23 檸檬とどんぐり

  1 白い檸檬


 ――一九九三年十月。

 

 大学も後期に入った。

 すっかり秋である。

 春は桜のピンクが気になるが、秋は銀杏の黄色がいい。

 流石に、絹矢先輩も帰省先から帰って来た。

 今日も電話をしている。

 長電話をして、とても申し訳なく思っているけれども、もう依存してしまっている。

 好きだけれども、独占したい。

 好きだけれども、傍らにいて欲しい。

 いつも心だけは片とならない関係でいたい。

 もう、もう、私ったら随分毒まみれになって来たみたい。


「……聞こえた? さーちゃん」

「あ、ごめん。で、喫茶店『檸檬』は、御茶ノ水おちゃのみずの駅前にあるから」


「分かった」

「うん、いつもお電話ありがとう。明日ね」


 カチャリ。

 ツーツー。


「トリートメント二回にしようかな?」


 それは、勿論、シャンプー二回、コンディショナー二回、その後のトリートメント二回だ。

 艶々のロングストレートは、お手入れのしがいがある。

 ブラシを入れ、丁寧にブローする。

 ドライヤーは、愛志が、ちょっとは女性らしくなって欲しいと姉にプレゼントしてくれたものだ。

 鏡に向かって、にこりの練習をした。


「明日の朝も髪を洗った方がいいのかな? 寝癖とかついたら嫌だなあ」


 鏡が私の中の妖精さんを呼び出してくれた。

 小学校一年生の時、母に連れられてガールスカウトに入った。

 亀有のだんで設立して初めて入ったメンバーだった。

 その時に、私は、妖精さんと出会ったのだ。

 水を鏡に見立てて、覗いたら、私がいた。


 明日は綺麗でいたいな。

 そして、何てお返事をしよう。

 ああー。

 悶々としちゃうよー。

 まどろみながら、絹矢先輩の笑顔を思い出し、夢の中へといざなわれた。


 一九九三年十月三日の日曜日。

 又、新しい記念日になりそうだ。

 気合を入れて行こう。

 ばっちり、十時より三十分前にとうちゃーく。

 あん、前髪がはねている。

 折り畳みの櫛で化粧室で直した。


 待ち合わせは、美大時代によく利用した画材店の近くにある白い檸檬と呼ばれる喫茶店。

 もしかして、絹矢先輩が後ろにいたりして。


「ふおおお……!」

「こんにちは、さーちゃん」


「び、びっくりした」

「すまない」


 お互いに三十分前行動だから、驚かされる。


「直ぐに場所が分かりましたか?」

「そうだね。中に入ろうか」


 喫茶店は二階だ。

 狭い階段を登り、自動ドアで趣も半端に中に入る。

 ほんのりと花の香りがした。

 奥の席に座ると窓の向こうは碁会所だった。

 ちぐはぐ感がおかしくて仕方がなかった。

 何を注文したか覚えていない位緊張して来た。


「このお店ね、大学生になったら、一人ではなくて、二人で来たいと思っていたの」

「そうなんだ。白が綺麗だね。俺も嬉しいよ」


「ただ、喫茶店ではなくて、レストランになってしまったわね」

「はは……」


「俺は、悪い結果は考えていないからな」


 昨日も今日も絹矢先輩が呟いていた。


「……」

「……」


 何の話をしていたのだろう。

 あの女の話はしなかったと思う。

 今、再び言い出したら、何もかも壊れてしまいそうで。

 胸にわだかまりがちくちくとはあったけれども。


「あの、あのね。聞いてくれないと話せませんよ……」

「そ、そうか」


 絹矢先輩の喉元がこくんとなった。

 カップの中のものをぐっと飲みこんだ。


「俺の事、どう思っている? さーちゃん」


 キター、来た、北、期待?

 絶対振られないよね。

 何て言うんだっけ?

 何て言うんだっけ?

 う、普通になちゃうけれども、返事しないといけないわ。

 

「……好きです」


 絹矢先輩の顔を見つめていた。

 だから、見てしまったの。

 絹矢先輩の鼻の下が伸びた!

 きゃー、世の中の人って、本当にある事を言葉にしているのだね。


 その後、何故か羽大のアニメ研にわざわざ電車で行ったのだった。

 何かとんちんかんな二人だった。


  1 クリスマスイブにさようなら


 ――一九九三年十二月。


 私にとって、学校は、友達がいなくて寂しいものだったが、楽しいものとなった。

 おはよう、授業、アニメ研、勉強、お電話、おやすみ。

 殆ど、ラブリーなタイムだ。


 クリスマス、クリスマス、クリスマス……。

 この頃はそんな話が多い。

 クリスマスイブは絹矢先輩とデートになった。

 私は、幸せがずっと続く事を願っていた。


 プレゼントを選んでいた。


「んー。いつも上着もなく寒そうだから、手袋かな」


 紳士用のは大きくて、手を繋がれたら私の手が消えてしまいそうだと思った。

 ほっと、あたたまってくれたらいいなとゆっくりと選んだ。


 十二月二十四日の金曜日。

 バイテク研究所はあったが、この日は休めた。

 絹矢先輩の事だけを考えていたい。

 素敵なクリスマスイブにしたい。


 待ち合わせは、池袋の南野デパートになった。

 目指すは水族館。

 その手前の自動車ミュージアムも面白いと、私から誘った。


「ね、この映画は、映画館が揺れたり、香りが出たりするんだよ」

「へえ。じゃあ、一番に並んでいようよ」


「うん。そうだね」


 映画は、車で旅をするものだった。

 途中でガス欠になったり、カーチェイスをしたり、ロマンスもあったりで面白かった。


「あの吊り橋を車で渡る所、怖かったねー。座席も揺れるし」

「俺は、美人研究員が新しい媚薬を作ったってシーンの香りが、トイレの芳香剤かと思ったよ」


「あはは」

「はは」


「このブースは、好きな車のデザインができるんだって」

「いいねえ!」


 黄色いボディーに流線形のカッコいい車ができた。


「殆ど、さーちゃんが描いたね」

「あ、ごめーん」


「俺は、いいんだよ。さーちゃんに喜んで欲しい」

「車の試乗は、絹矢先輩が素敵だったな」


「次、水族館に行こう」

「うん」


 サンサン水族館は、二人とも動物が好きで盛り上がった。


「うー、マンボウ!」

「くっ。お腹痛いよ。さーちゃん」


「タツノオトシゴって面白い生殖をするよね」

「そうだね」


 お土産物コーナーで、ぬいぐるみに目を奪われている時に、絹矢先輩からサプライズがあった。


「気に入ってくれたら、ペンダントどう?」

「きゃー、マンボウの? いいの? ありがとう」


 値札を取って貰って、早速、胸元を飾って、水族館を後にした。


「このお店にしよう。『どんぐりクラブ』だって」

「さーちゃん……。センスいいね」


「そ、それは、食べてみないとね」

「俺は、どんぐりを食べたよ。めっちゃくちゃ渋いよ。渋柿の五万倍はするよ」


「あはは。知らなかったわ」

「渋を抜かないとね。それはそうと入ろうよ」


 にこにこして入った。

 ここは、南野デパートのお店で、洋食屋さんだ。

 メニューはどれも可愛らしくて、選ぶのに困ってしまった。

 それで、結局、絹矢先輩と同じメニューを頼んだ。


「えーと、『どんぐりクラブの迷ったら梢においで』を二つね」


 森から出て来た様なお姉さんに、絹矢先輩が頼んだ。


「可愛いなあ」

「え! ああ、可愛い方でしたね」


「ファッションの事だよ」

「そうか」


 食事も楽しかった。


 南野デパートの屋上に行き、そこでプレゼントを渡した。


「気に入ってくれて、ありがとうね」

「シュッ。シュッ。打つべしとか言ってみたり」


「うさぎさんのぬいぐるみが可愛い。フォトフレームなのね。ありがとうございます」

「うさぎさん、好きみたいだったから」


 時間の許す限り沢山楽しんで、家に帰った。


 電話でお互いの無事を確認した。

 恋しかったし。


「俺、明日、帰省するな」

「明日?」


「うん。菫はもう実家に帰っている」

「そうなんだ……。じゃあ、見送りに行く。羽理科大前駅からずっと」


「大変だからいいよ」

「でも……。明日、絶対に見送るね」


「見送りたいの……」

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