第1章 少年、自己嫌悪
少年少女、英雄序章。
天気の良い朝だった。
カーテンの隙間から太陽の光が差し込み、外から小鳥の鳴き声が聞こえてくる。
陽気の中にゆったりとした涼しさの漂う早朝。
そんな中、布団にくるまる一人の少年は無造作に右手を伸ばし、カーテンの隙間を閉めようと試みる。
しかし中々カーテンの裾をつかめず、腕は彷徨うばかり。
寝ぼけ眼を擦りながら苛立たしげに唸り声を上げた彼は、ようやく布の感触を得て表情を緩ませた。
――その直後に、その手に鋭い痛みが走って再び表情を歪ませる。
「ぎぃっ、痛たたたたた!!!?」
微睡の中にあった意識が急激に覚める。
眠気が吹っ飛ぶような鋭い痛みに、少年は勢いよく起き上がった。
薄らと青みが掛かった白い髪は寝癖でボサボサになっており、透き通るような青色の瞳には薄らと涙が浮かんでいる。
少年――ロアン=スレイヴァースは、痛みの原因である小さな妖精へ声を荒げた。
「痛いだろアリー! なにも全力で抓る事ないじゃないか!!」
視線の先。
つまり右手の甲には、その皮膚を小さな手で抓り上げる少女の姿があった。
正確には、少女ではなく"極少"女とでも言うべきか。
手のひらサイズの女の子がそこにいた。
妖精。
小さな体に半透明の羽が特徴的な霊有種である。
アリーと呼ばれた妖精は、短い糸でまとめ上げた金色のポニーテールを揺らしながら、小さな頬を膨らませて言った。
「ロアンがしれっと二度寝を敢行しようとするから悪いのです! まったく、アラームの法具も起動していないし、いい加減私に起こしてもらえばいいという考えは捨ててください!!」
「ぐっ」
ロアンは白いワンピース妖精のごもっともな言葉に、唸りつつ反論する。
「べ、別にアリーに起こしてもらうって算段じゃなかったし! 今日に限ってはそうじゃなかったし!! ぶっちゃけ起きれなかったら起きれなかったでよかったんだし!!!!」
「はいー? どの口が言うんですか! 今週は既に何回私から起こされてると思ってるんです!? せめて週末の日くらい自分で起きてほしかったんですけどね!! 私はロアンの母親でも目覚まし時計でもないんですから!!」
アリーはそう言い切ってから、眉を顰める。
「というか、起きれなかったら起きれなかったでいいって……ハッ!? まさかロアン、今日が魔術行使の試験だからって、寝坊を口実に休もうとしていましたね!?」
「ぎくっ!? ナ、ナンノコトカナー?」
「しらばっくれても無駄ですよ。ええ、間違いありません。今日は魔術行使の試験日です!」
アリーは両手を腰に当てて視線をカレンダーに向けた。
その先には、今日の日付と、丸みの帯びた字で『魔術試験日』と記されていた。
ちなみにそれはロアンが書いたのではない。
アリーが小さな体で精一杯ペンを抱えて書いたのだ。
そもそもロアンはもっと角ばった字を書くし、そもそも忌々しい『魔術試験日』のメモを自分から取ったりはしない。
「……はぁ。ロアン、考えてもみてください。どうせ今日休んだところで、待っているのは余計に面倒くさい事になった再試験だけです。無駄に欠席し、無駄にやる事を増やすくらいなら、嫌でも出た方が良いんじゃないですか?」
「うぐっ、いや、まあ、そうなんだけどさ……」
『魔術』と付く事柄全てにおいて苦手意識を持っているロアンは、またしてもアリーの真っ当な言葉に唸りを上げる。
現実逃避気味に欠席を視野に入れていたが、冷静になってみるとどう考えたって休んだ方が厄介なことになる。
いくら再試験には衆目が集まらないとはいえども、だ。
「……ロアンが魔術関係の授業を休みたくなる気も分かります。ですが、ロアンが目指す先への近道は間違いなく学院なんです。一時の感情で自分の価値を下げるのは得策ではないと思いますよ」
真面目な表情で言うアリーに毒気を抜かれたロアンは、溜息をつきつつ言葉を返す。
「あー……準備しよっか……」
「その意気ですよ、ロアン。頑張りましょう、ね?」
小さな羽を羽ばたかせ、眼前までやってきて笑顔で言われてしまっては、ロアンだって笑みを漏らさずにはいられなかった。
あらゆる面で助けてもらっているアリーに、感謝の念を込めながら彼は言う。
「うん、そうだね」
あくびをしながら階段を下り、リビングへ出たロアンとアリーを迎えたのは一人の女性だった。
「あらロアン、おはよう。早く準備しないと遅刻しちゃうわよ?」
ゆったりとした声音。
聞いている人を安心させるような声だった。
輝くような銀色の髪は頭頂部でお団子にされていて、綺麗に切り揃えられた前髪の奥には、見る者を魅了するような碧眼が覗いている。
エプロン姿で台所へ向かう彼女は、ロアンの母親だった。
「おはよう母さん」
その姿を視界に捉え、返事をするのと同時にいい香りが鼻をつく。
完全に胃袋をつかまれているのだろう。
急速に空腹感を訴える腹を押さえ、ロアンはテーブルの適当な席へと座った。
正面に置かれた皿に盛りつけられた朝食を食べていると、階段を下りてくる足音。
視線だけでそちらを向けば、降りてくるのは背の高い男だった。
「おう、今日もいい匂いがしてるなぁ」
涙目であくびをしながら、瑠璃色の髪が生えた頭を搔いている。
無精ひげを生やしたその男は、この家の大黒柱にしてロアンの父親だ。
「……父さん、そろそろそのみっともない髭、剃ったほうがいいんじゃない?」
「んんー、自分で剃るのは面倒くさくてなぁ。母さん、後でお願いしてもいいか?」
顎をじょりじょりと触りながらロアンの正面に座った彼は、後ろ姿を晒す妻へ声を掛けた。
その言葉に振り向いた女は、困った風な顔を見せて、
「まったくお父さんたら、仕方ないわね。たまには自分でやってね?」
「ありがとう母さん。――愛してるよ」
「もう、誤魔化されないわよ? ――でも、私もよ」
二人は見つめ合い、ピンク色の空間を作り出す。
「それは誤魔化されてるんじゃないのか?」という母への言葉を我慢しつつ、ロアンは溜息交じりに溢した。
「ぼくの気も知らずイチャイチャしやがって……」
「正直、いつ十数歳離れの弟妹が出来てもおかしくないですね……」
アリーの言葉に一層大きなため息をついたロアンは、イチャイチャする両親を無視して準備を済ませ、静かに家を出ていった。
◇
コルリア王国、王都コルリア。
巨大な城壁に覆い尽くされたその場所には、四つの『学院』が存在する。
その役割は、戦術指導。
町の外へ一歩踏み出せば魔物が闊歩する危険地帯、というこの世界において、戦える者を育てるのは必須事項だった。
そして、四つある学院の内のトップ『ファーストリア学院』の一年生は本日、魔術実技の試験日である。
ファーストリア学院敷地内に建つ巨大なドーム型の建物――『修練場』へとロアン達は来ていた。
壁はある程度まで魔力衝撃を吸収する材質で出来ていて、その内側に結界の魔術を重ね掛けするという最大級の防御仕様。
中には正方形をした四つのフィールドが出来ており、そこにもまた個別で結界が張られている。
その修練場の一角で、試験を受けるファーストリア学院の一年生達が整列していた。
何度も見たこの風景に、ロアンはげんなりとした表情を浮かべて呟く。
「あぁ……本当に嫌だ……」
彼が着ているのはファーストリア学院の制服――とはまた違う、いわゆる『礼装』というものだった。
人は魔物と戦う時、何らかの魔術的
ただの布の服を着て戦う者はいない。
今ロアンらが着てるのは、中でも最も初歩的な
白と黒の意匠が凝らされた礼装を着る彼の隣で、似たような表情を浮かべた少年が言う。
「本当にな……この世から魔術なんて消えてなくなればいいのに」
蒼色の髪と金色の瞳が特徴的な男だった。
ロアンと同じ礼装を身に纏い、二本の剣を背中に吊るしている。
ディアーロ=ブレイヴリィ。
彼も彼で、世を恨むようにげんなりした表情を浮かべていた。
ロアンはそんな友人を横目に見ながら、
「魔術が消えたらそれはそれで困るでしょ……これがなければ、人間が魔物と戦い抜くことなんて無理に等しいよ」
魔術。
人に巡る魔力と言う名のエネルギーを使い、様々な現象を巻き起こす『技術』。
一応、魔術を含めた『戦う力』を学びに来ている二人なのだが、それぞれ事情があって魔術を嫌って――もとい苦手としているのだ。
真面目なロアンにディアーロは苦笑しながら言った。
「実にお前らしい返答だ」
そんな他愛のない会話を小声でしているうちに、整列していた生徒達の正面に一人の男が立った。
言わずもがな、彼らの教員にして魔術師である。
男は低い大声をあげた。
「さて、これから魔術行使の試験を開始する!」
試験内容は簡単だ。
魔力の測定をした後に、的へ向かって魔術を行使するだけである。
とはいっても、使ってもよい術式は学校側から定められている。
市販の教本にも載っている汎用術式を基にした魔術のみ、という条件下で、どれだけの威力・効果を実現する事が出来るか。
主にその点が見られる。
決められたフィールドへばらけていく生徒達。
ロアンとディアーロもそれに倣って動き出す。
彼らは別々の班のため、そこで一旦別行動だった。
フィールドの中心に、白い光を放つ大きな宝玉が置かれた台座が鎮座している。
あれに手を当てることで、宝玉に組み込まれた術式が魔力に反応し、その魔力量によって発する色を変えるというものだ。
一人づつ名前が呼ばれ、生徒たちはそれぞれ宝玉の前に歩み寄っては手を触れていく。
様々な色で発光する宝玉。
ロアンはそれを眺めることなく、感情を押さえつけるように目を閉じていた。
やがて順番が回ってくる。
彼は一人フィールドに踏み出し、宝玉の置かれた台座の前に立った。
周囲にはたくさんの生徒たちがいるが、こんな淡々とした試験は見ていてもつまらないのだろう。
皆それぞれの友達と雑談などをして、視線を逸らしていた。
「……ふー」
大きく深呼吸をする。
そのままゆっくりと、両の掌を宝玉へと触れた。
光の色が変わっていく。
白、青、紫――黄色。
最も上位の魔力量を示す光を放った。
修練場内が黄色、味方によっては金色にも見える光に照らされる。
途端に、生徒たちの視線・関心がロアンの元へと殺到した。
あまりにも分かりやすい気配の数々にビクリと肩を震わせる。
だがそれは一瞬で霧散し、全く別のものへと変質してロアンへと圧し掛かる。
「なんだ、アイツか」「誰か魔力量が増えたのかと思ったのに、"魔力量しかない『落ちこぼれ』"のロアンじゃん」「ビックリして損した」「どうせあの子、今年も魔術行使はダメダメなんでしょ」「どうしてあの英雄二人からあんな子が生まれてくるのかしら」「そもそもアイツ、どうやってこの学院に入学したんだ?」「両親のコネかなんかじゃない?」「でもあの子、座学だけは出来るっぽいよね」「実技がダメだから座学を頑張る、典型的だな」
言葉の数々が、ロアンの華奢な身体を押し潰すかのように殺到する。
望んでいないのに、全てをなんとなく聞き取れてしまう自分の耳が憎かった。
誰が、どんな顔をして、どんな態度で言葉を発しているのか、なんとなく見て取れてしまう自分の眼が憎かった。
ロアン=スレイヴァース。
彼の両親の名は、ハルト=スレイヴァースとアリシア=スレイヴァース。
両者共に、この国における英雄の一角であった。
ハルトは、どんな戦いに出ても最後には傷一つない姿で帰ってくる、大剣使いの戦士だった。
その身には切り傷の一つすら浮かんでいないのに、身に纏う鎧は傷だらけ。
それは臆病ゆえに、何の活躍もしていない訳ではない。
鎧が頑丈で、最後の最後まで自分へのダメージは届いていない、という訳でもない。
彼は勇敢だった。
先陣を切り、得物である大剣と、得意とする強化魔術を駆使して道を切り開く。
魔術師として優れている上に人望も厚い、そんな男だった。
彼は多大なる功績を積み上げ、若くして『英雄』の二文字を勝ち取ったのだ。
アリシアは、世に少ない治癒魔術の使い手であり、その上純粋な攻撃魔術をも得意とした麗人だった。
彼女が救ってきた命、屠ってきた命は数知れず、その美麗な容姿も相まって人々からの人気も高かった。
心優しい性格を持ち、普段はおっとりしながらも、戦場へ出ると一変して鋭い気配を放つ。
彼女のいる戦場では死人が出ないとさえ言われていた、そんな女だった。
輝かしい功績を残し、一線を退いた二人は――やがて結ばれる。
そして。
二人から生まれてきた少年は。
才能ある魔術師であり英雄である二人の息子、ロアン=スレイヴァースは。
魔術の才能を、全く持っていなかったのだ。
素質が無い訳ではなかった。
下地はあり、しかし圧倒的に才能が無かった。
ファーストリア学院に入学した後、適性検査と呼ばれる試験にてそれは発覚した。
いや、ロアンはそれ以前から薄々知っていたのかもしれない。
学院に来る前。
生まれ育った故郷である小さな村で生活している時、彼は魔術行使を試みた。
英雄である両親に憧れて、自分もそうなりたいと願った故の行動だった。
だが、それは上手くいかなかった。
独学では無理なんじゃないか、と思った。
学院に入学したばかりの頃は、英雄二人の子だからと周囲から期待の目で見られていた。
話しかけてくる人もたくさんいて、全てとは言わないが好意的な感情を向けられていた。
しかし、魔術の適性が無い事が分かった途端。
それらは全て、反転した。
「……、」
水の中に閉じ込められたかのような感覚のまま、無情にも魔術行使の試験が回ってくる。
結果は言うまでもない。
適性検査からほとんど成長をしていない。
停滞した現実がそこにあった。
無理もないだろう。
そもそも彼は、もう"諦めている"のだから。
結果が伴わない、伴わない可能性が高い努力なんて、する人は相当の物好きだろう。
あるいは、それに縋るしかない者か。
ともあれ、それがロアン=スレイヴァースという男のこれまでであり、これからも変わらない人生の一端だ。
そんな事実から目を背けるように、ロアンは瞼を下ろしてフィールドを出ていく。
元々体格の良い方ではないが、その背中はより一層小さく見えた。
「よーう、やっぱロアン
声を駆けてきたのはディアーロだった。
どうやら、ロアンよりも先に終わって、彼の姿を見に来ていたらしい。
「わざわざ痴態を見に来るなんて嫌味な奴だな……」
「そう言うなよ親友。別に俺がお前の結果を見て笑いに来たわけじゃないって分かってるだろ?」
「まあそうだけどさ……」
ロアンは溜息交じりでそう言ってから、友人を横目で見た。
そこには普段と変わらないディアーロの姿がある。
表情に一切の陰りはなく、清々しいまでの自然体だ。
さっき経験したであろう辛苦を、ものともしていないかのような。
まじまじ眺めるロアンに、整った顔立ちをようやく顰めたディアーロは尋ねる。
「なんだよロアン。そんな、おかしなものでも見るかのような顔をして。俺の顔になにかついてる?」
「いや、そんなことはないけれど……ディアーロは平気そうだね」
「平気って……何がだ?」
心底不思議そうな表情を浮かべるディアーロ。
本当に、何の心当たりも無い様子だった。
それがなんとなく気に障って、ロアンは言った。
「ディアーロだって、今年も今日一日溝に捨てたんでしょ?」
「あー……俺が魔力を一切持ってない稀少児で、魔力が無い訳だからロアンと違って魔術が
「やけにぼくを煽る言い方するな」
ディアーロの言い分に思わず声の温度が下がる。
だが確かに、ロアンが言いたいのはそういう事だった。
ディアーロは魔力を一切持っていない。
ほとんどではない。
少ししか、というわけでもない。
過去にそんな人間がいたのか、という疑問については、確信を持って答えられる人はいない。
少なくとも、そんな存在を知っていると名乗り出たものはいなかった。
故に魔術は使えない。
魔術に対する対抗力も無い。
身体が魔力で構成されている精霊や妖精の姿も見えない。
今はこの場所にいないが、アリーの姿もディアーロには見る事が出来ないのだ。
「まあ……そういうことだよ。ディアーロは全然気にしてる風に見えないからさ」
「そりゃまあ、俺だって魔術が使えたら、魔力を持ってたらとは思う事もあるぞ? 凄いよな、魔術。どこにいても自分で火を起こす事だって出来るし、水を出して飲むことも出来る。暑ければ自分に風を送ることが出来るし、氷を出すことだって出来るもんな」
「
ロアンは少し呆れたような表情を浮かべてディアーロに言った。
彼のイメージだと、魔術を使える様になれば戦力や戦術の幅が向上する、とか言い出すと思っていたのだが。
反してディアーロは笑う。
「だってさ、叶わないし」
「え?」
「炎の玉をぶつけたり、氷の槍を投げつけたりってさ、もう俺にとっては夢のまた夢の様な話なんだよ。努力とか、そういう次元の話じゃないんだ。
「手が届かない……」
「そうそう。こと魔力にまつわる事象に関しては、俺の場合なにをしても無駄なんだ。土俵の外だ。だから、"どうせ出来ないけど、もし出来たらちょっと便利だなぁ"程度の事しか思いつかない訳よ」
そういうものなのかな? とロアンは思った。
感じ方は人それぞれなんだ、程度にしか思わなかった。
「だから俺は、お前が――」
そして、そんなディアーロの小さな独白を聞き取る事も出来なかった。
辛うじて何か呟いたのには気づいたロアンだったが、転じていつもの様子に戻ったディアーロに呑まれる。
「そんなことより、見に行かないか?」
「見に行くって……?」
ロアンは首を傾げた。
はたして、このタイミングで何か見に行くものがあっただろうか?
試験を受けている一年生は今、この修練場を出られない。
となると見れるのは精々、修練場の設備や試験を行っている生徒――もといその生徒の魔術くらいしかない。
「――あぁ、そういうことか」
思い当たる節があったロアンは、納得のいったように苦笑した。
修練場の設備なんて既に見飽きた。
必然、ディアーロが見に行きたいなどと言いだすのものは、一つに絞られる。
生徒の魔術行使見学。
だがその生徒は、ただの生徒ではない。
ディアーロは、親指をある方向へ向けて言う。
「我らが"お姫様"を見に行こう。そろそろ時間なんじゃないか?」
直後。
猛烈なまでの魔力反応がロアンの身体に響いた。
「――ッ!?」
「っと、お前のその反応を見る限り、もうすぐ始まっちゃうみたいだな。急ごう、ロアン」
ビクッと身体を竦ませるロアンを見たディアーロは、軽く駆け出しながら友人を促す。
彼の様子を見て、何とも言えない表情を浮かべたロアンは、小さく頷いてからその後を追った。
既に、この修練場内のほとんどの生徒が、とあるフィールドを取り囲むように集まっていた。
そこだけは、他と違って更に結界術式が張られている。
さて、学院側は最初から全てのフィールドに最大級の防御仕様を施している。
ならば何故、そのフィールドだけが他よりも多く結界が張られているのだろうか。
答えは簡単。
受験者が、万が一のために結界術式を加えたからだ。
「人が多すぎてフィールドが遠いな。流石はお姫様って感じだが……ロアンは見えてるか?」
人垣の外側の方でロアンとディアーロはフィールドを眺めていた。完全に出遅れたらしい。
「ぼくは全然問題ないよ。はっきりと見える」
「そういえばお前、昔から目とか耳とか、そういう感覚器官強いもんな。分けてほしいくらいだ」
「ディアーロだって十分強いだろ。これを上げちゃったら、ぼくはそれこそ本当に何の取り柄も無くなってしまう」
「そうかねぇ……?」
雑談を繰り広げながらも、二人の視線はフィールドのある一点へと向かっていた。
そこに立っているのは、少し長めのふんわりとした黒髪ボブに、紅い瞳を輝かせる一人の女だった。
身を包む礼装は他の生徒と全く同じ。
違うのは、この学院のトップを示す金色のバッジが襟元に付けられている事くらいだ。
彼女はその身体の周囲を、うねる炎で取り囲んでいる。
完全なる戦闘モード。
どうも彼女は、こんなちゃちな試験でも本気を出して最高成績を狙っているらしい。
徐に右手を伸ばす。
その掌が向かう先は、魔術行使の試験で用いられる小さき的。
そして、次の瞬間。
豪炎の砲撃がその哀れな的へ直撃した。
衝撃。
爆音。
フィールドを取り囲んでいた結界術式がいくつか割れて、甲高い音が炸裂する。
基礎となっている術式は他の生徒と同じ。
だと言うのに、精度も、威力も何もかもが一線を画している。
実際に、学院側が施した結界術式はほとんど砕け散っていた。
彼女こそ、世界に選ばれし、魔法
魔王を倒した英雄。
"
フレイ=エルフェンリーナ。
この学院における主席。
この学院におけるアイドル。
そして。
この世界における英雄だった。
一瞬静寂に包まれた修練場は、直後歓声に溢れ返った。
彼女の魔術が叩きだした爆音に負けず劣らぬ勢いのそれは、間近に立っていたロアンとディアーロの鼓膜を叩いた。
そんな二人の様子に、この舞台の主役である少女――フレイが気が付く。
パッと表情を輝かせた――とはいえ元々表情が希薄な彼女なので、他の人には気付かない程度ではあるが――フレイは、フィールドから跳ねて降りる。
そして、二人が立つ場所……正確にはロアンが立つ方へ、人垣があるにも関わらず歩き出した。
「みててくれたんだ、ロアン」
寸前で割れていく
誰もかれもが彼女に道を譲っていく。
やがて、フレイはロアンの元へと辿り着いた。
彼女は薄らと、本当に薄らと笑みを浮かべて最大限の嬉しさを表現しながら言った。
「どうだった?」
声音が弾んでいる。
それは、ロアンの前でしか見せない姿で。
「わたし、すごかった?」
首をこてんと小さく傾げ、少しだけ前のめりになりながら尋ねてくるフレイ。
そんな少女を、ロアンは苦笑しながら眺めていた。
そう、彼女は。
フレイ=エルフェンリーナは。
この学院の首席で、アイドルで、世界の英雄でありながら、同時に。
『
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます