のように拡散しながら黒服達を覆った。

 一見、彼らにダメージは無さそうに見えたが、この息吹は無害からほど遠い物だった。迫り来る黒服達の勢いが次第に萎えてゆく。あれは毒ガスだ。


「魔力が尽きた。もう息吹は出せぬ。ここからは肉弾戦の選択肢しか残されておらぬぞ」

「えっ、あの毒で倒れないのか?」

「そんな危険物を体内で作り出せるか! 我が死ぬぞ! せいぜい動きを鈍らせる程度だ」


 毒々しい見た目とは裏腹に結構マイルドらしい。だが、竜が言った通り敵の動きはかなり鈍っている。これなら、ジミオ程度でもなんとか渡り合えるかもしれない。

 試しに、こちらへ向かっている黒服の女を相手にジミオは先手を打った。

 黒服は躊躇なく自身の剣を叩きおろしてきたが、ふらふらとした鈍い一撃だったので、ジミオはしっかりとそれを見切って跳ね除ける。この隙に一発攻撃を与え――たいのだが、隣の黒服もノーガードで攻めてくるので、こちらも守りに徹しなければいけない。


 アヤノと比べると敵の動きは格段に遅いので、ジミオでも各攻撃を的確に受け止めることができるのだが、反撃の機会がないので全く埒が明かない。しかも、毒素が抜けてきているのか敵の攻撃頻度が少しずつ上がっている。

 紫竜も幾度となく尻尾で斬撃を食らわせるが、警戒している黒服達はそれらを紙一重で躱す。彼には長いリーチがあるが、距離を詰められてしまえばそのアドバンテージは無きに等しい。このままでは敵に押し切られてしまう。

 到頭、黒服達はジミオとドラゴンを囲んでしまった。毒も完治したのか、彼らの動きは今まで以上にきびきびとしている。


「やっぱり、俺には無理だったか」


 ジミオは諦めの言葉を漏らした。


「でもまあ、それなりに頑張った気もするし、俺はここで死んでも満足だよ」


 少し大袈裟なトーンで語り続けるジミオ。


「アヤノ、ありがとう。これで俺は悔いなくあの世へ行けると思う」

「何をほざいておるのだ、たわけ! 我々はまだ死んでおらぬ。まだ何かこの窮地から逃れる方法がきっと……」


 紫竜はジミオの幸せそうな微笑みを見て、言葉を止める。

 彼は確信した。この人間は馬鹿だ。こいつを見捨ててでも自分が助かる方法を考えなくてはならない。


「この人間を遠くに投げ、こいつらがこの馬鹿を追っている隙に逃げ……いや、まだ彼らの狙いが我なのか、こいつなのかはっきりしておらぬ。もう一度、毒の息吹を使う……には魔力が足りん。飛んで逃げるにも、ここは天井の低い洞窟の奥。この状況、もしや八方塞がり……」


 冷や汗をかきながらあれこれと思考を巡らせるドラゴン。

 黒服達は今にも襲い掛かりそうに、険悪な眼差しでこちらを窺っている。

 ジミオは既に放心状態。

 一人の黒服が剣をジミオの喉元へ突き付け――


『ピーヒョロリオ〜』


 突然、笛の音が洞窟に響き渡った。すると黒服達は突如前進を止め、笛に引き寄せられるように洞窟から去って行ってしまったのだ。

 ほっと安堵して、その場にドスンと座り込むドラゴン。理由はわからないがなぜか助かったようだ。

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