第三話 いろんな意味で暴力ヒロイン

「ねえ、いつまでそこでごろごろ暴れているつもりなの?」


 ずきずきと痛む体を支えながら起き上がると、うじゃうじゃと湧いていた魔物共は見る影すらなかった。残っていたのはドロップアイテムの毒素と数十枚のゴールドだ。

 まさかこの娘がたった一人で、あの数の上級魔物を纏めてなぎ倒したのだろうか。そんなことは、到底信じられない。


「君が倒したのか?」

「うじゃうじゃしていた気持ち悪い奴のこと?」

「そうだ、さっきまで居たはずのテラネペンテスの群れ」

「あれなら、気を少し放っただけで全部消滅したわよ」


 彼女の言葉は冗談にしか聞こえなかった。女の子が武器も使わずに魔物の群れを壊滅させるなんて、常識的に考えてありえない。

 だからジミオは推測した。きっと彼女は何らかの強力な魔法アイテムを持っていたのだろうと。見栄を張ってその事実を隠蔽しているに違いない。だが助けて貰ったのは事実なので、ジミオは取り敢えず彼女が気を悪くしないように褒めておくことにした。


「ありがとう、助かったよ。しかし凄いな、俺の村には君ほど強い人は、男を含めても一人もいないよ」


 もし素手で倒したのが事実だとするならば、彼女より強い人間なんて村どころか国中さがしたって居ないのかもしれない、とジミオは思っていた。


「えっ? そ、そうなの? なんだか嬉しい。こんなことで褒められたのは初めて……」


 馬鹿力と呼ばれたのに、彼女は嬉しそうに顔を赤らめた。


「しっかし、凄い数のゴールドだな。これだけあれば一ヶ月は働かずに食っていける」


 羨ましい、と彼女に聞こえないように小さな声でジミオは付け加えた。


「欲しいのなら全部あげるわよ。あたしには必要のない物だし」


 彼女のあまりにも太っ腹な発言に驚き、ジミオは再び腰を抜かしてしまった。念のために正気なのかと彼は再度確認を取るが、「もちろんよ」と返されたので、朦朧とした意識による聞き間違いではないと断定できた。

 ジミオは散らばったコインを拾い集め、腰に付いている布袋へと丁寧に移しながら彼女に問いかけた。


「君は一体どこの国の人なんだ? 鳥の羽が生えている鳥人族なら見たことがあるが、虫の羽が生えている人間は見たことがない」

「ああ、これね」


 彼女は背をジミオに向けてパタパタと軽く羽で風を扇ぐ。


「あたしは妖精よ」

「妖精……あの瓶の中に入れられている小さな精霊みたいな奴か? そんなわけないだろ」


 彼女は瓶という単語に合わせて、なぜか不愉快そうな表情を浮かべた。


「まあ、こっちの世界だとそれが一般的よね……」


 ジミオは彼女が何のことを言っているのか理解できなかったが、彼女の暗い表情から察して、深く問い詰めないことにした。

 会話の題材を変えようと名前を訪ねてみたところ、彼女はペリアと呼ばれていることを知った。この地方では珍しい独特な響きを持った名前である。それに加え極端に尖った目尻、異様な服装。彼女は相当遠い異国から訪れたのだろう。


「ねえ、あんたここの近くの住人でしょ? この森の主がどこにいるか知ってる?」


 眼球をメラメラと輝かせるこの娘は、主に挑戦するつもりなのだろうか。


「やめときな。主は大抵の魔法アイテムを無効化できる。返り討ちにされて死ぬぞ」


 主といえばダンジョン内の親玉的な存在である。倒すことができれば様々な宝石やレアアイテムなどの莫大な報酬を得られるが、それはリスクに見合った額ではない。熟練したダンジョンハンターですら極力避けるような魔物だ。


「大丈夫よ、魔法なんて必要ないから。雑魚を相手にするのは退屈すぎるから腕試しに主を倒したいの」


 自信たっぷりに僅かに膨らんだ胸を右腕でどーんと叩くペリアに対し、ジミオは呆れ顔でため息をつく。このまま放置してしまったら、間違いなく彼女は主に挑んで無駄死にしてしまうだろう。それを阻止する為にジミオは良い案を思いついた。


「悪いんだが、俺を森の外れにある村まで連れて行ってくれないか? 空腹で今にも倒れそうなんだ。とても、一人で無事に森を抜けられる気がしない」


 主に挑む覚悟があるということは、恐らく魔法アイテムがまだ底をついていないはず。ならば、護衛として帰り道の安全を保つことに有効利用できる。彼女の無鉄砲な行動にも歯止めをかけられるので一石二鳥だ、とジミオは考えた。


「うーん……まあ、いいわ」


 ジミオの両足はがくがくと震えており、今にもぽっくり倒れてしまいそうな危うさを周りの人々に感じさせる。そんな衰弱した彼を断る訳にはいかなかったのか、ペリアはジミオの頼みを承諾した。


「村までついたら、お礼にこのゴールドで豪華な食事を奢ってやるよ。まあ、元々は君のなんだけどな」


 ぐぎゅー、と痛々しい音が鳴った。


「かなりお腹が空いてるのね」

「いや、今のは俺じゃないんだが」


 べちょり。


 冷んやりとした大きな滴がジミオの頭に直撃し、彼の体はネバネバな液体に覆われた。


「ちょっと暗くなってきたわね。雨でも降り始めるのかしら」


 この感触、明らかに水ではない。空も先ほどから変わらずに快晴である。となると……、この影は雲によって投影されたものでもない。

 ジミオが恐る恐る振り向き背後を確認すると、小さなゴブリンらしき魔物が両腕を広げたまま空中に浮かんでいた。瞬きをしていないので死骸だと思われる。


「なぜ浮いているんだ?」


 ジミオはドワーフに向かって手を差し出すが、ぷにょっとした見えない何かが彼の手を押し戻してしまう。まるで透明な寒天に包まれているかのようだ。


 べちょり。


 今度の水滴はペリアの頭上に墜落した。


「き、気持ち悪い……けど、結構美味しいわね」


 口周りに粘着している、ぬるぬるしたミステリー液を舐める彼女を卑猥な妄想に浸りながら見守るジミオ。腹が減っていたので彼もついでに液体を一舐めしてみる。ゼリーのような味だ。ならば、この事態の真相は容易に思いつく。


 ジミオはペリアの腕を掴み、強引に引っ張りながら全速力で走り出した。


「ちょっと! どうしたのよ? というか、今にも倒れそうだったんじゃなかったの?」


 ペリアはジミオの手首を乱暴に振りほどいた。


「あれはこの森の主、ゼラチンスライムだ! 逃げないと、あのゴブリンみたいに食われるぞ」


 後ろからは森の木々が根こそぎ薙ぎ倒されてゆく音が響く。奴が動き出したのだ。

 ジミオはもう一度ペリアの腕を引っ掴もうと手を伸ばすが、さっとサイドステップされて指先すら触れられずに躱された。


「丁度いいじゃない。今、ここで倒すわ」

「冗談じゃない、命が惜しいのなら今すぐ逃げるべきだ」


 ジミオは必死にペリアを説得しようと忠告するが、その言葉は馬の耳に念仏。彼女の意思は揺るがないようだ。


「怖いのなら、あんたは隠れていなさいよ」

「こ、怖い? そんなわけないだろ!」


 安い挑発に乗せられるジミオ。

 彼はとりあえずゼラチンスライムの地面を這う音が聞こえて来る方角に振り向き、ボクサーのように拳を構えた。


「来るわよ!」


 気色悪い爆音と共にゼラチンスライムは、再びその滑らかで透明な巨体を現した。

 透き通った腹のなかでは大勢の雑魚魔物が苦しそうにもがいている。周囲に構わず猛進し続けた主に巻き込まれたのだろう。


「一撃で決めるわよ!」


 魔法アイテムは効かないと言っただろ、と言わんばかりにジミオはペリアに呆れ顏を向けた。

 ペリアは左腕を真っすぐに前方へ差し出し、右腕をボールを投げる直前のような位置へ引き戻す。そして左足で手前の地面をどすこいと踏みならした。


「どっこーい……」


 ペリアは掛け声と合わせて体の重心を後ろから前へと運び、ゆっくりと右手を左手の裏に重ね合わせる。


「せ!」


 一瞬、時が止まったかのようにゼラチンスライムが硬直した。しかし、すぐに何事もなかったかのように怒涛の前進が再開する。

 ジミオは逃げようと頭を反転させるが、下半身が恐怖に駆られて両足が切り株のようにがっしり地面に張り付いている。終わった、と彼は思った。

 その一方でペリアはびくとも動じておらず、誕生日プレゼントの箱を開こうとする子供のような、期待に溢れた視線でゼラチンスライムを直視していた。


「だから魔法は効かないって言った――」


 そうジミオが言いかけた瞬間、ゼラチンスライムは爆発四散した。


 唐突すぎて意味がわからないが、まさに言葉通りの光景だった。内部に閉じ込められていた魔物諸共、一瞬でゴールドや煙へと浄化されたのである。

 ジミオは口をあんぐりと開けてペリアを見つめた。言いたいことはたくさんあるのだが、顎が外れていて声を発することができない。


「呆気なかったわね、この森には雑魚しかいないみたい。どこまで行けばもっと強いのに出会えるのかしら」

「どういう……な、なぜ……き、君は……」


 頭の中が遊園地のティーカップ並の速度で回転していて、口が思考に追いつけない。


「だから、ちょっと気を放っただけよ。さっきも言ったじゃない」


 とんでもない怪人と出会ってしまった事をようやく理解するジミオ。


「今のところ、あたしの一撃に耐えたのはあんただけよ。人間の割にはかなり丈夫なのね。これまで戦ってきた人間は全員粉々になってたわ」


 ジミオは泡を吹いて気絶してしまった。

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