唯剣、無剣掃討。
魔術試験を終えた後、ロアン、ディアーロ、フレイの三人はそのまま帰路についた。
近々さっそく学科の試験があるので、その勉強のためである。
勉強を教えるという話については、二人が各自でやった上で分からないところを師事する、という方向で落ち着いた。
流石に一から教えるのは骨が折れる。
とはいえ、二人が自習して出来る範囲など正直、たかが知れていた。
ロアンは様々な覚悟を胸に、少しでも自分の勉強を進めておこうと早々に机に向かった。
家で机に向かい、学院で机に向かい、また家で机に向かい――数日が経過して。
学科試験が近づき、学院の中はピリピリとした雰囲気を漂わせていた。
もっとも、学科試験に限る話ではない。
どの試験前でも同じである。
ロアンの教室の中も同様に、休憩時間ですら私語があまりない緊張感に包まれていた。
ほとんどの学生たちが机に向かい、教本とにらめっこをしている。
ロアンもロアンで、他の人よりも緊張感がないとはいえ、机で静かに勉強をしていた。
彼が
周囲の雰囲気に呑まれないよう、完全に自分だけの世界に入り込んでいた。
そんな休憩時間を終え、講義が始まる。
「では教本の八三
一日の講義を終え、帰る準備を済ませると、ロアンは早々に教室を後にした。
帰ってもどうせ試験勉強しかすることが無いのだが、彼にとって学院はそれほど長居していたい、と思う場所ではなかった。
いつもならフレイが駆け寄ってきて、そのまま一緒に帰るのだが、今日はその気配が無かった。
ロアンとフレイはクラスが違う。
それも当然の事で、二人の成績には隔絶した差があるのだ。
この学院において、生徒を評価するのは戦闘技能だ。
更に具体的に言うと、魔術>技能>学科の順に評価されていく。
たとえ学科で抜きんでていても、魔術と技能のどちらかでトップを取っている者と比べると、雲泥の差が出来てしまうのだ。
定期テストと小テストが成績に与える影響の差、と言えば分かりやすいだろう。
学力という一面ではトップクラスのロアンだが、魔術と技能の双方でトップクラスのフレイには総合成績で遠く及ばない訳である。
フレイが来ないことを珍しく思いながら、ロアンは学院を出た。
彼女は立場上多忙な人だ。
おそらく何かしらの用事に捕まったのだろう。
学科試験も近いため、少しでも勉強をしておこうと、最近見つけた路地裏の近道を選択。
薄暗い上にあまり綺麗ではないため好んで通りたい場所ではないが、しばらくは我慢だ。
「今日は何から手を付けようか……」
「――よぉ、落ちこぼれのロアンくん?」
突如後ろから掛けられた声に、ロアンは立ち止まり硬直する。
ゆっくりと後ろを振り向けば、同じクラスの男子生徒三人が立っていた。
声の主はその中心に立っていた男で、彼は一歩前に踏み出して声を投げてくる。
「今日はどうもありがとうな? わざわざ俺の尻拭いしてくれて」
「尻拭い……?」
ロアンは今日一日を振り返り、男子生徒の言葉に該当する出来事を探してみる。
「あ」
今日最後の講義だった。
目の前に立つ男子生徒が問題を出され、正答を出せず、あまつさえ見当違いな回答をしてしまった後。
「答えられる者は?」という教員の問いかけに挙手したロアンが、容易く解答をしたという一幕があった。
おそらく彼はその時の事について言っているのだろう。
そこまで思考が追い付いてから、ロアンは現状の悪さに気が付く。
男の声音には感謝の念など一切感じられない。
むしろその逆。
まるで自分を小馬鹿にするかのように簡単に解答してみせたロアンへの、苛立ちの気配を感じ取れた。
「チッ、ふざけやがって。テメェのせいで俺が低く見られちまうじゃねえか。落ちこぼれロアンよりも下だってな!!」
おそらくそれはタイミングの問題でもあったのだろう。
現実的な話をすれば、ロアンよりも学科の成績が悪い人等沢山いる。
だから学科という一面だけ見れば、ロアンよりも下なのはおかしい事ではないのだ。
しかし今日の一幕。
男がみっともない間違いをしたその直後に、ロアンが完膚なきまでの正答を叩きつけたのが悪かった。
総合成績では真ん中よりも上にいる男へ、当てつける様に落ちこぼれのロアンが答えたのが悪かった。
「テメェ、俺より上だとか勘違いしてんじゃねえぞ? それともなにか? まさか俺を貶めるためにでしゃばった訳じゃねえだろうな」
「……そんなつもりは」
「ああ、いい。なんも喋らなくていい」
男は手を突き出してロアンの言葉を制止する。
そのままゆったりと前に向かって歩き出した。
「結果として俺はとんだ赤っ恥を掻いたわけだ」
ロアンは男から逃げる様に後ろを振り向くも、そちらにはいつの間にか道を塞ぐように別の生徒達が立っていた。
ここは一本道、逃げ場は無かった。
総勢五人に囲まれたロアンは、呆然と男の方に振り返る。
直後、腹部への衝撃が走った。
「ごほッ!?」
痛みによって全身から力が抜け、膝から崩れ落ちて腹を抑える。
だらしなく涎が垂れ、何度も咽てからようやく顔を上げたロアンは、苛立ちを湛えた男と視線を交わした。
彼は嫌らしい笑みを浮かべて言った。
「ちとしばらくの間、サンドバッグになってくれ――よっ! と」
硬い感触、衝撃、そして痛み。
ブーツで身体を蹴られているのだろう。
どうしてこんなことになってしまったのか、もっと考えて行動すればよかった。
そんな後悔ばかりが頭をよぎる。
別に彼の恨みを買うつもりなんてなかったし、勘違いしたわけでも貶めようと思ったわけでもない。
しかし、結果的にはそういう形になった。
きっと答えたのがロアンでなければ違う結果になっていただろう。
ならば何が悪いのか。
ロアンが弱者だということだ。
ロアンが、他者から低く見られる落ちこぼれであることが、この一連の出来事の原因であり。
覆しようのない現実だった。
(――ぼくも男なら、一発ぐらいやり返す方が良いんだろうけれど)
蹲り、頭を抱えながら。
(何も抵抗しない方が、きっと早く終わるだろうし)
ロアンは自嘲気味に思う。
(黙って現状に甘んじよう)
そんな結論に、身体に受ける痛みと同等の痛みを感じながら、時が過ぎるのを待つ。
弱者には、納得のいかない現実を変える力なんて備わっていないのだ。
否定する事も、拒絶する事も出来やしない。
ただ、受け入れる事しか出来ない。
落ちこぼれというレッテルを貼られたロアンが持っているのは、量だけは凄まじい魔力と――、
「相変わらず気持ちわりーなぁ」
男は蹴るのをやめて、蹲るロアンを見下ろした。
「こんだけやっても、
硬いブーツで蹴られ続けたロアンの身体には、打撲は勿論、肉が裂けて出血だってしていてもなんらおかしくはないはずだ。
しかし、彼の身体には傷の一つも存在していなかった。
何故なのか。
それはロアンが、フレイと同じ『魔法使い』であるということ、ただそれに尽きる。
「どんな攻撃を受けても傷が付かない魔法。英雄ハルトと同じ魔法、か。そんな大層な魔法も、戦う力を持たない落ちこぼれが持てば宝の持ち腐れ。まさにサンドバッグだよなぁ?」
傷が付かない訳ではない。
正確には、傷付いた瞬間に治っているだけだ。
そして、傷が付くということはつまり痛みが生じるため、今も見かけ上は無傷だが相応の痛みが身体中を蝕んでいる。
そんな。
確かに、戦えないロアンが持っていても何の意味もないような、魔法。
(――何も、否定できないな)
それに、考えようによっては全く役に立たない訳ではない。
例えば。
今みたいな状況で、どれだけ酷い事をされても。
痛みさえ耐え、意識さえ保てば、死ぬ事はないのだから。
「まあ、こっちの鬱憤晴らしには丁度良い。まさにもってこいの魔法だぜ。よかったなぁ? 役に立てて」
衝撃の再開。
一体いつまで続くだろう、はやく終わらないかな。
もはや痛みも感じない程全身も麻痺してきた。
そんな時だった。
「……アンタら、何やってんだ?」
声がした。
ロアンを蹴っていた男達の動きが止まり、声の方へと目を向ける。
ディアーロ=ブレイヴリィ。
ロアンの親友ともいえる男が、道の向こうに立っていた。
「アンタらが囲んでいるのは、オレの大切な友達のように見えるんだが、気のせいじゃないよな?」
「テメェ、どこの――」
「――答えろよ。先に質問したのはこっちだ」
ディアーロは表情こそさざ波一つない湖面のように静かだが、その眼には怒りを湛えていた。
一歩づつ歩み寄ってくるディアーロ。
問答に苛立ちを覚えた男は、連れてきた生徒の一人に合図を送る。
それ受けた生徒は一人、ディアーロに向かい寄って言った。
「悪いけど、君の友達は今取り込み中だからさ。何も見なかった事にして帰ってくんないかな?」
「取り込み中? なら教えてくれよ。一体どんな理由があってオレの友達は囲まれて袋叩きにされてるんだ?」
怯まずに言葉を返してきたディアーロに一瞬たじろいだ生徒は、なんて答えるべきか迷って男の方へと振り向く。
答えられる筈がない。
ありのままに事実を話せば、単なる逆恨みだと一蹴されてしまう。
自分たちが逆恨みで行動しているという事くらい理解している。
何も言えずに黙っていると、ディアーロはその生徒の眼前に自分の顔を近づけ、至近距離で再び尋ねる。
「教えろよ。ロアンが、アンタらに、一体どんな悪さを働いたんだ?」
「――うるせえッ!!」
とうとう我慢できなくなった生徒は怒鳴り声を上げると、握り締めた拳を振りかぶった。
「はぁ」
ディアーロは敢えて聞かせる様に大きく溜息をつくと、自分の頬目掛けて突き出された拳を掌で受け止め、相手の攻撃の勢いを殺さずに
「なっ!?」
バランスを崩す生徒の足を蹴り払い、更に拳を引いて地面へと叩きつける。
その一連はまるで流水の如く。
背中から叩きつけられて息が出来なくなった生徒が咽るのを無視して、ディアーロは声を上げた。
「おーい、ロアン」
「……なんだよ、ディアーロ」
「お前、コイツ等に何かしたのか?」
真っ直ぐな質問に思わず笑みを浮かべてしまってから、ロアンは答えた。
「何もしてないよ。強いて言うなら、この人が解けなかった問題を解いたくらいかな」
「――ははっ。なら、友達ってこと抜きに力を貸してやる」
ニヤリと笑みを浮かべたディアーロは、男達の方へと一歩づつ近づいていく。
その姿はあくまで自然体。
一切身構えたりもせず、身体に何処か力んでいる部分も無い。
それは、どんな攻撃をされても安全にいなすことが出来るという自信の表れだった。
「テメェ、あんまり調子に乗ってんじゃねえぞ……!」
苛立ちが頂点に達したのか、男は右手を前に突き出した。
魔力練成、術式演算。その掌を起点に、薄らと赤色の魔方陣が浮かび上がる。
魔術行使の表れだった。
「いいんだな?」
「なんだと?」
魔力装填という工程を済ませば魔術を使える、という状況までいった男に、ディアーロはあくまでも静かな声で聞く。
「これ以上何もしないなら見逃してやる。でも、アンタが魔術を使うってんならオレも本気で相手をする事になるが、それでもいいんだな? って聞いたんだよ」
直後、ディアーロの身体から猛烈なまでのプレッシャーが吹き荒れた。
ただ背中に差された二本の剣の柄に両手を添えただけなのに、それだけで男達の足が竦んだ。
威圧に晒された男達の内一人が、そこでようやく気が付く。
「アイツもしかして、
「なに……?」
「蒼い髪に金の瞳、二本の剣を背負ってる……間違いない、
突然狼狽え出す生徒に怪訝な顔を浮かべる男。
「あちゃー。君は中々の情報通だな。そう、知ってる人は知っている、オレこそが
突然ふざけたような声音で自己紹介を始めるディアーロだが、その目の温度は全く変わっていない。
やるならやるぞ? そんな意志を感じ取れた。
ディアーロの正体に気が付いた生徒が一歩、大きく後ずさった。
「もうここらでやめとこうぜ。唯剣には敵わねえよ」
「そうだよ。見ただろ、アイツが簡単にあしらわれたの」
「チッ」
その言葉に耳を貸したのか、男は魔方陣を解く。
投げ飛ばされた生徒と合流してから、男の仲間達は背を向けた。
最後までディアーロを睨んでいた男は、再び舌打ちをしてから、最後に一発ロアンを蹴ろうとして――ディアーロの拳に吹き飛ばされた。
背を向けていた仲間達に身体ごとぶつかり、雪崩のように倒れ込む五人。
一瞬呆然とした生徒達だが、すぐに状況を把握したのか慌てて立ち上がり、気を失う男を引き摺って走り去っていった。
その脱兎の如き後姿を見て、ディアーロは溜息をついた。
「ホント馬鹿な奴。最後に一発とか、それを許すとでも思ったのか?」
やれやれ、と肩を竦めて、ディアーロはロアンへ手を差し伸べた。
「大丈夫かーロアン? そうとう酷くやられたみたいだけど」
ディアーロの言葉は当てずっぽうなんかではない。
ロアンの身体に傷が一つも無くても、彼が着ている服はどれほどの暴行を受けたか如実に示していた。
ディアーロの手を取り立ち上がってから、ロアンは服についた汚れを払う。
「……まあ、大丈夫だよ」
「そうか」
何も聞いてこないディアーロの距離感が、今はとても心地よかった。
二人は路地裏を出て、人通りの多い道を進んでいく。
「そういえば、今日はお姫様と一緒じゃなかったんだな」
ロアンとフレイがいつも一緒に帰っている事を知っている彼としては、至極真っ当な疑問だろう。
ディアーロも方向的には同じなので、一緒に帰ろうと何度か誘っているだが、何かを遠慮するようにいつも断られていた。
「うん。いつもなら、講義が終わった後すぐに来るんだけど、今日は来なくてさ」
「珍しい事もあったもんだな。でも何もおかしくはないか。なんてったってあのお姫様だからな。多忙なんだろ」
「……そうだね」
またの名を、
彼女はあの歳で、既にこの国の重要人物なのだ。
ロアンと登下校を共にしたり、一緒に勉強を出来ている事の方がおかしい存在である。
(落ちこぼれのぼくとは、住んでいる世界が違うんだ)
「ロアン?」
気が付けば自分の家まで帰って来ていた。
そこで聞いたのは、馴染みのある、しかし遠い存在になってしまった女の子の声。
「フレイ、先に帰ってたんだ」
「おいおいお姫様、ロアンが落ち込んでたぞ? 『今日はフレイが来なかったー』ってな」
「ちょ、ディアーロ!!」
二人の問答を眺めてキョトンとしたフレイだったが、すぐ申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「ごめん、ロアン。今日は
「あー、なるほどね。そりゃ一緒に帰れないわ」
都市に近づき過ぎた魔物の掃討。
フレイは魔法
どうやら今日も役割を全うしてきたらしい。
「それにしても……ロアン、その格好、どうしたの?」
「え?」
フレイはロアンの汚れた格好を眺めると、いつもの眠たそうな瞳に疑問の色を宿した。
言われてようやくその事に気が付いたロアンが、なんて答えたものか考えていると、
「いやあ、オレと少しじゃれてたら、コイツがすっ転んでさ。路地裏通ってる時だったから、地面も汚くてこうなっちゃったんだよ。な、ロアン」
「え? ……あ、あぁ、うん。そうなんだ」
路地裏で男子生徒達に袋叩きにされていた、だなんて知られるわけにはいかない。
自惚れではないが、それを知ったらフレイは怒るだろうし、きっとこうも思うだろう。
『わたしがいっしょにいれば、そんなことにはならなかったのに』
――そんなのは、あまりにも、情けなさすぎる。
(いや、あながち間違いじゃないか)
自分でも理解しているほどに、自分は酷く情けなかった。
フレイやディアーロと一緒にいるが故に、より一層そう感じられる。
二人は凄い。
それに比べて自分はどうだ。
この国の素晴らしい英雄二人の間に生まれた、という肩書を持ってはいても、蓋を開けてみればその実は落ちこぼれだ。
――仕方がないじゃないか。才能がないんだから。
劣等感だって勿論ある。
でも、出来ないものはしょうがない。
自分は持たざる者で、フレイやディアーロは持つ者だった、ただそれだけの事である。
なら自分は、自分が出来る事をはき違えず、自分の小さな器に見合った世界で生きていけばいい。
殻に籠もるのは心地がいい。
外の世界は危険がいっぱいなのだから。
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