第十五話 エンディングかと思いきや

「流石にこれは……」


 唖然と立ち尽くしているジミオは悩んでいた。このような展開が許されていいのだろうか?

 如何にもラスボスっぽい威厳を放っていた竜を、ペリアは衝撃波でいとも容易く撃ち落としてしまったのだ。地面に横たわっている竜は呼吸をしている様子は無い。

 あの高さから気を失ったまま落ちたのだ。無事に生きていたら、それは奇跡と言える。


「どうしようかしら?」

「鱗を剥ぎ取れば、街で高く売れるぞ」


 客観主義のアヤノはまるで動揺していない。


「う〜ん……」


 依頼を達成できたのは嬉しいが、これでは些か達成感に欠ける。

 しかし、現実的に考えれば、例え順を追って竜の巣を探してから襲撃したとしても結果的には彼は何も活躍せず、彼女の圧倒的な力によって丸く全てが収められていたのではないだろうか。なら、時間を短縮できるこの結末も悪くない。


「んー!」


 どこからか甲高い声が聞こえる。


「ジミオ、見て! あそこに女の子が引っ掛かっているわ」


 ペリアが指差した木の枝からは、薄汚いワンピースを纏った黒髪の幼い少女がさかさまの状態で吊るされていた。どうやら、布が尖った枝に引っ掛かってしまったようだ。

 すかさずアヤノは彼女の元へと跳躍し、絡まった枝や蔓を取り除いてから彼女を抱きかかえて戻ってきた。


「この先にある村の子供だろう」


 アヤノが少女を地面に下ろすと彼女は一目散に走り出し、倒れているドラゴンの頭蓋の裏側に隠れた。この場に居る三人よりは、明らかに竜の方が恐怖の対象であるべき(実際のところはともかく、見た目的に)だが……黒い髪の後ろに瞳を隠す少女は相当な人見知りらしい。


「可愛い! この子、迷子なのかしら?」

「見すぼらしい服装や痩せこけた体からして、恐らく孤児だろう」


 冷徹な感想を述べるアヤノからは彼女へ対する同情は感じられない。


「両親が死んじゃったの?」

「そういう時もあるけど、大抵は養えないから捨てられた子供さ。最近の田舎では結構多いぞ」


 ペリアの疑問にジミオが答えた。


「どうして、養えもしない子供を産むのよ?」


 そんなこと俺に言われても困る、と貞操意識の高い(要するに童貞である)ジミオは思った。


「まあいいわ。あたしが今日から、この子のママになってあげる」


 ペリアは静かに少女の元へと歩み寄り始め、怯えた猫をなだめるように優しい視線で張り詰めた空気をほぐそうとする。

 一歩、また一歩。ゆっくりと慎重に歩幅を広げていくペリアの穏やかな姿は、普段の乱暴な戦い方からは全く想像できない。

 彼女の心配りが効力をもたらしたのか、孤児の女の子は震えながら後退していた足を静止させ、寄ってくるペリアの眼差しに捕らわれたかのようにたたずんでいる。


「よしよし。あなた、名前は?」

「……?」

「名前が無いの?」


 穏やかな声でなだめながら、ペリアは少女の頭を片手で撫でた。

 なんて微笑ましい状況なのだろ――


「ゲフン! ゴフォ、ゴフォ!」


 突然、死んでいたかと思われていたドラゴンの口から黒い煙が放出された。煙幕はとどまるところを知らず、刹那の間に辺り一面は薄暗い気体に包まれた。


「はて、ここは……」


 地を這うような低い声。


「ん……し、しごと…がまだ……」


 ドラゴンがぶつぶつと呟くたびに、空気中の成分が共鳴して大気が振動する。


「ペリア、どこだ!?」


 走り出そうとしたが、何者かに肩をぐっと掴まれ拘束されてしまった。


「待ちたまえ。乏しい視界を頼りに無沙汰に飛び込めば、竜に踏まれる恐れがある」

「でも、ペリアが!」

「承知の上だ。お前はここで待て。後は私に任せろ」

「キャー!」


 ペリアの悲鳴だ。


「ペリ――」


 ジミオの叫びは唐突な突風にかき消されてしまい、彼は強風を前に体を支えきれず、バランスを崩して尻餅をついてしまった。

 しかし、アヤノは暴風に屈することなく弾丸のような速度で駆けながら、今にも飛び立ちそうなドラゴンへ接近していく。

 紫竜の手には、身動きが取れないような形でペリアががっちりと握られていた。

 アヤノの手が届くまであと数秒。

 だが、ドラゴンの足は既に陸地から離れだしている。

 常人の飛びではまず届きそうにない高さであるが、アヤノは常人に収まるような輩ではない。大した構えもせず、いとも簡単そうに膝を弾ませて宙へと跳躍するアヤノは、まさに猫やカエルそのものであった。

 彼女と紫竜の距離はみるみる縮んでいき、アヤノはあっという間に竜の後ろ足にしがみつくことに成功。


 人間という物の定義の計り知れなさを思い知ったジミオは、ぽかーんと口を開けっぴろげてその様子を地上から凝視している。

 アヤノは懐から鉄針を取り出し、片目を瞑って狙いを定めた。ペリアに傷をつけずに、束縛から彼女を解き放つには竜の手首を巡る神経、つまり急所に武器を刺し、怯んだ隙に助け出す。それが一番手軽な方法だった。

 ペリア自身が腕力を活かして、束縛から逃れようと暴れてくれれば隙を増やせるのだが、なぜか彼女はちっとも動こうとしない。どうやら、気絶しているようだ。

 高所恐怖症。昨晩、ペリアはジミオに自分の意外な弱点について話を聞いていた。意識を失ってしまうほどの物だったとは聞いていなかったが……。


 アヤノは、ペリアの居場所までよじ登って起こそうとすることも考えたが、それには時間が足りない。これ以上高度が上がってしまえば、安全に降りることができないのだ。

 決心を固めたアヤノは狙いを定め、鉄針を投げられる体制を整えた。

 しかし、ドラゴンは彼女が飛びついたことにもう気づいている。

 皮膚の感触を辿り、振り向かずにアヤノの位置を特定し、察知されたことをアヤノに明かさずに尻尾の標準を定めた。

 急所を正確に狙うことに囚われているアヤノは、尻尾の動きに気づいていない。


「ふんっ!」


 竜がアヤノの脳天を目掛けて尻尾を突き出す。

 幸いなことに、ギリギリのタイミングで殺気を感じ取ったアヤノは、紙一重で槍のように鋭い尻尾の先を躱すことに成功。

 だが、その瞬発的な動力と引き換えに彼女は竜の足を手放さねばならなかった。

 アヤノは重力に身を委ね、仰向けのまま空から真っすぐに落ちる。


「受け止めないと!」


 あの速度で落ちている、大の人間を受け止めたら巻き添えになって死ぬと思われるが、まあこれが主人公としては一般的な反応ではある。

 ジミオは目一杯の総力を振り絞って彼女の元へと走りだした。アヤノの走りと比べると歩いているようにしか見えないが、細かいことは気にしない。

 勿論、アヤノの着地に彼の鈍い足が間に合うことはなく、主人公補正を駆使して落下を生き延びるような展開は起こらなかった。

 物理法則に抗うことなく、仰向けの状態でアヤノは地面に直撃し、周囲に砂埃を舞い上がった。


「アヤノ!」


 ジミオは躊躇なく砂埃のもやに飛び込んだ。


 ――ぼきっ。


 足元で生々しい音が……。


「視界が乏しい状態で駆け込めば、踏まれると言ったではないか」

「アヤノ、無事だったのか?」

「衝撃の寸前に受身を取ったので大丈夫だ。お前に踏まれるまでは身体髪膚、無傷だったぞ」

「ご、ごめん……」

「うぐっ!」


 アヤノは右腕を左手で支え、痛そうに歯を食いしばりながら目を竦めた。


「それ、大丈夫なのか……」

「大丈夫だ。この程度なら、少し安静にさせておけば自然に治る」


 彼女を助けるどころか事態を悪化させてしまった。申し訳なさそうな顔を浮かべながら、ジミオは視線をアヤノの顔からずらす。


「ペリアは?」

「済まない、彼女は竜に攫われてしまった。私の力不足だ」


 アヤノほどの能力を持つ者が力不足ならば、この世の大半の人間はゴミ屑同然になってしまうだろう。そんな彼女にすら不可能だったのだから、


「そ、そんな……」

「案ずるな。助け出すことはそう難しくない。竜には巣を作る習性がある。そして、捕らえた獲物の大半はその場で摂取せずにそこに保管する。竜は収集癖が強い、珍しい物なら尚更そう対処する可能性が高い」


 羽が生えている人間は竜にとっても珍しいのかもしれない。


「つまり、そこを探り出せばペリアを救出できるんだな!」

「恐らくは」


 確たる証拠が無い以上、アヤノはペリアの安否について、断言してしまわないように言葉を選んでいる。


「なら、急いで探さないと。どこら辺にあるかまでは流石にわからないよな?」

「竜は山脈地帯に巣を作ることが多い。そして、この先の村の外れには鉱山がある。村民に尋ねれば、何か情報を得られるかもしれない」


 結局、国境の果てにある村へ行くのは変わらないようだ。


「ん……」


 何者かが注意を引くために、ジミオの袖をぐいぐいと引っ張っている。


「さっきの女の子か」


 どうやら少女は無事だったようだ。

 アヤノは膝を曲げて屈み込み、目線を少女と等しくなるように合わせた。彼女たちはお互い無言のまま無表情で見つめ合っている。

 瞳と瞳の会話が成立したのか、アヤノはもう一度立ち上がった。


「村まで案内してくれるようだ」

「何でわかるんだよ……」

「子供は得意なのでな」


 無愛想な顔をしている奴には意外な特技だ、とジミオは思った。

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