第九話 ドラゴンの就活事情

 田舎の、田舎の、そのまた田舎。人間は一人たりとも訪れたことがない、深林の奥のそのまた奥に存在する秘境。そして、そこに暮らす多種多様の大トカゲたち。

 胴体が長く、立派なヒゲを生やした東の大地より訪れた龍。堂々とした勇ましい体格を持つ、西の大地より訪れたドラゴン。他にも魚のようなヒレを付けた竜や、人間のような手足を有する竜や、猫のように小柄な竜などの千差万別な竜族が、故郷を追いやられてしまい、やむなくこの土地に滞在している。


「ぷはー!」

「いい飲みっぷりっすね」


 そしてその難民たちの内、ストレスを発散しに真昼間から酒場にきたどうしようもない二匹の竜が彼らである。


「にゃ〜にが貴殿の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げますだ!」


 鬱憤とした感情を、酔った勢いで口から流しだしている渋い紫色の竜の腹は、焼いたお餅のごとく壮大に膨らんでいた。とてつもない酒腹なだけかもしれないが、恐らく西の大地をかつて司っていた偉大なドラゴンの血を受け継いでいるのだろう。


「我が現役の頃は忙しくて、忙しくて仕方なかった。ありとあらゆる所が我を必要としていて、仕事が次から次へと流れてきたもんよ」

「はいはい」

「だのに、何たる態度! こんな連中の仕事はもう死んでも承諾してやらん」

「はいはい」

「お前、我の話をちゃんと聞いているのか?」

「はいはい」


 愛想よく相槌を打つ隣の竜は、ひょろひょろとした細長い尻尾と華奢な腕を器用に駆使して、紫のドラゴンの容器に酒を注ぐ。身体的特徴から察するに、彼は東の大地出身だ。


「で、お前の面接はどうだった?」

「まあ、ぼちぼちって所っすね。縁があれば二次まで受かるかもっす」

「面接の人間にはなんと言われた?」

「この細長い体は良い風向測定器の代用品になる、って言ってたっす」

「ほう、羨ましい限りだ。何をしたらそんなに褒めてもらえるのだ?」

「さぁ〜、人間の価値観は難しいっすからね」

「それもそうだな」


 ごくごくと威勢良く、風呂桶並の量を一気に飲み干す紫色のドラゴン。ちなみに、今日はこれで八桶目である。


「ぷはー。しかし、本当に人間の価値観は見当もつかん。我の履歴書の高尚な学歴と職歴を見ただろう? 非の打ちようがない」

「まあ、普通ならそうっすよね。けど今の業界じゃあ、そういうのは必要ないっぽいっすよ。俺の経験論では並のコミュニケーションスキル、並の見た目、そして並以下の知能が好まれると思うんっすよね」

「知能の低下を望む業界があってたまるか」


 ばかばかしいと言わんばかりの口調で紫竜は喋った。


「解せぬ。誇り高き竜の軍隊は、なぜあのような単細胞の複合体に敗北したのだ!」


 彼は酒の桶を乱暴に叩き落とした。

 その様子を窺っていた酒場の親方が「割ったら殺すぞ」と言いたげな凍てつく視線で太り気味の竜を睨む。

 親方は客人2名と比較すると小柄だが、体長は成人した人間と大差ない程度ある。彼の見た目は魚類で言う所の竜の落とし子に似ていた。俯いた顔の先に付いている細長い口が地面へと向けられており、荒々しい息を吹いているので客のマナーの悪さに怒っているのは明白だ。


「まあ、モドゥルさんは元学者っすからね。気持ちはわかるっす。でもっすね、アホな方が望ましいこともあるんっすよ」

「洗脳しやすいからか?」

「いや、そうじゃないっす。例えば……愛犬に何か芸を教えたりする時、どんな命令も最初からちょちょいのちょいってこなしたら詰まらないっすよね。ゆったり教えているうちに、着々と成長していく方が微笑ましくて面白いんだと思うっす」

「なるほど、わからん」

「モドゥルさんはペットを飼ったことが無いんっすか?」

「大学が飼っていた番犬に餌をやっていた経験があるな。あいつはよい犬だった。我が勉学に励んでいる間は別の部屋で静かに寝ているし、食事をしている間は顔を出さんし、我が近くに寄るだけでそそくさとどこかへ去って行ったからな。しかも、我がやった餌もろくに食わないので補充する手間も省けた。実際に存在していたかどうかすら怪しいぐらい物静かな奴であったな」

「……モドゥルさん」


 細長い龍はほろりと哀れみの涙を流してしまいそうだ。


「そろそろ…、なんていうか……あ、店長! おかわりお願いっす」


 返す言葉が見つからず、紫竜の連れはもう一杯酒を頼む。


「……人間以外の勤め先を探した方がいいかもしれないっすよ」

「だが、学会は竜の数の減少と資金不足で消滅寸前だ」

「いや〜、しかしっすね、人間のペットよりはモドゥルさんに向いている仕事は色々あると思うんっすよ」

「高給なのはペットと戦闘獣だけだ。我が戦で活躍できるわけがなかろう」

「なにも、高給に拘ることは――」


 親方が二頭の間に割り込み、自分の身長の二倍はあるヒョウタンの凹みをキュッと顎と腹で器用に挟みながら、両者の酒桶に溢れんばかりの酒を注いだ。


「さんきゅー、親方! あ、そうっす。料理人になるってのは、どうっすか? その高性能な頭脳を活かして、世の料理の作り方を全て暗記して、斬新でトレンディなレシピをどんどん作るっす」


 紫竜は桶の酒を一口で飲み干し、深いため息をついた。


「将来が不安定な仕事で家族を養えるものか」

「そ、そうっすよね……」


 独り身である自分の発言の軽薄さに気づいたひょろい竜は、申し訳なさそうに顔を俯けている。


***


 紫竜は友人と別れ、今日の不作を報告しに渋々と家へと足を進めた。


 左の前足を一歩前進。

 右の後ろ足を一歩前進。

 右の前足を一歩前進。

 左の後ろ足を一歩前進。

 深呼吸。

 リピート。

 この調子だと到着までに老いて死ぬだろう。


 まどろっこしい足取りだが、今の彼はとても嫁や子供たちと顔を合わせられる気分ではない。

 彼の胃は生きたイタチでも含んでいるかのように乱暴にもつれ、頭は考えることを放棄しようとするたびに新たな記憶の引き出しから悩みを掬い上げ、しまいには用を足したばかりの股間が無性にそわそわとしてきた。


「普通にただいま……は、この状況に置いてはそっけなさすぎる。何か手土産でも買ってから帰るべきか……。だが、そんな金銭的猶予はない。やはり、普通にただいまと言いながら戸を開くべきだろう。こういう時だからこそ、日常を嗜むべきだ。いや、この場に置いて一番面目ないのは、我なのだから向こうが気を遣ってくれている分、何か……いやいや、子供たちに甘すぎる態度を取るのは、帰って心配させてしまうかもしれない」


 ぶつぶつ独り言を続けている内に、詳細な歩行パターンを忘れてしまい、紫竜はいつの間にか玄関にノックしかけていた。


「ひっ!」


 自宅の玄関前で戦慄している彼からは、竜の威厳たるものは微塵にも感じられない。

 何も言わずに忍び込むべきかどうか悩んだ結果、彼は帰宅を中断し、無駄だとわかっていながら後退りして、表に建っている古ぼけた郵便受けの蓋を開いた。

 その中には白い封筒が一通。

 どうせ請求書だろう、とモドゥルは胸中で思いながら面倒くさそうにそれを手に取り、家に入るまでの時間稼ぎのためにその場で開く。


『時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。当方のペット募集面接に置いて優秀な印象を残した貴殿の採用を決定――』


 彼は大きく安堵し、口から青い炎を微かに吹いた。

 だが、大して喜ばしい気分にはなれなかった。自分の人生の無意味さに、とてつもない虚無感を感じただけである。

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