閑話1 大人新人

数年前、私が学生だった頃、大人というのはもう少し利己的で実利的な繋がりばかりを結ぶものだと思っていた。

仕事中はともかくとして、会社の飲みというのは嫌々出席するもので、人間的な交流は求めてはならないものだと。

今にして思えば随分と極端な話だが、私の周囲にはそれだけ人間社会に傷ついた先達が多かった。

だから、こうして友人の様に集まることがあるとは、思ってみもしなかった訳だ。

それを先達に話せば、社会の畜生と罵られるだろうか。


「社員寮が同じだとどうしても行動範囲被るよな。」

「そうだね。」

珈琲には山と積まれた角砂糖が似合う。仕事中は入れる暇すらないそれらを入れる瞬間が、最近の私の至福の時だ。

エージェント8、通称エイトは嫌悪感を隠さずに、人によっては地獄とさえ称される私の動作を見ていた。

「美味しいよ?」

「糖尿病とか太るとか、そういった繊細な機微がないのかお前は。」

貴方が飲んでいる炭酸飲料のがよっぽど砂糖が入っているのに、不思議なことを言う。

休みの日だというのに、私は同僚と珈琲を飲んでいる。

偶々先ほど珈琲店の前で出くわし、挨拶だけで別れるのも何だしね、となったのだ。それをする程度には彼と仲良くなった、その事実に少しだけ心が躍る。

人によっては忌避する行為だろうが悪い気はしなかった。

「土曜日って希望に溢れている感じするよな。」

「あー、ね。学生の時からそうなんだよねぇ、何故か。」

「平日は何だかんだ忙しいものな。」

期待をせずに出歩く方がこうして嬉しいことが多い。

ズゴゴ、とジュースを啜る彼の顔を、機嫌よく眺めてみる。

そういえばこの同僚は何処の国籍の人物なのだろう。綺麗に脱色した金髪に緑色の目。組み替えた脚は長い。無精髭の黒さや骨格はアジア人のそれであるはずだ。

まあ、魔法少女に関わるに当たって、今更か。

私は自らの薄い桃色の長髪を指先でくるくると弄る。魔法というのは古今東西、自分を起点として発動されるものだ。だから、人体変化は魔法少女には、得意とする者が最も多い分野となっている。

私たちが所属する財団法人は、入社するまでに魔法少女に遭遇した者が数多くいると聞く。

そうでもなければ、好き好んで入社する人物もいないだろう小さな団体だ。先週まではそう思っていた。

先週、求人サイトからの応募書類で書類庫がいっぱいになっていたらしい。

東京の一等地に勤務、社員寮あり、国内外への出張あり、という条件はそんなに魅力的だろうか。

エイトがじっとりとした視線を寄越す。物思いにふけりすぎただろうか。

「何?」

「仕事以外だと敬語じゃないんだな。」

「同い年だからね。」

「そうか。」

彼は名残惜しげに空になったグラスのストローを回している。

「お前は日本人の価値観を有している様に見えるな。」

「うん、日本人だから。」

じっと見る彼のグラスに、するっと指を這わせる。私が指を上に滑らせるきると、そのグラスは元通り満ちていた。

彼は無表情にストローを加え直す。

「俺の知っている日本人はピンク色の毛髪をしていない。」

猜疑心が見え隠れする彼の目は、酷い案件に当たった痕跡がありありと浮かんでいた。新人は遅かれ早かれこうなる。私も数年前に通った道だ。

指を振って苛つく彼のグラスの縁にライムとレモンを添えてやる。

「今は魔法を使える人間ってだけだよ。お給料をもらっている以上、仕事をきちんとやる。社会人だからね。」

信じられないか、と彼の内心を慮って苦笑する。

「経済活動。」

「ん?」

「経済活動に損害を与えていないか、その魔法は?」

彼の黙っているうちに、彼のグラスはジュースとフルーツに飾られていた。モデルは高級ホテルの出すジュース。市販すれば何千円と値段のつくものではある。

「私的利用なのだから良いんだよ。」

納得いかない様子で彼はオレンジにかじりついている。

私はメロンの切れ端を取ってかじる。

「会社のやることなんて解釈の余地に揺れる。一律に罰せられるものではない。だからこの小さな悪事は許される。こんなちょっとした私的利用なんて、いちいち咎めてられない。」

「狡いな。」

「社会なんてその程度のものだよ。それに、そんなことを言うなら飲むな。」

「美味しいから抗えなかった。いざとなれば魔法の所為ってことにさせてもらうさ。」

こいつも大概狡い。そして上手い。嫉妬混じりに要領の良い同僚を嗤った。



ジュースとフルーツを片付け終わった頃、思いついた様に彼は声を上げた。

「あ、そういえばこれ返しとくわ。鞄に入れっぱなしだった。」

「なんか貸したっけ?」

「仕事中に借りた。長く借りてて、悪いな。」

「忘れるってことはそんなに重要なものじゃないってことだよ。気にしないで。」

あったあった、と彼は無造作にそれを机に取り出した。

「返すよ。整備も済んでる。」

無造作に置かれたオートマチックピストルを見て、私は椅子から飛び上がった。

「正気か貴方。」

急いで取り上げて、鞄へと仕舞う。その間に何人に見られたのか、辺りを気にして視線を巡らせる暇もない。

「跳んだな。」彼はからからと笑っている。

「こんな仕事をしているのに、小心者すぎないか?」

息を整えて、彼にはっきりと言う。

「休みの日で気が抜けていた。魔法を使いすぎた。悪い。だからこんなやり方で窘めないで。」

ははっ、と彼の口から笑い声が漏れる。

「そんなつもりは一切ないさ。でも、同僚が態度を改めるってなら止めないよ。良いことだ。」

学生の頃とは確実に本質が違う、ぬめった泥の様な付き合いだ。

慣れるのにはもう数年かかりそうだ。そうであってほしい。

「改めます。」

「うん。じゃあ店出るぞ。休日はまだ長い。映画でも見ようぜ。」

「勘弁してくれ。」

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