5人目 陸上少女

風の音がうるさい。朝それなりに時間をかけている髪をそれは掻き乱していく上に、砂つぶは容赦なく身体を叩きつけてくる。

こんな力があれば楽しいはずだ。まだ見ぬ魔法少女に想いを馳せる私に、男は声をかける。

「エージェント32、起きてるか?」

「起きているよ。流石に立ったまま寝ない。ちょっとだけ考え事をしていただけ。」

「魔法にあてられたのかと思ったじゃないか。」

「私を誰だと思っている、新人が不遜なことを言うなぁ。」

「新人って。職歴は違えど同い年だろう。」

そういえばそうだった。眉根が寄るのは風の所為だけではない。

社会に出てからというもの、様々な課程を経た同い年によく会う。その時感じる感情の名前を私はまだつけられないでいる。

エイトが目の前の光景に目を細めている。

「ああ、青春だな。お前は何部だった?」

「水泳部。水泳は良い、頭が空になる。エイトは?」

「バスケ部。こんな晴れた日は体育館に酸素が足りなくて困ったよ。」


私たち、エージェント32とエージェント8はとある学校の校庭をフェンス越しに眺めていた。

このご時世、不審者として通報される危険性もある、とても危険な任務だ。

嘘だ。私たちは危険性が比較的少ないものに、この二人組で派遣されることに気がついていた。

「若手の辛いところだな。」

そう言うエイトは楽しそうだ。

「うーん、眼福。お前が男なら好みの女子を言い合うのだけれど。」

「良いよ、言いなよ。聞くだけ聞くから。」

「一番きつい対応だわ。」


目の前の校庭では、炎天下とも言える太陽の下で少女たちが走り回っていた。

陸上部の練習だ。私たちの他に、何人もの大人がフェンスに遮られた視界を凝らしている。私たちの様に、彼女の登場を待つ大人が、フェンスの網目に詰まらんばかりにつめかけているのだ。

この学校の陸上部は、とある天才少女の彗星の様な登場に沸いていた。

小柄な体格に大振りな走り方を好む彼女は、短距離を得意とし、進学してから公式戦全勝という華々しい戦歴を誇っていた。

加えて、明るい性格に弾けんばかりの笑顔。

うっかり好きにならずにはいられない、真っ直ぐに伸びる流星の様な少女だ。

「まだ来ないのかな。」

「放課後は始まったばかりだからな。委員会で遅れているってこともあるだろう。」

「図書館に行っていて遅れるとかもね。」

どれも実体験だ。若者であるはずなのに、思い出が浮かんで仕方ないのは私たちが大人になったからだろうか。

私たちよりももう少し歳を重ねた大人たちが、フェンスの最前線で話している。

「先月の記録会の記録を見たか?」

「ああ、もう少し熱を入れて獲得を目指そう。この年齢でこのタイムなら、身体が出来上がる頃にはもっと良い記録が出せるはずだ。」

どうやら彼らにとっても、彼女の登場は輝きを放っていたらしい。


「あ、来た。」エイトが間の抜けた声を出す。


練習に遅れたことに慌てて、彼女はその才能を惜しみなく使って、走っていた。

横切られた少年が振り向いて、手に持つプリントの山が宙に舞った。

校舎に残っていた生徒が、からかい混じりにクラスの窓から顔を出して歓声を上げる。

紙吹雪とともに、彼女は風のようにグラウンドに到着した。

「遅れました。これよりイブキ、練習に参加します。」

資料の画面越しに見るよりもずっと、その魔法少女は光を放っていた。



なるほど、先程エイトが眼福と言った意味がよくわかる。

「同性が言うとより怖いな。軽い意味が一切なさそうで。」彼は苦笑している。

「でもあの姿は確かに良いな。うん、良い。」

彼に言われるまでもない。

彼女の足が回転し、規則正しく土埃が上がる。その度に彼女が風を孕んで前へ進んでいく。

気がつけば夕方になっていた程、目を惹きつける光景だった。

「フォームも体力の使い方も改善の余地がある、なのにあんなに速いのは才能としか言いようがないな。」

「ああ。早めに選手団へ招聘したいな。変な癖がついてからじゃ遅い。」

大人たちの皮算用も白熱している。彼らはどうやら企業のスカウトであり、彼女のスポンサーとなりたいらしい。

「凄いな、この年齢で数千万円の収入か。」

盗み聞きをしていたエイトは囁く。

「盗み聞きとは失礼な、これもエージェントの仕事のうちだろう。」

確かにその通りだが。

夕焼けに染まりながら走る彼女を何人もの人物が見ている。やはり輝きを放つ個人というのは好意を集めるものだ。

先程プリントの山を飛ばされた少年も、その一人になっているのを目撃し、微笑んでしまう。


「確定したな。」エイトが頷く。

「ああ。」私は瞼を一回だけ閉じた。


長時間の観察で、私たちは仕事の半分を終わらせていた。

能力の確定。コツを覚えれば何のことはない、簡単なルーチンワークだ。

だとしても、不都合な真実というのは、ルーチンに組み込むにはいがいがしている。


ターゲット:少女I

確定能力:気流の発生、操作。

未確認能力:身体強化、人心掌握。


「勘なのだけれどさ、未確認能力は当てはまらないよ、きっと。あれは彼女の天性のものだよ。」

「だとしても一度魔法を使って、評価を得た人物だ。疑いを晴らす方法なんて、ない。」


陸上の世界において、追い風は数秒の差を生む。それは切り立つ崖のようなものらしい。

「彼女はそれをしてしまったから。その姿を沢山の人に見せて、こうして評価を得てしまったから。」

正当な評価は経済活動を生む、健全な世界に私たちは暮らしているのだ。

陸上大会一つを開催するのに、数千万円の経済効果が発生している。

しかもこのような偶像的な活躍をマスメディアに取り上げられた以上、どれだけの効果を彼女は生んでいるのか、想像もつかない。


「人間社会で暮らす以上、魔法で社会を乱すのはご法度だ。」

エイトは思ったよりも淡々と言う。

「あの子には魔法を禁じてもらわないとな。」

思わず黙り込んでしまった私に、彼は冷たい目を向ける。

それは、魔法少女とその協力者に見せるものに酷似していた。

「まさか同情なんてしないよな、エージェント32。元魔法少女のエージェント?」

大人はそれぞれの来歴を抱えている所為で、安易に反論も出来やしない。

特にこんな綱渡りの身分だと尚更だ。

「反対はしないよ。彼女は魔法を禁じられるべきだ。人間の未来の為に。」

「そうだよな。」

再びフェンスの向こうに目を向ける彼、エージェント8は魔法少女にその残酷で身勝手な理論を振りかざす時をじっと待ち始めた。



数ヶ月後、私は再び校庭を眺めていた。

あの時と違い、日はとうに暮れていて、彼女を見ている大人は私一人だった。


彼女は魔法を封じられても、劇的に鈍足になることはなかった。


ただ数秒、風を味方に出来なくなったことと、漲るような自信を見せることがなくなり焦りの表情を見せることが多くなっただけだった。

それだけで、こんなにも人の輝きは陰りを見せる。

自信というのは大事だ。身を以て知っている。だから、早く彼女を見る彼の視線に気がつけば良いのに。

応援してくれる個人がいるだけで、きっと彼女は魔法以上の追い風を得るだろう。決して遠くなさそうな未来を、彼の持つコンビニ袋に詰められたペットボトルに見る。

余裕がない様子に変わった彼女から人は離れていく中で、彼はずっと彼女を見ていた。

きっとプリントを飛ばされた日から、焼きついた光景があるのだろう。


やはり、人心掌握の魔法を持つ疑いは消せないな。

私は備考欄を書き加えながら、残業を終えた。

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