Extra Track 02 檸檬

「ブランカはシーツおばけね」


 その日、フィア先生から級友たちの課題ノートを受け取り戻ってきたわたしは、教室に入るなりプリュネ=リーアから白いシーツをかぶせられた。わたしはノートの山を抱えたまま、目をぱちくりとさせる。かぶせられたシーツには三つの穴がくりぬかれており、かろうじて視界が確保されている。

 穴を通して見たリーアは、大きな黒い三角帽子をかぶっていた。それから、かぼちゃ風のスカートに紺色のケープ。御伽噺に出てくる魔女と見まごう格好だ。他の級友たちも何故か皆おどろおどろしい翼をつけていたり、猫の耳や大きな牙、マントに包帯、いつもとは異なるへんてこな格好ばかりをしている。

 どうしたの?、と未だ困惑したままわたしがひとまず近くの机にノートを置いていると、「おまえの仮装かわいくねぇな!」と後ろから駆けてきたゼノンがわたしのシーツの裾をまくった。一緒にワンピースの裾までめくれそうになってしまい、「ゼノン」とわたしは怒る。そのゼノンもまた、二本の牙とふさふさの尻尾を生やしていた。


「今日はハロウィンなのよ、ブランカ」


 ケープのリボンを結んでいたリーアはいつもの少しおしゃまな顔をして説明した。“ハロウィン”の日、国立学校の生徒たちが仮装をして、夕暮れから夜にかけて街を練り歩くのは毎年恒例の行事なのだという。今年はあたしたちのクラスなのよ、とリーアは得意げに胸を張った。リーアから、わたしのぶんのお菓子籠を渡され、わたしはおずおずとまだ空っぽの籐籠を見つめた。

 祖国エディルフォーレでもハロウィンにあたる行事はあったが、御主人様の奴隷だったわたしには、パンプキンパイを大量に焼く日であり、御主人様の子どもたちの戦利品(つまり、とりどりのキャンディ、チョコレート、カシューナッツクッキーにミートパイ)を見せびらかされる日としてしか記憶されていない。リーアたちのどことなく熱っぽい空気にのまれ、わたしはシーツを頭からかぶったみょうちくりんな格好で級友たちの行列に加わった。



「トリックオアトリート!」


 愛らしい声でリーアが扉を開いた奥さんに言い、小さな星のかたちを杖を振る。並んだ子どもたちの中でもこのひときわ小さな魔女さんは微笑ましくひとの目を惹き、たとえ気難しげな老紳士さんであっても、ひとつ瞬きしたのち、皺の刻まれた眦を緩めて、ポケットから取り出した大きな板チョコをリーアの籠に入れるのだった。みるみるお菓子でいっぱいになっていくリーアの籠を見やり、わたしは未だからっぽの自分の手提げ籠に目を落とした。

 ここはセント・トワレ駅に近い広場に面した大通りで、行列を作ったわたしたちは、門前にカボチャのランタンを置いた家々を練り歩いている。けれど、内気なわたしはどこの家でもうまく声を発せずにいた。

 とりっく・おあ・とりーと。とりっく・おあ・とりーと。

 リーアに教えてもらったその異国語を呪文のように何度も口の中で唱えて練習するものの、いざ見知らぬ家の門を前にするとわたしの喉は詰まり、出掛かった魔法の呪文をおなかの中にのみこんでしまうのだった。

 明るい笑い声を立てて戦利品のお菓子を見せ合う級友の中で、シーツおばけのわたしはひとり情けなく肩を落とし、空っぽの手提げ籠のつるを無為にいじった。どうしてわたしはいつもこうなのだろう。


「ブランカ。杖が壊れちゃったよう……」


 気分を沈ませていたわたしはリーアの泣き出しそうな声にふと我に返った。


「つえ?」


 見れば、星の首が傾いてしまった杖をリーアが差し出してくる。受け取ったそれを一度回し、わたしは折れた首を指先で摘んでみた。糸かテープがあれば、不格好にはなってしまうけれど直せそうだ。

 すこし待ってて、とリーアに言い、わたしは行列から離れた。

 シーツおばけのかぶりものを脱ぐと、手ごろな広場のベンチに腰を落ち着け、ポシェットからソーイングセットを取り出す。ちょうど銀色の糸があったことを思い出し、それを折れた星の首に巻いて固定していく。こういったことは得意で、思えば仮装などをしているより道具の修理や繕いものをしているほうがずっとわたしにはむいているんじゃないかと思いもする。


(それに、どうしてわたしだけ“シーツおばけ”なの……)


 わたしは唇を尖らせる。リーアは大きな三角帽子に紺色のケープとかぼちゃスカートの魔女。ゼノンは牙とふさふさの尻尾の狼男。他の子どもたちも、さんかくの耳に黒い尻尾を生やした化け猫や、ビロード風のマントを羽織ったドラキュラ伯爵。皆かわいらしかったり格好よかったりするのに、わたしだけがなんだかみょうちくりんだ。その理由についてリーアは、だってブランカがいちばん遅かったんだもの、と言ったが、それだってみんなのぶんの課題ノートをフィア先生に受け取りにいっていたからなのに、となんだかつまらない気分になってしまう。わたしはひとりむくれて、直し立ての魔法の杖をぷらりと振った。


「おや、ブランカさんじゃないか」


 すぐそばからかかった声に瞬きをして、顔を上げる。ラフトおじさんだった。買い物の帰りだろうか、腕には食パンの入った紙袋を抱えている。


「こんばんは」

「こんばんは、ブランカさん」


 挨拶をし合って、ラフトおじさんは腕の中の紙袋を示して微笑む。


「ご存知かな? ライトウェルズのパン屋は十八時ちょうどに食パンを焼き上げる」

「ゆうごはん、ですか?」

「しゃきしゃきのレタスと黒胡椒であえた卵、ハムを挟んで、パンにはバターをたっぷりと塗る。ごちそうだろう? ブランカさんは何をしてるんだい?」


 本来ならば学校も終わり、とっくに帰宅している時間だ。首を傾げたラフトおじさんに「はろうぃん、なんです」とわたしは覚え立ての言葉を口にした。それから、「カソウ」で「あるく」と精一杯の説明を続けると、得心がいった様子で「毎年やっているね」とラフトおじさんはうなずいた。


「ブランカさんは何役を?」

「……しーつおばけ、です」


 ベンチに丸められたシーツへ倦んだ視線をやり、わたしは口ごもりつつ答える。それから手に握っていた星のかたちの杖を振って、「とりっく・おあ・とりーと」とずっと練習をしていた魔法の呪文を唱えてみる。言っているさなかから恥ずかしくなってしまい、最後は尻つぼみになってしまった。


「これはかわいいおばけさんだ」


 くすりと笑い、ラフトおじさんは紙袋を探って大きなドーナツをひとつ籠に入れてくれる。もらうお菓子にしてはとても大きい。驚いてしまって、わたしがこんな“上等”なお菓子はもらえないと首を振ると、「楽しいおしゃべりの時間をくれたお礼だよ」とウィンクひとつをして、ラフトおじさんは腰を上げた。

 手を振って通りに戻っていくラフトおじさんを手を振り返して見送り、わたしはベンチに丸められていたシーツおばけのかぶりものを開いた。そろそろ戻らないと、リーアたちもきっと心配する。シーツを頭からかぶると、ドーナツを入れた籠を提げ、わたしはまだ大通りのあたりを歩いている仮装行列へ戻った。


「リーア。つえ、なおせた」


 直した杖を渡せば、リーアがもともとまん丸な目をさらに丸くさせた。


「すごい! ありがとう、ブランカ」


 一緒に行こう、とリーアに手を繋がれ、わたしもまたシーツおばけの少しつたない歩き方でランタンの飾られた家に向かう。一緒に「とりっく・おあ・とりーと!」と声を合わせる。何度も練習をした呪文はリーアと一緒だと、たやすく口から滑り出た。手を繋いだ魔女さんの力を借りて、はじめてもらうことのできた水玉の包み紙のキャンディをリーアと自慢し合っていると、大通りを行き交うひとごみの中に不意に見慣れた背中を見つけた。

 あ、とわたしはシーツのうちで小さな声を上げる。市庁舎から何かを話しながら出てきた軍人さんは見まごうはずもない、わたしの養父だった。隣を歩く、シャツにタイを結んだ痩せた男性に見覚えはなかったけれど、少し後ろに控えている長身の軍人さんは副官のニコルさんだ。道の脇には一騎の馬車が泊めてあり、馬丁の少年がかがんでステップを出している。リユン。呼び止めそうになったものの、なんだか急にシーツおばけのみょうちくりんな格好のじぶんが恥ずかしくなって、口をつぐんだ。


「トリック・オア・トリート!」


 あちこちで上がる子どもたちの歓声に気を引かれたのか、リユンは馬車越しに大通りのほうへ視線をめぐらせた。わたしはリーアのもとからそっと離れて、子どもたちの背にそれとなく紛れるようにする。無論、頭からくるぶしまでをシーツで覆い隠したわたしにリユンが気付くわけもないけれど、やっぱりみょうちくりんであるのが無性に恥ずかしかったのだ。

 シャツの男性と別れたリユンが馬丁の少年に何かを言って銅貨を握らせ、こちらのほうへ向かってくる。リユンに気付いたリーアとゼノンが「しょうぐん!」と駆け寄っていって、すかさず「トリック・オア・トリート!」と声を合わせた。お菓子をせびるふたりの子どもたちにあっという間に囲まれ、リユンは苦笑気味にポケットを探り、取り出したキャンディをひとつずつ籠の中に入れた。リユンからキャンディをもらうリーアのはしゃいだ背中を見つめ、わたしはシーツのうちできゅっと唇を引き結んだ。じぶんから隠れたくせにまるでリーアに養父を取られてしまったような心地がしたのだった。


「トリック・オア・トリート」


 ふと目の前に射した人影に、わたしは目を瞬かせる。顔を上げると、少しかがんだ軍人さんがわたしのほうへ悪戯めいた眼差しを向けていた。


「魔女さんと狼男くんにキャンディをとられてしまったから、代わりにお菓子をくださいな」


 差し出された手のひらを見つめて、わたしは小首を傾げる。「くれないと、キミの大事なチェックのノートに落書きしちゃうよ」と言うリユンはわたしがシーツおばけだと気付いているらしかった。籠の中からもらったばかりの水玉の包み紙のキャンディをひとつ彼の手の上に載せ、どうして、と呟く。どうして、わかったの。


「わかるよ。そんなこと」


 わたしの問いは彼にとっては取るに足らぬ、一笑に伏してしまうくらいのものであったらしい。澄んだ音を鳴らしてキャンディの包みを開き、檸檬色のそれをわたしの唇に押し当てた。砂糖をたくさんまぶしたキャンディは舐めると、こめかみが痛くなるほど甘い。


「おしごとがんばってね、シーツおばけさん」


 わたしの頭をシーツ越しに緩く撫でて、子どもたちに取り囲まれて往生していたニコルさんの肩をつつき、リユンは大通りを渡る。こつこつ。雑踏に紛れて遠ざかってゆくブーツの音を追いながら、わたしはレモンキャンディを味わう。リユンも、おしごとがんばってね。胸の中でそっと告げた。


 *


 その晩はいつもより少しだけ遅くなった。

 仮装行列のあと、リーアの家で開かれたハロウィンパーティにお呼ばれしていたからだ。わたしは官舎の門まで送ってくれたリーアのお父さんとリーアに手を振ると、足早に階段をのぼる。

 腕の中に抱いた紙袋には、リーアのおかあさんがおみやげに持たせてくれたパンプキンパイが包まれており、あたりはもうとても寒かったけれど、そこだけがじんわりと熱を発してあたたかい。明日はパンプキンパイと、パンプキンスープ、それからくりぬいたカボチャも用意して、一日遅れのハロウィンパーティをリユンとしよう。とてもすてきな考えに思え、胸を弾ませながらドアノブを回す。扉はそのまますんなり内側に開いた。どうやらリユンは先に帰っていたらしい。ただいま、とそっと室内に声をかけ、わたしは鍵を閉める。

 声が返ってこないことを不思議に思い、リビングに向かうとわたしの養父はソファに横たわり、足を投げ出した格好で寝息を立てていた。よほど疲れていたのか、ソファの背にコートと上着がぞんざいにかかっているだけで着替えた気配もない。

 テーブルに珍しく置かれた灰皿に数本の煙草の吸殻が残っていたので、きっとむずかしいおしごとの最中なのだろう、とわたしは思った。わたしの前では決して喫煙をしない養父であるが、眠りが浅く起き出した深夜、リビングのソファに座って煙草をくゆらせている養父の横顔を見かけることがたまにある。そういうときの彼の藍色の眸は普段が嘘のように怜悧に眇められ、まるで虚空にチェス盤でもあるかのようにその目で見えない何かを繰っているのだった。

 わたしは通学鞄を椅子に置くと、養父の部屋から引っ張ってきた毛布を彼の身体にかけた。ソファから落ちていた腕を戻してあげ、毛足の長い絨毯の敷かれた床に座り込む。眠る彼のそばに腕を載せて、夜闇に溶ける規則正しい寝息に耳を傾けた。オイルランプの橙色の明かりが仄かにともるだけの室内は、煙草の少し苦い香りとやさしいわたしたちの生活のにおいに包まれている。

 しばらく彼のあどけない寝息をたどってから、そっと彼の耳に唇を寄せて、おかしくれなきゃいたずらしちゃうよ、と言ってみる。反応は思ったよりもずっと大きかった。それまで寝息を立てていたひとがびくっと肩を跳ね上げ、そのせいで危うくソファから落ちかかる。なんとか長い足でソファにとどまったそのひとをきょとりと見やれば、「……ブランカ」と彼は深く息をついた。


「びっくりさせないでよもう」

「おはよう?」

「おはよう。……キミはおかえりのほうかな」


 わたしの未だ外着のままのカーディガンを見て、リユンが「おそかったねぇ」と寝起きのひとらしい少しかすれた声で呟く。リーアの家に行く前に、わたしはリユンに向けて書き置きを残していた。「書いておいたもの見た?」と尋ねれば、見たよ、と彼はうなずいた。


「ごはんも、ありがとう。用意しておいてくれて」


 それらがまだ手をつけられていないらしいことは察せられたので、わたしは「ごはん、する?」と尋ねた。そうだね、とあくびを噛み殺してうなずき、彼はソファから立ち上がろうとしたわたしの腰に腕を回した。ちいさなわたしの身体はそれでたやすく彼の上に抱き上げられてしまう。


「シーツおばけさん、つかまえた」


 身体にかかっていた毛布でわたしを包みこみ、彼はくすくすと子どもみたいなことを言った。そうして、わたしの短いお下げを結んだリボンをほどいて、癖のついた髪を長い指で梳いてくれる。少し身を起こし、「わたしのシーツおばけ、どうしてすぐにわかってしまったの」とわたしは夕方と同じことを尋ねた。


「どうしてキミはわからないだろうっておもうの?」

「だって、あたまとくるぶしも、みんなシーツだったもの」

「あたまからくるぶしまで、ね」


 つたないわたしの言葉を苦笑交じりに言いなおし、「それでもわかるよ」と彼は目を伏せる。


「だってキミはかくれんぼが下手な子で、僕はキミを探すのがいっとう得意なんだもの。どこにいても、わかるよ」


 わたしのまるい頬に手を置いて、彼はまるで恋人への睦言のようにそんなことを言った。そう、とやわく微笑み、わたしはリユンのシャツに頬をくっつける。レモンキャンディを口に入れたときと同じ、こめかみが痛むくらいの幸福が押し寄せた。


「エディルフォーレの森でわたしがあなたをみつけたように?」

「そうだよ、キミが僕を見つけてくれたように」


 彼は微笑み、十二歳のわたしのちいさな頭をとても優しく撫ぜた。

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