【二章】悪夢と望まぬ放浪
11撃 仄暗い船倉の牢から
1.
「そうやって、海賊船を足替わりに自分の痕跡を消して家まで帰ってきたっていうの……?」
「まぁな。」
「ず、ズルい、ズルすぎるよっ!エルには冒険するなって言うくせに、自分ばっかりそんな大冒険。アルは横暴だよオーボー!」
オーボーオーボー!と、なにかの警報のように甲高い声で喚くエル。エルを連れて冒険に出ろと彼女は口癖のように言う。僕はそれに一度も肯定的な返事をした事がない。いつかなとか、気が向いたらとか。遠まわしな断り文句の定型文を返す。
エルは知っている。僕は守ると誓った約束は、必ず守る事を。
「お願い、アルぅ。お願いだよ。」
エルは知っている。僕が守れない約束に頷く男ではない事を。
エルが冒険に出て具体的に何がしたいのかは分からない。英雄譚に出るような偉人を目指したいのか。それとも有名冒険者に憧れる少年のように、市井の冒険者ごっこをしたいのか。
はたまた、未来の決まった自分の人生を捨ててみたいのか。
「オーボー。オーボーだ。アルはオーボーだよ。」
言外の拒絶を察してエルは俯く。彼女は僕を常に傍に置きたがる。むしろ、僕の行く先には何処にでも付いて行きたがる。金魚の糞もかくやと後ろをついてまわり。時折千切れては、その間金魚(僕)が泳いだであろう水槽と言う名の大海を羨む。
僕が一人で泳ぐ場所は、子供が憧れるような海原なんかじゃない。もっと、暗くて猥雑な有象無象だ。
「オーボーオーボー!もっとエルに優しくしてよ!」
考えてもみろ、外には何でもあるかもしれないがそれが良いものばかりとは限らない。一見して育ちの良い、世間知らずでヨチヨチ歩きの子ども達に、外の世界から寄ってたかってくるものなんて碌でもないに決まってる。
「またエルを置いてくなんて酷い。エルだってアルと冒険したい。背中を任されてみたいんだよ!」
屋敷の外の世界には、確かに憧れた冒険譚らしきものも転がっているだろう。だが、血湧き肉躍る戦闘、心躍る冒険。それは言い換えれば、苦難で困難な危険に他ならない。当然強制的に
「オーボー反対!兄妹は平等に、いつも一緒!」
海鳥の鳴き声のように、泣き喚く声が止まらない。住み慣れた屋敷から飛び出して、ここじゃないどこかになんて行きたくなかった。僕は平穏が好きなんだ。
当たり前で退屈な日常は、無価値に見えて尊く得難いものだ。喪って初めて気付く大切な物───エルと同じ年の筈の僕は、どういう訳か。ずっと前からその大切さを知っていた。
「オーボーオーボー……、連れてって。エルを置いていかないで……。」
『……あの、お願いします。お願いだから目を覚ましてください。』
啜り泣く声が、懇願する声に重なる。
───ああ、何だ……また夢だったのか。
家に帰りたい僕は帰れず、家から出たいお嬢様は籠の鳥。僕はまだ───いや、また帰れないのか。
2.
「どうしてこんな所で平気で寝られるんですか!」
頭から湯気が出そうな勢いで、憤慨する少女が怒鳴る。此処は船底、戦利品置き場が一つの檻の中。捕えられた僅かな虜囚は、誰も彼もが俯き、我が身の不幸を嘆いている。
当然鍵付きの倉庫のドアの外には見張りがいるため、アリアは若干声を潜めながら怒鳴る。チラチラと扉の外を気にする顔は随分と血の気が引いているようだ。
「休憩だよ。こんな海のど真ん中で動いても、その後陸地まで船を運ぶのに手間がかかる。君も今の内寝とけば?」
欠伸混じりで興味無さそうに返す僕を、信じられないものを見た顔でアリアが睨む。
「それは貴方なら何とかできるという意味ですか? そりゃ大人になったアルフレッド様は、反則級に強いだろうけど……。もしや転生チート様なんですか? 赤ん坊の時から鍛え抜かれた魔力と身体能力が、海賊の100や200人くらい指先ひとつでノックダウン! 余裕で無双しちゃう、とか。ああ、私もそんな転生チートライフ送りたかった!」
だったらなんと頼もしい。と目を輝かせるこの女は正気だろうか。赤ん坊がハイハイしながら魔力トレーニングやら筋トレなんかした成果で幼少から成人男性を百人斬りする力を手に入れるなど、気持ち悪いじゃないか。どこの生まれながらの戦闘民族の話だ。
一瞬、御館様に鉄アレイもどきを英才教育で持たされていたというエルはチートに当たるのかと、血迷いかけた。
だが押し潰されてギャン泣きしていたという母の話を思い出してそれはないなと思い直す。御館様は、母さんからエルへの接近禁止令を喰らい、本気泣きで二度としないと誓うまで謹慎が解けなかったというのは、ベリフレンシア家では今も語り草となっている。
「君は? チートになりたくて赤ん坊の時から人の道を逸れるような修行でもしてたのか?」
「いえ、この身体は赤ん坊の時から自由な思考と訓練を叶える程のスペックはありませんでした……。魔力の方も、将来的にはバンバン使ってたので。きっと素質はあるんでしょうが、魔法を見る機会も無いせいか、感覚が全く掴めなくて。」
人並み程度の赤ん坊時代を過ごしたと。むしろそうではない赤ん坊ライフというのがよく分からない。
「夢から醒めて、また悪夢を見るのは奇妙な気分だよ。これは現実なのかな?」
目の前のアリアはよく怒鳴り、よく動く。夢の中のエルも元気いっぱいだった。まだ夢の中にいるなら、僕はいつ目覚めるんだろう。
「げ、現実です、現実ですからほっぺ引っ張らないでくだはひ……。いたひれふ……。」
実体がある様な弾力と子供体温だ。ヒロインという名の悪夢は、中々しぶとい。
船倉に捕えられたのは殆どが女性だった。子どもは僕とアリアの他、あまりいない。数少ない子供達を落ち着かせるためか、女性達は可哀想にと、彼等の頭を撫でたり抱き締めたりしている。
時折上から宴会のような声と女性の悲鳴が聞こえるのを、一様に暗い顔で見上げている。僕が寝ている間に、若い女性が何人か連れていかれたらしい。
グキュルルルルルルゥ
自己主張の激しい音に、人々の視線がアリアに集中する。
「お腹空いてるの?」
アリアは半泣きでお腹を抱え込んで音を和らげようとして。キュルペ、とかキキュウィとか小動物の鳴き声みたいなものを腹から鳴らしている。
「ううっ、もうちょっと頑張れば賄いの時間だったんです。旅客船の豪華な賄いご飯のため、一生懸命重いロープとか荷物も運んでたのに。」
彼女は客として船にいたのではなく、荷運び兼小間使いとして乗船していたらしい。漁船やら商船に乗ってた事もあるそうで、日焼けした肌は「海の男って感じに日焼けしてるでしょ?」と本人が言う程には焼けてないが、健康的な日焼けの跡がある。これだけの美幼女だから貴族からのメイド見習いとして誘いもありそうだが。彼女が特定の家に居着こうとすると長居できない運命だそうだ。過去多き女というのも難儀なものだ。
子供にできる仕事は限られるだろう。加えて彼女は天涯孤独の身で、食うに困っていた。今回も知り合い漁師の口利きで紹介して貰い、やっとこさ仕事にありつけたところだったんだとか。
「でも、折角お給金の良い仕事だったのに。海賊に攫われてパァだなんてあんまりですよね……。」
散々な内容だが、本人は不幸慣れしているようで、存外あっけらかんとしてるように見える。船倉を漁り、食べ物を探す姿はなかなか逞しい。
「あ、そうだ!」
僅かばかりの干し芋を貪りながら、アリアは何か思い出したように顔を上げてこちらにやってくる。
半泣きになりながら干からびた芋の切れ端を差し出し、伺う様に首を傾げる。
「遅くなりましたけど、イベントスチル。集めておきます?」
この女のゲーム脳は、死んでも治らなかったらしい。
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