第二話 ここって秘められた能力が覚醒する場面だよな?

 森林は美しい緑に覆われていた。魔法の効力か、千年樹のみで構成されているのかは定かではないが、この森の木々は年中葉っぱを落とさない。だが、誰もが理由を推測するならば前者を選ぶだろう。

 なぜならば、この森はダンジョンであるからだ。

 ダンジョンとは、この世のあちこちに散りばめられている魔力原子まりょくげんしが、多大な量で一箇所に集められて結晶化した姿だ。内部にはありとあらゆる種族の魔物が群がっており、魔境の空間は混沌に包まれている。


 そこへジミオは躊躇なく踏み込んだ。食い意地とは恐ろしいものである。


 今朝の戦いで苦戦したもっちりスライムの集団が待ってましたとばかりにジミオに襲い掛かるが、空腹に操られているジミオの目にそんなものは入らず、彼は無意識に両手両足を大きく振って迫り来る敵を跳ね除けた。

 だが一難去ってまた一難、次々とゴキブリのように湧く新手の魔物が、彼を狙って打撃や飛び道具を嚙まそうとする。

 しかし、がむしゃらに森を走り抜けるジミオは、そんな敵を一切気にかけずに通り過ぎてしまうので、魔物達も飽きてしまったのか彼を無視するようになった。


「大樹って食えるのかな?」


 大樹の前に到達。なんとか目的地まで辿り着いたのだが、空腹に苦しむ彼は、そんな素朴な感想しか思い浮かべられないほど余裕がない。大樹はきっと美味しくはないだろうが、今の彼ならそれを簡単に食すことができていただろう。

 ジミオの呟いた言葉に怯えているのか、大樹の茂みがふさふさと揺さぶれている。


「そうだっ! ここら辺にゴールドが落ちているはず……」


 ようやく我に返り、細心に辺りを見渡す。目の届く場所に光る鉱物は一寸たりとも落ちていない。他の冒険者に先を越されてしまったのかもしれないと思い、彼は落胆した。

 だが、危惧すべきは金の安否ではなく自身の安否であった。念入りに地面を凝視していたジミオが顔を上げると、おびただしい数の人食い草が彼の周囲を取り囲んでいたのだ。


「テッ、テラネペンテス!」


 日々の勉強がついに功を成したらしく、彼は運良くこいつらの生態を把握していた。

 テラネペンテス。走行速度は低いが、蔓を上空で蛇のようにくねらせながら仲間に合図を送り、動作の遅さを数で補って獲物を集団で取り囲む。そうやって獲物を狩りつくすのが、テラネペンテスの主な捕食方法である。炎属性の魔法が弱点だが、それは魔法を使えないジミオにはまったく意味がない知識だった。


 そろりそろりと接近してくる人食い植物を前に、腰を抜かしたまま無様に呆然と座り込んでいるジミオは抵抗する余地が無い。

 歩幅で数えて5……4、3、2、1。

 もう敵は目前まで迫っている。ジミオは助けを呼ぶために声を発しようとするが、恐怖に駆られていて喉からは掠れた音しか絞り出せなかった。


 これまでの人生が走馬灯のように映し出される。


 近所の人に嘲笑われる自分。

 告白したが振られる自分。

 もっちりスライムに敗北する自分。


 ろくでもないハイライトのオンパレードである。


 ――ほんと、ろくなことがなかったよなぁ……。


 絶望に心境を覆われた彼には、もう希望の欠片すら残っていない。


 ――凡人の人生なんて呆気なく終わっちまうものなんだなぁ……。


 ジミオはもう生き延びようとする心意気を完全に失いつつあった。


 ――さっさと俺を食って、この生き地獄から解放してくれ!


 一飲みで食われて痛みを軽減するために、体をダンゴムシのように丸めるジミオ。抵抗しない敵を珍しく思ったのか、テラネペンタス達の動きが一瞬鈍る。

 しかし、残念ながらジミオにはその隙を突ける気力も体力も残ってはいない。


 罠では無いと感づいたのか、一体のテラネペンテスがジミオの正面まで這い寄り、触手で彼の胴体をがっしりと掴んだ。ざらざらとした蔓の表面に横腹の皮膚を擦り切られ、ジミオは音の無い悲鳴を上げる。

 すると、天と地がひっくり返されるような強い引っ張りに見舞われ、驚いたジミオは少し瞼を開いた。

 彼は空中から逆さまに吊られていたのだ。


 テラネペンテスの頭上から目視できるあんぐりと開いた口の中は小さなトゲに覆われていて、とても居心地が良いとは思えない。胃液で消化されなかった数個の頭蓋骨が内部からじろりとジミオを恨めしそうに睨んでいる。

 どうかテラネペンテスの酸液が即効で俺の体を溶かしてくれますように、とジミオは祈った。


「あんた、何やってんの?」


 ふと、ジミオの視界の横隅に同い年ぐらいと思われる、赤毛の女の子が現れた。彼女はテラネペンテスに囲まれているというのに、のんびりとジミオを見上げながら首を傾げている。


「見ればわかるだろ。こいつに食われかけてるんだよ」


 言うまでもないことだったが、つい答えてしまった。見覚えが無い娘なので、恐らく余所者だろう。自慢ではないが、ジミオは村の若い女性の名前と容姿を一通り知り尽くしている。(ちなみに、その中でジミオの名前を存じている者は一割にも満たない)


 死ぬ前に彼女も心の手帳に記しておこうと、ジミオは赤毛の女の子をじっくりと観察する。

 髪はショートカットでばらつきのある癖毛。服装は明るい色のタイダイ柄シャツに、ふんわりとしたフリル付きの白いミニスカート。そしてなぜか裸足である。


「ん?」


 ジミオは思わず声を漏らした。見間違いかと困惑したが、瞼をぱちくりさせてもそれは消えない。

 彼女の背中には虹色に煌めく蝶々のような羽が生えていたのだ。


 彼女に声を掛けようと口を開くと、突然に体が楽になり、テラネペンテスの口が大きく伸び広がっていくように見えた。

 飲み込まれるのか、と気づいた頃には辺りは新月の夜よりも暗くなっていた。


 諦めによって恐怖が欠落していた訳ではないのだが、ジミオは少し安堵した。これで長らく続いた苦しみも終わるのだろう。両腕両足が燃えているようにヒリヒリするが、もうしばらくの辛抱だ。そうすれば死という形で全ては収束される。


「ほーっい、ぽん」


 意味がわからない掛け声が響き渡る。すると、何か見えない力にシンクロするように体内が僅かな振動を始めた。

 その揺れは徐々に強くなっていき、胴体から四脚が引きちぎられそうな痛みがジミオを襲う。これを消化液の効力だと思い込んだ彼は、激痛に耐えながら酸液の中で必死にもがいた。かき混ぜると塩が水に溶けるように、自分もさっさと溶けて無くなってしまえと願いながら。

 だがその願いは叶わなかった。

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