第六話 楽しくお買い物

 太陽の光が届かない陰気臭くて薄汚い街の路地裏。薬物の取引を行っている浮浪者。壁際に座り込んでいるフードを被った胡乱な商人らしき人物。ジミオは何を好んでこのような治安が乏しいゲットーに立ち入ったのだろうか。


「こんな汚い場所で何を買うのよ?」

「物語の中ではこういう物騒な場所に立ち入ると、レアアイテムが手に入るんだ」


 途方もなく呆れさせる、しょうもない理由だった。


「闇商人は大抵、有用なものを安価で売ってくれる。騙されない賢さを持っていればの話だがな。後、こういう場所で買い物をする際に気をつけなければならないポイントもいくつかある。例えば――」


 物語から得た知識を頼りに、自信満々に都市の闇社会を熱弁する世間知らずな田舎者だったが、ペリアも同等の世間知らずなので彼女は特に疑惑を抱かなかった。


「のお、そこの坊ちゃんよ」


 背後から届いたしゃがれた声に不意を打たれて、ジミオは可愛く小ジャンプした。


「ええもんあるよ。見ていくか?」


 声の主は定かではないが、恐らくそこの地面の上に座っている黒いフードを被った怪異な人物だろう。


「妖精を仕入れちょるのよ。興味あるけい?」


 フードの怪人が黒い布に包まれた何かを両手で掲げた。どうやら中身を見せてくれるようだ。

 怪しい商人は黒い布を僅かに巻き上げると、わずかに淡い紅色の光が漏れ、好奇の魔の手に翻弄されているジミオの眼球を串刺しにした。


「綺麗だな……」


 思わず口からこぼれ出た率直な感想。紅色に自らを発光させていたのは、蝶の羽を纏う手のひらサイズの少女。眠っているのか、瞼は堅く閉ざされている。彼女は細くて華奢な麗しい手足を持ち、その身体の清らかさを引き立てている長い漆黒の髪と純白のワンピースを有していた。

 眠れる妖精の神秘的な容姿に魅了されたジミオは、無意識に紅色の光へと手を伸ばし――


「お触りはノンノン。買ってくれるなら好きなようにしていいがね。こいつはなんでも言うことを聞いてくれるよ」


 闇商人は瓶を黒い布で覆う。


「いくらなんだ?」


 しばし、考える仕草を取ってから彼は答えた。


「500ゴールド」

「た、高くないか?」

「相場よりはけっこー安くしちょるよ」

「もう少し安く……ごふぉ!」


 ペリアがジミオの脇をつついた。指一本で軽くつついているつもりなのだろうが、並の男が放つパンチの方がまだ軽い痛みで済んだはずだ。


「こんな罰当たりなものを買っちゃダメ。妖精の瓶は身を捧げた妖精の信頼と感謝の印なの。それを他人に売っちゃうなんて冒涜よ!」


 と、彼女はジミオの耳元に囁いたが、彼は闇商人の話に魅力されていてペリアの話が耳に入らない。


「坊ちゃんは手元にどれだけあるんけい?」

「えっと、30ゴールド――」

「ほな、そこの大層かわいいお嬢ちゃんに免じて大サービスしちょるよ。30ぽっきりで持ってけ泥棒!」


 なんて運の良い日なのだろう、と自惚れながらジミオは彼を見守っている神に心からの謝意を表した。あからさまに騙されているが細かいことは気にしない。


「や、安い!」

「ジミオ、止めましょ。ドラゴン相手に妖精の瓶は役に立たないわ。それに、どうしても妖精に拘るなら既にあたしがいるじゃない」

「妖精……ねえ」


 疑心暗鬼なジミオ。

 百聞は一見に如かずとよく言われるが、逆に一聞もしたことない現象を、たった一見で突発的に理解できるかどうかは些か疑問ではある。ジミオの知る妖精はとても小さく、瓶の中に閉ざされており、優秀な回復魔法として扱うことができる生物アイテム。素手で魔物を虐殺する横暴な怪物とは似ても似つかない。

 そういう事情もあり、ジミオは未だにペリアの正体については半信半疑だった。瓶の中の少女と同じく蝶の羽を所持している他には……ペリアには特に妖精らしい特徴は無い。どちらかというと、ギガンテスやトロール辺りの強豪な魔物の方が彼女との共通点を多く見出せそうだ。


「ペリアは外見を除けば、むしろミノタウ……」


 ジミオは思わず口を噤んだ。

 自称妖精が憤怒に塗れた表情をしているからではなく、どこかから凍てつく視線を感じ、全身に鳥肌が立ったからである。

 先刻まで近くで言い争っていた浮浪者たちは既にどこかへ去ってしまったようだ。つまり、冷酷な眼差しをジミオに向けているのは――


「坊ちゃん、買うのけい?」


 フードに隠れていて素顔は視認できないはずなのだが、なぜか邪気に塗れた視線を体が直感的に感じ、冷たい刃でなぞられたような悪寒が背筋を走ったのだ。


「坊ちゃん?」


 いや、少し違う。フードの下から感じる邪気はジミオが存在する位置へ向けられてはいるが、捉えている人物は彼ではない。槍のように彼を貫き、ペリアに届いているのだ。ジミオはそんな気がした。

 得体の知れない恐怖が体内を這い回る。

 彼の臆病さから生まれる、危険察知本能が呟いた――


 ――逃げろ!


 言われるまでもない。

 ジミオは不機嫌そうな面をしているペリアの手を引っ掴み、恐怖に囚われたネズミのように脇目も振らず、元来た道へと全速力で引き返す。


 闇商人が後方から声を発してくることは無かった。

 だが、それによって作り出された静寂は闇商人の所在を不明瞭にし、後ろを振り向かずに走るジミオに奇怪な不安感を抱かせた。

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