interlude 5

「リユン兄さん。もういい加減にしたら?」


 一番目の妹、シンシアが半ば呆れた声を出す。

 ショー・ウィンドウの前で止まって中に飾られたくまのぬいぐるみを凝視していたリユンは、「だってシンシア?」といたく真面目くさった顔で妹を振り返った。


「ブランカはくまじゃなくてうさぎさんっぽいって思わない?」

「兄さん。さっきうさぎを見て、これじゃないって言ってたのは誰?」

「うーん、あのうさぎはピンクだったでしょう? 色がねー、どうもねー……」

「一軒目の白うさぎも兄さんったら、蹴ったじゃない」

「あれは、抱き締めたときの手触りがちょっとちがうような」

「兄さん」


 こめかみに青筋を立てた妹に低い声で呼ばわれ、リユンは「……わかってるよ」と肩を少しすくめた。シンシアの危惧はもっともで、これでは日が暮れるまで街を歩き回っても意中の贈り物は見つけられずに終わるにちがいない。王都の高級服飾店に勤めるシンシアは多忙極まりないし、リユンもまた、今はどうにか都合をつけた休憩時間のさなかである。時計を確認する。あと一時間。あまり時間がない。


「第一、十三歳の女の子にぬいぐるみっていうのはもうないんじゃないの?」

「えぇ、そう?」

「そうよ。アクセサリーのひとつでもあげていい年頃よ」


 数いる妹たちの中でもシンシアはいっとうおしゃれだ。そういうもんかな、と機微のわからぬリユンは首を傾げ、十三歳になる娘の姿を脳裏に描く。

 学校生活に忙しくとも、帰れば必ずあたたかい夕ごはんを用意して待っていてくれる娘。去年のクリスマスには確かエプロンをあげた。ポルコ姐さんからもらったものが少し小さくなってきていたのでもう一着。彼女はそれをとても喜んでくれて、今では小さくなったポルコ姐さんのエプロンは洗濯用に、自分が贈ったエプロンはごはんの仕度用に使っている。朝、いとおしげにエプロンのリボンを結ぶ彼女の小さな後姿を見るのが、彼はうれしくてたまらない。後ろ手に結んだリボンが少し傾いているのを見つけると、微笑ましさにくすりと笑いがこぼれて、ブランカ、と少女を呼びつけ、解けかかったリボンをいじって直す。

 あれはよい贈り物だったと思う。だからこそ、余計に次の贈り物で悩んでしまうわけだけども。考え抜いた挙句、ようやく異国の輸入雑貨を取り扱う雑貨屋で、万年筆を見つけて買った。

 深緑色の万年筆は、どこかエディルフォーレの針葉樹林を思わせる色合いをしている。嫌な思い出もたくさんあるであろうに、不思議と少女が故国を倦んでいる気配はなく、むしろときどきエディルフォーレのある方角を見つめて、懐かしそうに翠の眸を細めたりする。深い緑は、彼女の新緑を思わせる翠の眸とは異なるが、樹木の息づく気配を感じさせる色であるところは同じだ。

 勉強熱心な彼女ならきっと喜んでくれるはずだと考え、リユンは満足げに包みを外套のポケットにしまう。


 時間もおしてきたので、シンシアとはアーケード街の入り口で別れ、行きに来た道を足早に戻る。バルテローの内乱のせいで鎮魂の色に沈んでいた街も、聖誕祭の足音が近づくにつれ、淡い賑わいを取り戻しつつあるらしい。

 街路樹を飾る銀の鈴に目を細め、彼はかじかむ手のひらを外套のポケットに入れて道を歩いた。途中で郵便屋の看板を見つけて立ち寄り、抱えていたキャンディボックス、西洋人形、汽車の玩具といったクリスマスプレゼントを妹たち、姪っ子や甥っ子たちにクリスマスカードと一緒に送る。

 五歳になる姉の甥っ子にはもうずいぶん会えてなかったが、今年もどうやらサイ家へ顔を出す時間はなさそうだ。最後にリトル・セーム嬢へも、サンタクロースの名前でチョコレートを贈り、ミセス・セームにはつらつらと世話焼きの悪癖であれこれと綴ったあと、セーム曹長の人形の引き取り手が見つかったことを結びに添えて、亡き友人の鎮魂を願う手紙とした。

 送り賃の支払いを終えると、リユンはマフラーを巻き直して外に出た。

 白い息を吐いて曇天を仰ぐ。しゃららん。そのとき、美しい鈴の音色が後方から聞こえて、リユンは足を止めた。ステンドグラスの嵌めこまれた木製扉に飾られたクリスマスリース。リースには銀の鈴と小さな天使が飾り付けられて、美しいきら星が天使のかたわらで輝いている。冬の星をそのまま閉じ込めたかのような、清廉とした光。そっと指先できら星に触れると、銀細工の繊細さがひんやりした温度とともに伝わった。


「あいする女性に贈るものだそうですよ」


 背後から急にかかった声に、リユンは目を瞬かせる。首をひねると、外で雪かきをしていたらしい店の主人がスコップを片手に何やら愉快そうな目をしてこちらを見ていた。馴染みの雑貨屋の主人の戯れに、びっくりさせないでよ、と力なく返す。ラフトおじさんはにっこり笑うと、リースを扉から下ろして、「東の島国では、あいする女性に銀の髪飾りを贈る風習があるらしくてね」と説明した。


「それを聞きつけた西の吟遊詩人があいする姫君に贈ったのがこの髪飾り。姫君の赤髪をそれはきれいに飾ったのだという。やがて、やってきた悪戯好きの魔法使いが小さな魔法を髪飾りにかけた。この髪飾りは、持ち主を守るんだという。持ち主が幸福になれるように。悪いものから守ってくれるんだと、いうのさ」


 本気とも冗談ともつかない口調で語る主人に、リユンはまたいつもの話がはじまった、と苦笑する。店の品物たちにまつわる御伽噺を客に聞かせるのがこの主人のいちばんの趣味であるのをリユンはよく知っている。

 だけども、御守りになるというのは少々心惹かれた。彼は先日大事な娘を失いかけたばっかりで、髪飾りでもなんでも、あの娘を守ってくれるものがあるなら心強い。彼はあいにく信仰に疎く、迷信のたぐいも信じないたちであったので、髪飾りを売ってくれるよう店主に乞うたのは、ささやかな願掛けくらいの思いつきに過ぎなかったのだけども。角度によってきらめきを変えるきら星は、きっとあのアッシュグレイの髪に飾られたらとてもきれいだろうと、思ったのだ。


 *


 セーム曹長。

 今は亡き親愛なる友人にプレゼントの贈り役を譲ったのは、リユンも舌を巻く聡明さですべてを見抜いた娘に敬愛の念を捧げたかったことと、あとひとつ。

 ――あいする女性に贈るもの。

 父親役の自分にその肩書きは少々重い気がしたからだ。何も知らない少女は、まるできらきら星みたいだと頬を染めてとても喜んでくれた。


「おやすみ、ブランカ」


 まだ微熱の残る少女を寝かしつけて、彼は寝室を出る。ノブを閉めた直後、にわかに指先に微細な痛みを感じて、彼は眉をひそめた。

 明かりの下で見れば、ちょうど人差し指の先に小さな傷がついて、赤い血の玉がぷっくり膨らんでいる。首を傾げ、ふと思い当たった。先ほどベッドに手をついたときに触れた、銀の尖り。あれが指を刺したらしい。

 そのときは指を舐めるにとどめ、後日、くだんの雑貨屋に寄ってあんな危ないもの売りつけないでよ、と店主に文句を言った。大事な娘が怪我したらどうするの、と。すれば、店主は飄然と笑い、ヨコシマな気持ちで触れられたからじゃないですか将軍、とのたまい、淹れ立てのカモミールティーをにこやかに勧めた。

 まったくもって失敬な店主である。

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