Extra Track 11 雪の夜

 エスペリアの街に今年いちばんの雪が降った。

 まだ十一月の初めである。ひらりひらりと舞う粉雪はまだ花びらのように柔らかだったが、朝方にはきっと重く冷たい雪の粒に変わるのだろう。

 この常冬の王国に長い冬がやってくる。毎年の馴染みある憂鬱に、国の将軍職にある男は小さな嘆息をこぼして、官舎の階段をのぼり、凍てついたドアノブを回した。中は暗い。代わりに、外気とは異なる、あたたかなひとらしいにおいのこもった空気に包まれた。ひとの生活する家はあたたかい。不思議なもので、ひとの生活する家としない家ではまるでにおいが異なるのだった。ストーブで日中暖められていた部屋。食事のために起こされた火の気配。それらすべては彼が帰ってくる頃には消えてしまっていても、甘い名残として室内にくゆっている。

 雪を薄くまとった外套を玄関で脱ぎ、椅子にかけるのと一緒に食卓のオイルランプの螺子を回す。少し離れたストーブの前のソファで彼女はうとうとと寝入っていた。木綿のワンピースと厚い毛織のカーディガン。彼女の細い身体に沿って、長いアッシュグレイの髪が緩やかに流れている。その手に大事そうに抱かれていた刺繍を取り去って、その出来具合に感嘆の息を漏らしつつ机に置き、男はかがんで彼女の頭を少し撫ぜる。

 淡く吐息する彼女からは甘いミルクのようなかおりがする。彼はソファに頬杖をついて、彼女の頬にかかる髪をいじり、あどけない寝顔をひそやかに見守った。こういうとき、男はじぶんの肩をずっと凝り固めていた重荷がふっと癒えるような、あたたかな感情に出会う。

 ひとしきりそれに身を浸してから、男は指に絡めていた髪を耳にかけ、愛情のこもった声で彼女を呼ぶ。この眠り姫を夢のまどろみから覚ますように、そっと。すると彼の花嫁は、春の翠の眸をうっすら開いて、りゆん、と少し微笑った。

 極寒の国の、ある幸福な一夜。



                          ……Extra Track , end.

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