interlude 2

「リユン。あかちゃんは、どうしたら生まれるの?」


 朝である。のどかな、いつもの食卓風景である。

 わたしが腕の中のディノ坊やをあやしながらそう尋ねると、向かいでのんびり紅茶を啜っていたひとは一瞬ののち、むせた。げほげほげほげほ。急に喉に何かを詰まらせたらしい彼に驚き、わたしはディノ坊やを起こさないよう気を払いつつ、冷たい薄荷水を差し出す。


「へいき?」


 彼が一息つくのを待って尋ねれば、キミのせいだよ、とリユンが力なく息を吐いた。


「わたし?」

「どこからそんなことを思いついたの。キミの腕の中に居座ってる坊やのせい?」


 居座っている、とはなんだか棘のある言い方である。腕にことんと寄りかかって眠っているディノ坊やの背をさすり、わたしはことの発端を思い返した。

 この小さなディノ坊やを隣に住んでいる奥さんからわたしが預かったのはつい昨日のことだ。何でも、旦那さんが急病で入院されたらしく、一晩その看病にかかりっきりになりそうなのだという。今日の夕方、奥さんがいったん家に戻るまで、愛息子のディノ坊はわたしと久しぶりの休日であるリユンが預かることになった。

 はじめは慣れない環境に泣きべそをかいていたディノ坊やも、昨晩つきっきりで寝物語をしてあげたことが功を奏したらしい。今ではすっかり安心しきって腕の中ですやすや眠っている。そのことをわたしは喜んだのだけど、リユンはどことなくつまらなそうだ。

 しかれども、今日は世間では平日にあたり、わたしには学校がある。リユンのまだ紅茶の入ったカップだけを残して食器を片付けると、わたしはディノ坊やを彼に託して通学用の鞄を肩にかけた。ドアノブを回す段になってふと先ほどの問いを思い出す。


「リユン。あかちゃんのことだけど……」


 リーアたち級友曰く、わたしは気難しい求道者のようなきらいがあって、一度考え始めると自分の納得のゆく答えを見つけるまでいつまででも考え続けてしまう。けれど、それはやっぱりリユンを困らせる問いであったようだ。


「えーと、ね」


 眉間に悩ましげな縦皺を刻んだ彼はわたしのほうを少し見つめてから、肩に垂れた三つ編みの先をちょこちょこと無為に指でいじって、何かに疲れた風にその場にかがみこんだ。


「満月の夜に、キャベツ畑にコウノトリさんがやってきてねー……」


 *


「子ども? 裸で寝るとできるらしいぞ。かーさんととーさんがやってた!」


 昼休みだ。教室でリーアと胡桃割りをしながら朝のディノ坊やのはなしをしていると、横からゼノンが割り入ってきて得意げにそう言った。テストといい、普段の授業といい、ゼノンは何かにつけわたしと張り合いたがる。わたしの知らないことを知っていたということがゼノンの対抗心を刺激したらしい。彼はフィア先生がいないのをいいことに教壇にのぼると、級友たちの前で事の子細を誇らしげに語った。

 曰く、以前幼いゼノンが夜中にトイレに起きると、両親の寝室から微かな物音がしたらしい。いぶかしく思ったゼノンが少しだけ開いたドアから中をのぞいてみたところ、彼の父親と母親がベッドの上で裸の取っ組み合いをしていたのだという。


「びっくりしてとうさんに何やってんの、って聞いたら、そのうち教えてやるって言ってドアを閉めちゃったんだ。たぶん子どもって、おとことおんなの取っ組み合いの喧嘩から生まれるんだよ。すげぇよな」


 なるほど、とゼノンの説ににわかにわたしは感銘を受けた。少なくとも、キャベツ畑からコウノトリさんが運んでくるという話よりももっともらしい。リユンの話はとても素敵だったけれど、それだとコウノトリさんが赤ちゃんを運ぶのを間違えてしまいそうだし、コウノトリさんがたくさんいなければ赤ちゃんを運びきれないで困ってしまう。また、図鑑では見たことがあるものの、極寒のエスペリアにコウノトリさんは住んでいない。

 そこまで考えて、もしかして、とわたしは不意に思い至った。隣の家の旦那さんは奥さんと喧嘩をし過ぎたせいで、病気になってしまったのかもしれない。子作りというのは、まさしく男と女の死闘だったのだ。ディノ坊や誕生の裏には奥さんと旦那さんの血と涙が数多。


「ゼノン。あんた何喋ってんのよ」


 そのとき午後の始業ベルが鳴って、教材を脇に抱えたフィア先生が教室に入ってきた。勝手に教壇を使っていたゼノンがぎゃあ!と叫んで席に戻ろうとする。その首根っこを捕まえ引き戻すと、「あんたたち!」とフィア先生が何やら怒り心頭の様子で声を張り上げた。


「いーい? 裸で喧嘩するだけじゃ子どもはできないわよ! あとよくコウノトリがキャベツ畑から運んでくるとか言う大人もいるけど!」


 ぱちくりと目を瞬かせたわたしのほうに一瞥をやり、「ぜんぶ、うそよ!」と先生は断じた。


「気まずいからって性教育から逃げるだめな大人の典型ね。それで変に夢を見ちゃったり、性行為を恐ろしいだけのものだと考えちゃったり、悪い大人の弊害よ。いーい、あんたたち。今日はあたしが男と女の営みをみっちり教えてあげるから、よく聞いて覚えて帰んなさい。わかったわね!」


 そう言ってフィア先生は、まずはセイジョーイというのがあって、と黒板にチョークで図を書き始めた。


 *


 帰宅すると、中では温かな暖炉の火がともっていて、ディノ坊やを抱いた奥さんとリユンが談笑交じりにわたしを迎えた。旦那さんの病気はそうひどいものではなかったらしく、近日中には退院もできるのだという。ほっと胸を撫で下ろすかたわら、一抹の寂しさを覚えてわたしは奥さんの腕の中のディノ坊やに手を振った。また、あそぼうね。小指と小指を絡めてゆびきりげんまんをする。

 ディノ坊やがいなくなった室内はどこか精彩を欠いて、薄暮の静けさに沈んでいる。わたしが何とはなしに足元に視線を落としていると、鎧戸を閉めようとしていたリユンが何かを見つけたらしい。ブランカ、とわたしを呼んだ。招かれて彼の視線が示すほうを見やれば、美しい残照に染まるエスペリアの街並みが広がる。目を細めたわたしの小さな身体を彼はふわりと窓辺に腰掛けた膝の上に抱き上げた。


「……リユンもさみしくなってしまったの?」


 そのままお腹のあたりに腕を回す男のひとに身を預け、わたしが首を傾げると、「だってキミったらさー」と拗ねるような声で彼は言い募る。


「久しぶりのお休みなのに、ずっとディノ坊やと遊んでばっかりなんだもの。少しは僕とも遊んでください」


 その駄々っ子みたいな物言いがおかしくて、わたしはくすくすと笑い出す。それから、いつも惜しみないぬくもりを与えてくれるひとに、あのね、とひそやかに耳打ちした。

 コウノトリさんはキャベツ畑からあかちゃんをはこんでこれないのよ、リユン。それは、わるいおとなのヘーガイだから、だめなのだって。でもね、でも、リユン。たくさんおべんきょうをして、きっとわたしがおしえてあげるから、待っていてね。

 ささめきごとをするように耳元で囁けば、彼はわたしのほうをぱちくりと見つめてから少し困った風に微笑い、キミってほんとうにかわいいよね、とわたしのお下げをぶうらりいじって別のことを言った。

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