3撃 お嬢様の婚約はいつでも風前の灯です

 1.


「ねえ、アル。お父様って、出世し足りないんだと思う?」


 沈んだ顔でパーティーから戻ったと思えば、エルは唐突に御館様の地位を心配しだす。不意打ちにやられて、あわや白磁のティーポットを毛足の長い絨毯に落とすところだった。


「危ないな……いや、御館様は全く危なくないぞ。御館様はこの国の軍部のトップだから、出世もなにもこれ以上の役職もそうそうない。」


 この娘は実の父親に何処まで高みを目指せというのだろうか。……まさか国取りか?


「そうよね、家は安心なのよね……。」


 この上なく素晴らしい事を、似合わぬ暗い声で呟くエル。空耳だろうが「野心が…」と低い声が聞こえた気がするが、気のせいだよな?


 今日のエルは何やら様子がおかしい。また王子の所で嫌味でも言われたか。


「驚いて折角入れた紅茶を落としてしまう所だった。ほら、熱いから気をつけてお飲み。」


 エルはティーカップを受け取り、慌ただしく両手で抱え込む。火傷するぞお嬢様。


「零しちゃダメよ! アルの淹れたお茶はとっても美味しいんだから。床に落ちる前に助けてあげてね。絶対よ!」


 前に「おっと危ない」と床直前でキャッチして見せたのが良くなかった。エルは手を叩いて喜んでいたが、どうも僕の得意芸だと覚えてしまったらしい。破棄予定の廃品ならいくらでもやるが。一客で市井の庶民一生分の稼ぎを越えそうな、公爵家のお高いティーセットで同じ事をやるのは蛮勇だ。


「リクエストどうも。残念だけどやらないよ。」


「どうして? 私マリーに見せてあげるって約束しちゃったのよ。」


 勝手に約束するな。憤慨するお嬢様の可愛らしいワガママを甘やかすつもりは無い。エルは調子に乗せると、自力では降りられない所まで一気に登ってしまう女だからだ。


「他人任せな約束なんて、素直に謝るか水に流してしまえ。」


「アルは他人じゃないものっ。」


 ガラス張りの化粧机をバンバン叩きながら、期待の眼差しをぶつけてくる。おい、止めろ。割れるから。買い換えたばかりの高級机が……。


「そんなに叩くなよ。ヒビが入ったら怪我するぞ。」


 ミシミシと机の足から不吉な音が聞こえ始めた気がするので、暴れる両手を塞ぐよう、大きなクッションを抱えさせる。


「むぅう……、アルのケチんぼ。」


「ケチじゃない。全く、君はまた変な言葉を覚えて……。良いかい、普段から令嬢らしからぬ言葉を使ってると。咄嗟の時に言っちゃうよ?エルはすぐボロが出るんだから……。」


「ボロって何よ、私何も出してないわ。」


「ボロっていうのはー……。」


 ……おや、もしかしてエルが変な言葉を使ってるのは、僕の真似をしてるのか?大変な事に気づいてしまった。


「ボロって、言うのは……?」


 ワクワクと目を輝かせてこちらを見上げるエル。あ、これ駄目なやつだ。まあ、変に沈んだ様子はなりを潜めた様だから良しとしよう。


「教育に悪いから教えません。調べても多分見つからないだろうしね。」


「やぁー! やっぱりケチんぼ。良いじゃない、アルの前でくらいしか使わないんだから。」


「エルのやらないは当てにならない。油断して変な言葉遣いを披露したら、巡り巡って僕が御館様に叱られるんだから。淑やかにしててくれよ。」


 もう大分、色々と手遅れな気もするが釘を刺しておくに越したことはない。


「淑やかにしてたって、生まれた時から婚約者の決まってる私には評判の良いも悪いも無いわよ……。」


 あ、また沈んだ。やはり原因はあのお坊ちゃまか。





 2.


「ねえねえ、メイド達の持ってくる物語は、どうしてみんな王子と結婚してハッピーエンドなの? 王子がどんな人かもわからないし、話にも人柄や具体的な城の様子とか、周りの人とか全然でてこないのに……。」


「みんな王子様に夢を持ってるんだよ。」


 エルにとって王族は少し遠い親戚の様なものだから「王族って素敵! 」と安易に思い込んでしまう気持ちは分からないだろうな。

 実際彼女の祖母は降嫁した元王女様だし、エルの実の母親は王位継承権を返上してる。件の王子は再従兄弟はとこだから、実は彼女にとって王家は僕より近い親戚だ。近親だから仲良くしろ、とでも言えばまたうちのお嬢様が荒れ狂うから黙っておくけど。


 クッションを両手で虐めながらエルは不満そうに唇を尖らせる。


「そもそも、私に弟や妹がいないのに、王子と婚約って駄目じゃない?この家はどうするのよ……。跡取りがいないのよ?お家取り潰しの刑に処されるわ。」


 うん、難しい言葉を使ってみたかったんだろうけど、一人娘を王家に嫁がせて取り潰しっておかしいからな? 御家断絶になる前に養子でも迎えるだろう。やたら芝居がかった口調だったから、多分前に誰か(主に僕)が言ってたのを真似したかったんだろう。


「御館様も奥方様もまだお若いんだから、何とかするんじゃないか?」


 剣呑に見つめてくる視線が痛い。エルは最近王子の話題が出る度、家は誰が継ぐんだとか、御館様がやたら僕に目をかけてると気にしてくる。何が言いたいのかはなんとなく分かるが。今更新たなる隠し子が出てきても嫌だろうし、遠い親戚である僕を養子にするなんて話は当然ない……筈だ。少なくとも僕は知らない。


 むしろ、御館様にはエルの護衛として勘定できるよう扱かれてるだけで。異性でも乳兄弟。エルが嫁に行く時に僕がセットで付いてくのは当然と皆思ってる様だ。気楽な屋敷暮らしから、陰謀渦巻く伏魔殿(後宮)なんて行きたくはないが。可愛い妹分が、気の合わない夫に捨て置かれ。一人後宮で泣いてるのは哀れだからな。む、いかんな。暗い未来予想図に胸がムカムカしてきたぞ。


「アル、嫁になんてやらないって顔してる?」


 嬉しそうに聞くなよ。僕がどう思おうと、お前がいずれ嫁に行くのは決定事項だぞ。


「……そんな事考えて無いけど。」


「ちぇー、二人で冒険の旅に出ようって、誘ってくれたって良いじゃない?」


 お前はどこの冒険者志望の少年だ。誘えるわけがないだろうが。その時は一人でそっと旅立つから、大人しく輿入れしててくれ。


「あ、すっごい悪い顔してる……。エルの事見捨てないよね?」


「ソンナコトナイヨ。兄様イツモエルトイッショ。」


 胡散臭そうな瞳で睨んでくるが、こればかりはどうしようもない。立場の違いというものを自覚してくれ。


「だって王子はいつも不機嫌で格好つけだし。口を開けば自慢話ばっかりなんだもの。」


 つまんない。と残酷な評価を下す妹君。これまで殿下の好感度採点表は常に赤点続きだ。未だにまともな加点の有った試しがない。


「そう言ってやるなよ。世の男性の9割は女性から見るとそんなものだ。令嬢に生まれた限り、どこに嫁いでも夫になる相手は、退屈で無愛想だって覚悟しておかないと。浮気されても、殴っちゃダメなんだからな?」


「ヤダ、末代まで祟るのは面倒臭いから元から絶ってやるわ。」


 シャキンシャキンと大バサミで何かを切り落とす動作を繰り返すエル。縮み上がるから止めてくれ。

 この国では重婚さえ無ければ男女の妾が黙認されている。流石に家督持ちの旦那に嫁いだ奥さんが愛人を囲おうとすると。男は種を取った上で家に入るという、何とも後暗い慣習はあるが。腕の良い治癒術師にかかればそれも復帰可能だそうだ。

 ましてや跡取りが生まれない場合は、当主が外で子どもを設けようが。養子を取ろうとも、正式に申請と公言をしていれば立派な跡継ぎとして認められる。


 王子とエルの仲が悪いのは物心付く前からだが。周りの大人がエルと王子の双方に、この婚約は、相手に請われてのものだと言い聞かせてる。どうもそれが二人の不仲に拍車をかけている気がする。

 実際は赤子どころか生まれる前からの公爵家と王家の約束だったのだから、本人の希望である筈がない。だが、幼少期から何度も何度も。身近な大人達に言い聞かせられれば、洗脳されるのも無理はない。


 地位があり美男美女になる事は必至の美幼児どもの体面やプライドを気にしての事だろうが。お互い「あっちが懇願するから婚約者にして」と思い合うが故のスレ違いは歳を増すごとに悲惨な様相を晒している。遭遇する度にメンチを切るのは止めなさい、と何度言っても聞かない。お前達は狂犬ですか?


「で、王子サマの誕生日には何をプレゼントしてきたんだ?」


「なるしぃだから、手鏡……。」


「うん、理由はともかく実用的で良いと思うよ。それから?」


 何も無いと言わんばかりに首を振るが、正直に白状するんだと目を見つめると、妹分は渋々口を割った。


「あと……お顔に踵を少々……。」


「どうしてそうなった。」


 少々と言いながら思い切り踏むか蹴るかしたな、このお嬢様は。鏡はまだ良い。公爵令嬢からのプレゼントだ。主人の投げやりなリクエストも、メイド達が必死でフォローした。プレゼントには素敵な手鏡が用意されていたと聞く。


 だが、プレゼントを渡し、一曲ダンスを踊って、その後気持ちばかりの歓談。どのタイミングで王子の顔とエルの踵が仲良くなったのか。想像したくもないが、どのシチュエーションからも殺伐とした殴り合い蹴り合いに持っていけるのが、このお坊ちゃまお嬢ちゃまの恐ろしい所だ。前科を数えればキリがない。お互い様の子供のじゃれ合いと、いつまでも放置して良い問題とは思えないんだが。言っても聞き分けないから、困ったものだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る