Extra Track

Extra Track 01 フラワーライフ

 彼女は、近頃よく歌をうたう。


 *


 ふたりで決めた二回目の誕生日に彼女に贈ったのは、若葉が芽吹いたばかりの鉢植えだった。小さな彼女に何を贈ろうかと帰路を歩いていたとき、ふと目に留まったのがその鉢植えだったのだ。

 彼女は、喜んだ。まだこの国の言葉をたくさんは知らない彼女は、花の蕾が少し綻ぶように微笑むだけだったけれど、若葉に向けられる目は優しく、鉢に回した腕は大事な宝物を抱くかのようだ。彼女は鉢植えをリビングの出窓に飾った。この家のなかで、いちばん日当たりのいい特等席だ。

 翌朝から、彼女は歌をうたうようになった。

 出窓のそばに置かれたライラックの長椅子に白いリネンのワンピースをふわりと広げて腰をかけ、窓の桟に夢見る少女のように頬杖をついて、歌をうたった。たいていは歌詞がなく、けれどときどき、古い童謡を口ずさんでいることもある。花の芽吹きを促す祈りのような、あるいはやさしい子守唄のような。彼女の歌声は不思議と耳になじみ、いつの間にか同じ歌を同じように口ずさんでいると、カモミールの茶葉を寝かせていた彼女が気付き、あどけなくわらった。

 鉢植えの花の名を、彼女は聞かないことにしているらしい。

 もしかしたら、彼女なりのささやかな願掛けなのかもしれなかった。彼女はカモミールの茶葉を寝かせるみじかな間、決まって歌を口ずさみながら出窓の鉢植えに水をやり、夜はあたたかな暖炉のそばに置いて、また歌をうたった。


 この常冬の王国で、夏は旅人のごとく駆け足で過ぎ去り、秋は冬嵐と手を取り合ってやってくるもので、そうして深まった冬もやがて終わり、再び春が訪れる。季節はひとつめぐったけれど、出窓の鉢植えは未だそのまま花を咲かせない。翠の若葉は秋を迎える前に黄色く枯れ、鉢植えには土が残るだけ。

 いつからか、彼女の歌を聞いてない。幼くとも聡い彼女は鉢植えの花が枯れてしまったことに気付いたのだとわかった。出窓に置かれた煉瓦色の鉢植えに、それでも叶わない水をやり、彼女はライラックの長椅子にことんと座って、ひとりさみしげに俯く。お気に入りのカモミールティは寝かしすぎて、蜂蜜を溶かしてもほんのり苦い。

 代わりに、新しい鉢植えを買ってこようか。

 ――けれど、彼女は前のようには喜んでくれないだろう。

 彼女の小さな身体がうもれてしまうくらいの、たくさんの花で出窓を飾ったら。

 ――しかし、彼女は鉢植えを大事に抱えなおすだろう。

 花を育てることは、こんなにもむずかしいものだったろうか。

 咲き誇る花たちばかりを愛でて生きてきてしまったから、そういうことを考えるのはすこし、苦手だ。女の子をひとり、笑わせることがこんなにもむずかしいなんて。


 五弁の花は、そんなときに生まれた。

 それは、ノートの隅に。机に置いたメモ用紙の裏側に。

 絵の心得などないおとこの、ぶかっこうな花たちだった。ため息の数だけ、花はひとつふたつとノートの隅に芽吹き、まるで年端のゆかぬ子どもの落書きのあとのようだ。

 ページを破って捨てた。明日はもう少しろくなことを考えようと思いながら。

 そして翌朝、寝ぼけまなこに起き出してくると、彼女はふんわりリネンのワンピースを翻して、ライラックの長椅子に腰掛け、歌をうたっていた。首をひねって椅子に座り、淹れ立てのカモミールティの香りに目を細めながら、彼女の春のひかりのような歌を聞く。見れば、メモ用紙の裏側に、捨てるのを忘れた一輪の花。そして新しく描き添えられた、もう一輪。ああ、と気付くと、少々気恥ずかしく、それを紛らわせようと彼女の歌にあわせて、同じフレーズをくちずさむ。すると、光の射し込む出窓から振り返った彼女がふわりとわらった。

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