第一話 旅立つ……はずだったんだが

 彼は世界を変えたいと思っていた。


 転生者の増加、転移魔法の一般化による、神の加護を受けし者チーターの増加に伴い、勇者の概念はもはや一種の職業と化してしまい、裕福層が雇う便利屋のようなものになっていた。

 おかげで貧民と富民の差はどんどん広がっていき、庶民派貧困スパイラルから逃れられな苦なり、裕福層はどんどん金を蓄えぶくぶくと太っていった。

 現代の勇者は、ジミオが幼い頃に読んで憧れた、絵本に描かれた正義の味方とはかけ離れたものだった。 


 彼はそれを許せなかった。彼はこの社会を書き換えたかった。だから、自ら勇者になるための努力をした。


 勇者試験に受かることは、転生者ではないジミオには無理だった。だが、別に正式な勇者にならなくても、偉業さえ成し遂げてしまえば、人々は彼を勇者として認めてくれるはず。そう信じていたジミオは毎日欠かさず筋トレを行ない、読書で魔法や薬草や魔物などの知識を必死に会得しようと努力した。

 彼は勇者に成りたいという一心を貫き通すためなら、命だって惜しくないと思っていた。


 しかし、残念ながら彼には勇者の夢に見合う才能などは到底無かった。頭脳は平均以下、恐ろしいほどの運動音痴、おまけに魔法に対する潜在能力は皆無。そのせいで、彼がいくら努力しても何も実を結ぶことはなかった。

 そんな彼を他の村人達は「口だけ勇者」と罵り、あざ笑った。


 だが、それでも夢を諦めなかった彼は――今日旅立つ。


*****


 ――もっちりスライム、確かここら辺に生息する魔物の中では最弱のはず。図鑑には幼女でも握りつぶせるって書いてあったな。これなら俺でもいける!


 彼はバイトを長年続けながら、少ない賃金を必死に貯め、ついに入手することができた新品の剣を両手でぎゅっと構える。ギラギラと照る太陽の光が剣に反射し、その初陣的な輝きをさらに倍増させていた。

 天気は晴天、気分は好調、敵は弱小、物語的な負けフラグは一本も立っていない。絶好の戦闘日和だ。


「てやぁ!」


 渾身の突きがスライムの中心に噛ませられると、グサリと生々しい音が彼の耳に伝わった。

 手応えありだ。


「やったか?」


 恐る恐る、瞑っていた瞼を開く。剣は見事にスライムを貫通していた。そのまま、キャンプファイヤーでこんがり焼いたら香ばしいマシュマロになりそうだ。だが、彼にはそんな奇態な食趣味は無いので剣を引き抜こうとする。


「……あれ? 剣が――」


 剣は抜けなかった。どうやら、スライムに嵌まってしまったようだ。脚を踏ん張って、必死に唸り声を上げながら柄を引っ張るがびくとも動かない。


「おっかしいな……って!」


 死んでいたと思われたスライムが突然動き出し、餌を捕食する蛇のようにズルズルと刃を上ってくる。白いゲル状の汚物が彼の足元に飛び散り、じゅわーっと毒々しい煙が舞い上がった。


「ひっ、ひえー!」


 彼は一目散に逃げ出した。


 散々な旅立ちである。あれだけ村の連中に三日も持たないだろうなとバカにされていたのを、全力で否定して見栄を張った彼だったが、結局一日で実家に帰宅してしまった。両親が帰って来たらどう言い訳をすればいいのか、目まぐるしく思考を回転させている勇者(自称)の醜態は見ているこちらまでもが恥ずかしくなる。


 ――母ちゃんなんて言うかな。母ちゃんだけなんだよな、俺のこと最初から最後まで期待しながら応援してくれていたのは。近所の人達からまた変な視線で見られるだろうな、あれだけ俺が自分の旅立ちを大ごとに仕立て上げたのだから。もういっその事、どっか遠い国へ行って死亡告知を捏造して送り返せば、正義のために勇敢に死んだと思われて家族の誇りにでも……。


 明後日の方向へと無駄な思案を続けていると、玄関から声や足音が響いてきた。彼の両親が畑仕事から戻ってきたらしい。どこかに身を隠せるものはないかと、周辺を即座に捜索する。


「はぁー、今日もくたくたよ」

「仕方がねえ、害虫が増える季節だからな。しっかり駆除しておかねえと、収穫量が減って税金が収められなくなるしよ」


 汗だくの二人は居間にどすりと腰を下ろす。押し入れの中の寝袋に挟まれて隠れている者の気配には気づいていないようだ。


「ジミオは今頃なにをしているのかしらね」

「あいつのことだ、そろそろ腹が減って帰ってくるんじゃねえか?」

「そんなわけないでしょ! あなたも自分の子供をもっと信用しなさいよ。あの子は体が弱いかもしれないけど、信念や心は人一倍の物を持っているわ。そんなにすぐ諦める訳がないじゃない。この貧しい村のために一生懸命がんばっているの。そんなことも理解できないあなたは父親失格ね」


 グサリと槍が心臓を貫いたような感触がジミオの心を襲う。


「ああ、お前の言うとおりだ。悪かった」


 「ごめん、お母さん。俺には無理だったよ」とジミオが押し入れの中でひっそりと呟く。


「そろそろご飯の準備をしないと。あなた、手伝ってちょうだい」

「わかったよ」


 二人が居間から出ていくと、ジミオはそっと押し入れの戸を開き、裏口から物音を立てずにそそくさと出ていった。何か食べ物でも持ち出そうかと彼は考えたが、罪悪感に押しつぶされて実行には移せなかった。


 ――俺にはもう帰れる場所が無いみたいだ。


 彼は途方に暮れていた。住む場所を見つけるにはお金が必要だ。そしてお金を貯めるには仕事が必要。だが、まともな技術を持たない彼は専門職には付けず、それを必要としない力仕事をするにも筋肉が足りない。魔物を狩ればゴールドが手に入るが、頼みの綱の剣を失ってしまった以上それも不可能だ。


「は、腹減った……」


 金がないので食べ物も手に入らない。食べ物がないと体が機能しないので働けない。結果、お金を稼げない。貧困スパイラルである。

 ジミオはあてもなく村の外側まで歩いてきたが、昨日から何も食べていないのでそろそろ限界が訪れそうだ。


「おいおい、その金の山を一体どこで拾ったんだよ」

「聞いて驚け。向かいの森でな、ゴールドをがっつり稼げる場所を見つけたんでい」


 ゴールド・・・・という単語にジミオは瞬時に反応した。道端にしゃがみこんで話をしている二人の青年から聞こえてきたのだ。盗み聞きするために、ゆっくり歩き去る通りすがりを演じながら全力で彼らの言葉に耳を立てる。


「入口から真っすぐ三十分ほど進むとでかい樹木があってな、そこから噴水みたいにわんさかでてきやがった」


 金が噴水のようにわんさかでるのか、とジミオは考えながら、それで買える食べ物についての妄想に浸りだす。腹が既に脳を完全占領してしまったようだ。


「ほほお、それで敵はどのぐらいの強さよ?」

「お前には無理でい。相当強いテラネペンテスだ。まあ機動力が無いんで、遠距離から俺様のライフルで撃てば余裕だったがな、ガハハ」


 ティラミスとワッフルが美味しそうだなあ、と意識が朦朧としているジミオには、もうこの二人の言葉が届くはずもない。

 武器を持たずに魔物に挑むのは自殺行為そのものだが、食を欲する本能にしたがって彼は森へと足を進めた。食い意地の塊と化した彼は、もう何者も止めることはできない。

 ……まあ、正確には彼を止めようとするほど、彼を気にかけている人物がいないだけだが。

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