第四話 俺は今日から小金持ち

 唸りながら目を覚ますと、ジミオはふかふかなの羽毛ベッドの中にいた。とても酷い夢だった、と彼は安堵しながら上質な枕の上に再び頭を落とす。


「やっと起きたわね」


 サタン本人、もしくは両親が彼の前に現れたかのようにジミオは仰天し、飛び起きてペリアと顔面を衝突させてしまった。お互い痛そうに額を摩っている。


「不意打ちなんて卑怯よ」

「いや、不本意だ。悪い」


 状況がよくわからないので聞いてみると、どうやらペリアは気絶していた彼を村まで運んでくれたらしい。さらに話を聞くと幸いな事に、必死な表情でゴールドを掻き集めていたジミオのことを覚えていた彼女は、ゼラチンスライムが落とした金貨をすべて布袋に詰め込んでくれたようだった。そして、その布袋から溢れかえっていたゴールドを目撃したこの宿の店主が、真っ先に極上の部屋に案内してくれて今に至る。

 折角なのでジミオは再び仰向けになり、羊の群れの上に寝そべっているような柔らかさをもたらすベッドと枕や、天井から吊るされている巨大なシャンデリアを思う存分に堪能する。自宅にある寝袋とは大違いだ。


「ちなみに、すごい量の食べ物もくれたわ」


 ペリアが指差すテーブルの上には色とりどりの南国フルーツ、高級感溢れる上質な牛肉や羊肉、そしてありとあらゆる種類の酒が用意されている。貧しい暮らしに慣れていたジミオには何とも信じがたい光景だった。

 ジミオはすぐさまベッドを飛び降り、ガツガツと手当たり次第に食事を取り始めた。


「んんっ、もぐもぉ金ってものは素晴らしいな!」


 ジミオはマナーなど気にせず、口一杯にバナナや骨つき肉を頬張りながら遠慮なく喋る。その姿は彼が憎んでいた裕福層の醜い姿そのものだ。


「それで、どれだけ残ったんだ? この程度ならまだまだ豪邸とか、召使いとか、女とかいくらでも買い放題なはずだ」

「もう三十枚ぐらいしか残ってないわ」


 からん。


 ナイフとフォークがジミオの手から滑って床に落ちた。


「あの〜、お客様。中に入りましてもよろしいでしょうか?」


 扉の外から小鼠のような甲高い声が聞こえる。


「あ、ああ、構わないぞ」


 なるべく動揺を抑えた声で返事をするジミオ。

 すると、外にいた小柄な男は無駄な音を立てないように丁寧に取っ手を引き、礼儀正しくお辞儀をしてから一歩部屋の中へ入った。


「この人が店主さんよ」


 ペリアが小声でジミオに囁く。


「こちらの部屋の居心地はいかがでございましょうか、お客様?」

「非常に快適だ。気に入っている」

「それは大変宜しゅうございます。もしよければ、もう二、三日泊まっていただいても結構なのですよ」


 店主はにっこりと欲に塗れた薄汚い笑顔を浮かべる。


「それから、つまらない話なのですがゴールド500枚のお支払いの方は……」

「ああ、わかっている。その……ちょ、ちょっと時間をくれないか? ゴールドがいかんせん多すぎてな、数えきるのに苦労しているんだ」

「それなら、我々が無償でお手伝いできますよ。長年商人をやっているので効率良く数えるのはお手の物です」


 あたふたと慌てながら返答を考えているジミオを、ペリアは興味深そうに見守っている。


「そ、それは悪いがお断りさせていただく。別に信用していないわけではないのだが、初対面の人間に金を任せるのはどうにも気がひける」

「左様ですか。ではロビーで待っていますので準備ができたらいつでも大丈夫ですからね」


 店主が部屋を去ると、ジミオは愛想笑いに包まれた表情を一変させ、ペリアと向き合った。


「一体どうやったらあの額をこんなに早く溶かせるんだ!」

「さっき暇つぶしに外を散歩していたら、お腹が空いていた子供に持てるだけのコインを渡したのよ。あんたはここにある食べ物で十分でしょ?」

「確かにそうかもしれないが、後払いだからまだ必要じゃないか!」

「後払いってなに?」


 ペリアはきょとんとしている。どうやらお金を払うという概念をイマイチ理解していないみたいだ。よっぽど閉鎖的な暮らしを送っていたお嬢様か、ジミオ以上の超田舎者なのだろうか。もし自分が破産の危機に陥っていなかったら、ジミオは純真無垢な彼女に深く感心していたかもしれない。

 ゴールド500枚など、この田舎では数年働いても稼げないような途方もない枚数である。本来この部屋は、旅行を目的とした都会の金持ちが使用する娯楽施設なのだろう。

 もし払えないことがばれてしまえば、死ぬまで牢屋の中で過ごすか、生涯を奴隷として尽くすことになってしまう。


 ――くっ、いったいどうすれば……。


 この窮地でジミオはとあるシンプルなアイデアを思いついた。


「逃げるぞ」

「でも、まだ食べ物が残っているわよ?」

 事態を把握していないペリアを無視しながら窓を開く。三階だが上手く着地すれば軽傷で済むかもしれない。行くぞ、とペリアに合図してから、ジミオは迷わず窓から慌て気味に飛び降りた。なぜこのような無様な状況でのみ勇気が湧くのか不思議である。

 着地音と共にぼきぼきと何本か骨が軋む音がしたが、落下した直後に草陰まで疾走することができたので大した怪我は無かったようだ。


「いつか返しますから、許してください」


 と、小さな声で呟きジミオは一目散に逃げ出した。

 一方、ペリアは彼に続いて窓の外へ顔を突き出していたが、躊躇なく飛び降りたジミオと違って、地面を見ながらぎょっとした険相を浮かべている。


「ううっ……ちょっと、置いて行かないでよ!」


 覚悟を決めたのか、彼女は歯を食いしばり、両目を固く閉じたまま跳躍。そして、羽をパタパタと運動させながらゆったりとした速度で低下し、華麗に着地した。


「何をそんなに慌てているの?」


 ペリアは未だに現状の深刻さを理解できていないようだ。楽しそうに足をスキップさせながらジミオの後を追っている。

 逆にジミオはパニックに陥っていた。


「勇者になるはずだったのに、初日から食い逃げだなんて……。俺はなぜこんなにどうしようもない奴なんだ! やっぱり、いっそのこと死んでしまった方が――」


 両手で髪の毛を掻き毟りながら地面に倒れ込む哀れな自称勇者。そんな彼を不可解そうにペリアは見つめている。


「よく解らないけれど、あたしがゴールドを渡しちゃったから問題になったみたいね」


 ペリアはジミオを片手で持ち上げ、小さな子供をあやすように自分の肩の上に座らせた。


「もう一度森へ行きましょ。必要な枚数のゴールドが手に入るまで付き合ってあげる。昨日の敵は退屈だったから、まだ戦い足りてないわ」


 主を倒しても、なお血を求める彼女は正真正銘の戦闘狂だった。


「森は使い物にならないよ。主を倒してしまったから、もう魔物は出て来ない。このまま消え去るまで衰退を続けるだけだ」

「他にも魔物がでるとこはないの?」

「この村の近くにあるダンジョンはあれだけだ」


 テンションが極限ネガティブまで落ちてしまったジミオには、否定的な意見しか浮かばない。

 ペリアは面倒臭そうにため息をついた。


「なら遠くまでいきましょ」

「遠くって言ったって俺は村から出たことすら……」


 はっ、とジミオはあることに勘付き言葉を中断させる。


 彼は自分の発言に違和感を覚えたのだ。村を貧困から救うために旅に出て勇者になろうとしていたのに、未だに村の外にすら出ていないではないか。

 先ほどまでは怖じ気づいていて悲観的な考えしかできなかったが、ペリアに肩車されて少し落ち着きを取り戻した。

 自分の目的、理想、概念。失っていた感情や信念の全てが磁石に引き寄せられるように勢い良く意識の最果てから逆流し、彼の頭を刺激しだす。


 単純なことだった。

 これまでは、これまで。

 これからは、これから。


 今回の失敗がなんだ。ジミオのこれまでの人生なんて大半が失敗のようなものなのだから、今更そんなことを気にするなんておかしいではないか。

 それに、ゴールドを返すまでという制限付きだが、ペリアという心強い存在が成り行きで手に入った。これは次回のチャレンジを成功させるチャンスなのかもしれない。

 確かに次回も失敗に終わるかもしれない、心をボコボコにへし折られるかもしれない。でも、ジミオにとってそんなことはどうでもよかった。


 何も取り柄がないとよく言われる彼だったが、それは少し違う。

 彼の諦めの悪さだけは人一倍だったのだ。


「ペリア、王都へ行こう」


 ペリアの上から颯爽と飛び降りながらジミオは言った。


「王都?」


 都会。それは村の人々に取っては希望の地であり、税金を納めねばならない恐怖の象徴でもでもある。しかし、そんな未知に包まれた場所ならジミオが求めている物も、ペリアが求めている最強の敵も、ついでに返済する金も見つかるかもしれない。

 彼が望んだ物語はようやく、そのやたら重たかった幕を上げたように思えた。

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