22 鈍い痛み

  1 鈍い痛み


 絹矢先輩の黒電話に何度電話しても出てくれなかった。

 あの女の件で、壊れたままだ。

 このままでいいのだろか。

 夏が終わって、秋が来て、春になったら、絹矢先輩は卒業してしまう。

 多分、それはあっと言う間。


 カチャリ。


 子機を充電器から上げて、指で覚えたナンバーを押す。

 ゼロ、サン……。

 トウキョウを示すナンバーだ。


 プルルルプルルル……。

 プルルルプルルル……。


 やっぱり、留守かな。

 それとも、居留守かな。


 ガチャリ。


「はい」

「……夜分に失礼いたします。夢咲櫻です。絹矢先輩、お久し振りです」


「お、おう。お久し振り、さーちゃん」

「……」


 自分でお久し振りと言って、自分で傷付いてしまった。


「あ、あの……。暫くどうしていたのですか? 電話も掛けたのですが、出て貰えなくて」

「はあ……。普通にしていましたよ」


「一緒に、映画、『ジャッキー』を観に行きましたよね。一緒に、ミュージカル、『美少女アルバムシリーズの孤高の戦士Aya』も観に行きましたよね。絹矢先輩と沢山お話をして楽しかった。他にもアニメ研の人と大学自主アニメ祭などに出掛けて、面白いアニメで沢山笑えた」

「それは、ありがとう」


「デートを少ししただけで、もうお別れなのですか?」

「何、言っているんだよ?」


「だから、もう……。お別れなのでしょう? 今生の別れよね」

「はあ? 何で、今生の別れかさっぱり分からない」


「最近、会いませんよね」

「あー、会わない理由は、さーちゃんがアニメ研に来ないからじゃない? ああ、それから近い内に帰省するから」


 全部、私が悪い事になっている。

 そんな人だとは思わなかった。


「電話を掛けても出てくれなくて。……あの女性が夜中に来た時も、徹夜で電話しても出てくれなかった。辛かったわ……。何回、コールしたと思いますか?」

「あの後、じゃがりんちに全員で遊びに行ったんだよ。要するに、俺の家を出て行けばいいんだろうって」


「あの女性もですか?」

「そうだよ。みくちゃんは友達だもの」


「夜中に男性と一緒にいる事はいいと思えません。ファミレスではダメなのですか? 万が一何かあったら一生の償いになると思いますよ」


 私は、私ができちゃったから両親が結婚したのだと思って、遊びの付き合いをとても嫌っていた。


「あれは、仕方がないんだよ。俺が掲示板を見落としてしまったのだから。皆で集まったのな。友達だから、みくちゃんも一緒ではないとおかしいだろう。ファミレスに迎えに行ったのも俺の責任だからなんだよ」


 どこをどう切っても相容れない考え方だった。

 

「女性一人で、何をやっていたのか分かりませんよ。不純です」

「何も悪い事してないよ。皆で遊んでいただけだよ。それから、タケッチは、女を躾しとけって言っていたけれども、俺はそうは思わない」


 ああ、香川のラブホテラーか。

 最悪。

 気を遣ったのに。


「何故、あの日なのですか? その男性が来るからと和菓子を渡しましたよね。歓迎していない訳ないですよね」

「この話をする為に電話したの?」


「どうしても、許せない一線ってありませんか?」

「俺にもあるよ」


「じゃあ、平行線ですね。どこまでもホライズンが見えない。この話は永遠に続きますね」


 私の体の膿がどろりと出て来た。

 汚い生き物だ。

 自分で自分が嫌になる。


 お終いだ……。


 私の初めての恋が、鈍い痛みと共に終わった。


 電話を切った音も聞こえなかった。


  2 友達以上に


 絹矢先輩と会わないまま、羽大は盛夏になった。

 電話をしたのは、夜にフリーな女の話をした時以来で、ずっと黙々とバイテク研究所にて丁稚奉公状態をしていた。

 箸が転がっても面白い時期は過ぎた。


 八月十八日、絹矢先輩は、八王子はちおうじに暮らしている妹さんの菫さんと帰省した。

 長距離移動ともなると、一人ではつまらないのかも知れない。

 八王子は、羽大からも亀有からも遠く、菫さんとは面識がない。


 八月十九日、愛志がいつも作ってくれるお風呂から、その日は早く上がり、髪をタオルドライしていた。


「櫻、声の低い人から電話」


 下の居間にいた葵からだった。

 はっとして、葵から親機を受け、黙って子機に切り替え、二階で受け直した。


「ひゃ、ひゃい」

「ん? 櫻さんでしょうか?」


「はい。変な声出してすみません。びっくりしたものだから」

「あ、驚かせてごめん」


 確かに、声が低く感じられた。


「これ、ご実家からの電話ですよね」

「大丈夫。公衆電話だから」


「ええー! 夜分すみませんが、こちらからご実家に掛け直します」

「それはいいんだよ」


「だって……」


 この時迄、私は、女の件や自分がむかむかしていた件にすらもやもやしていた。

 生理前の状態みたいだった。

 何の意味もなく、きーってなる感じ。

 でも、あんなに万年金欠病の絹矢先輩が、今は、テレフォンカードで公衆電話からだと思うと、私は、何て小さいのだろうと思った。

 なのに、おかしな事を話してしまった。


「私の事、どう思っているんですか?」

「どうって……」


 面食らった絹矢先輩が思い浮かぶ。


「答えられない関係なのですよね」


 私は、意地が悪かった。

 いや、絹矢先輩に甘えていたのかも知れない。


「そうだな……」

「……」


「さーちゃん、夢咲櫻さんのことは……」

「はい……」


「……友達以上に想っているよ」


 ――ともだちいじょうにおもっているよ。


「分からなかった?」

「全然分かりませんでした!」


 凄く泣きたくなった。

 いつも家で泣いていたからって、電話では泣きたくなかった。

 けれども、喉の奥から、ぐっぐっと上がって来るものを止められなかった。


「さーちゃん……。おかしいなあ……」

「うん、おかしい……」


 ――ともだちいじょうにおもっているよ。


 そんな魔法の言葉があるのなら、少しでも早く唱えて欲しかった。


 ――ともだちいじょうにおもっているよ。


「私はね、絹矢先輩の事……。あの……。どう思っているか知りたい?」

「し、知りたいけれど? 教えられないの?」


「今度、お会いしたら、喫茶店でお話ししたいの。檸檬れもんって白い喫茶店」


 電話代を気にして、少しだけ話した。

 でも、いつもの他愛もない話だと思う。


 私から絹矢先輩へ告げた。


「……お電話ありがとう」

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