第2話
「このコーヒーはいつもおいしくないと思いながら飲んでるのよね」
「そうですか」
「おいしいコーヒーを飲みたいって思うこと、ない?」
「ありますけど。そこまでうるさくはないですね」
「ボトルに入れて売ってるやつでもいいの?」
「冷たいのは別です」
「ボトル入りで温めるやつもあるよ」
「ボトル入りのはコーヒーとは別の味がします」
「あら」
「きっと同じカテゴリに入れたらダメなんですよ」
「なるほど」
「値段も違いますし」
「そうね」
「先輩、コーヒーにはうるさいんですか?」
「そんなことないけど。ここのコーヒーは酸っぱくて好きじゃない」
「酸っぱいですか?」
「うん」
「そうかな。ん、そうでもないかも」
「今はまだいいのよ、あったかいから。でも、冷ますとね」
「わざわざ冷ましてから飲むんですか」
「冷めちゃうのよ」
「さっさと飲まないからですよ」
「さっさと飲めないの」
「あったかいときはどうです?」
「どうですとは?」
「おいしいですか?」
「うん。まずくはない」
「まずかったら外の店にいきますよね」
「そうね」
「外の店はどこがいいですか」
「あんまり行かないからわからない」
「今度行ってみましょうよ」
「どこに?」
「ええと。探しておきます」
「遠いところじゃないわよね」
「遠くてもいいですけどね」
「気分転換に行くのに、行くまで時間がかかったら意味がないわ」
「それもそうですね」
「近くに喫茶店ってあったっけ?」
「駅前にありそうですけどね」
「駅まで行くの?」
「その途中にはありました?」
「うーん、思い出せない」
「無理に思い出さなくていいです」
「うん。思い出せないんじゃなくて、そもそも覚えていない」
「でしょうね」
「目に入っていないから」
「それはそうと」
「うん」
「あったかいときがおいしいものは、あったかいうちに飲んだ方がいいですよ」
「道理だね」
「ものごとはそういう風にできていますからね」
「でも、なんだかねえ」
「はい」
「急いで飲むと味がわからなくなる」
「なるほど」
「だからゆっくり飲みたい」
「味わいたいんですね」
「そう。でもゆっくり飲むと酸っぱくなる」
「ジレンマですね」
「最初の一口しか飲まないという贅沢な選択肢もあるけど」
「美味しいものしか飲みたくないなら、それもありでしょう」
「ちょっと贅沢すぎる…気がする」
「三つあるならトリレンマですね」
「そもそも飲まないということも…」
「それはもう別の話ですね。レンマではないです」
「…そうね」
「色で分けましょうか。急いで飲むのを赤レンマ」
「あかれんま」
「ゆっくり飲むのを青レンマ」
「あおれんま…」
「冷めたら飲まないのを黄レンマ」
「きれ…んま」
「そして、まだ定義してないですが、みどレンマと桃レンマが」
「それ、言いたいだけでしょ」
「…鋭いですね。その通りです」
「よくわからないけど、この話はレンマとは違う気がする」
「…鋭いですね。その通りです」
「…」
「……」
「レンマとは…」
「練って磨くことですかね」
「………」
「ごめんなさい」
「いや、仮定はだいじ」
「そうですね」
「ちゃんと決めないと」
「レンマを練磨するんですね」
「……」
「レンマをれん」
「もういい。酸っぱくても飲む」
「酸味はコーヒーの味を決めますよ」
「そうね。わたしはこのコーヒーの味を好きにならなければならない、ってことね」
「そこまで強制はしませんけど」
「人に強制されて好きになるわけじゃないわよ」
「自発的に好きになれるんですか」
「そんなものは気のもちよう」
「そうですか」
「好き嫌いなんて、好きだと思うから好きで、嫌いだと思えばいつでも嫌えるものよ」
「先輩の好悪は論理的ですもんね」
「どういうイミ?」
「好き嫌いを決めるのに理屈がついてくるってことです」
「?」
「普通の人は、理屈ぬきに好き嫌いがあるんですよ」
「そういうものなの?」
「そういうものです」
「…」
「好きに理由はないのです」
「好きに理由がない…」
「たいていのひとはそうですよ」
「…理由がなかったら、どうして好きになれるの?」
「理由がないから好きなんですよ」
「…理由がないのに好きだというの?」
「理由がなくても好きになるんです」
「…わからないわ」
「先輩にはわからないかもしれませんね」
「…そういう言い方、やめて」
「……」
「………」
「…………」
「……考えたけどわからないわ」
「…いや、それでこそ先輩だと思います」
「……やっぱり、知った風な口を利くのね…」
「…そりゃ、いつの間にやら長い付き合いですし」
「…長いかしら?」
「さて、コーヒーは程よく冷めたころではないですか?」
「ほんとだ」
「ヒントをあげましょう」
「ヒント?」
「コーヒーの酸味を消すには砂糖をいれるんですよ」
「…そうなの?」
「そうです。先輩何も入れずに飲んでるけど」
「だって、味を楽しむには何も入れない方がいいでしょう?」
「でも、その味が気に入らないんですよね」
「そうね」
「だから調味のためには砂糖を入れるんです」
「コーヒーに砂糖を入れたことはないんだけど」
「やってみましょうよ」
「うん。これくらいかな」
「お好きなように」
「もうちょっと足そう」
「…」
「加減がわからないわね」
「…」
「もう少し入れた方がいいかな?」
「(あっ)」
「ああっ」
「……」
「お砂糖、いっぱい入っちゃった」
「(あああ)」
「…どうしよう」
「…まあ、せっかくだし」
「…はあ」
「飲んでみましょうよ」
「…うん」
「…そうね」
「(撹拌しなきゃいいのに)」
「んく」
「どうですか?」
「……あまい」
「そりゃ砂糖入れたんだから甘くなるでしょう」
「あますぎる」
「(そりゃあの量じゃね)」
「あまくて、あまくて、あますぎる」
「ところで、なんで混ぜたんです?」
「なんでって?ティースプーン?」
「そうじゃなくて。混ぜた理由」
「混ぜないと溶けないじゃない」
「溶かしたら甘くなりますよ」
「!」
「溶けきる前ならそんなに甘くはならないかもなのに」
「…そっか。たぶん習慣ね」
「コーヒーに砂糖を入れないんじゃ?あ、もしかして紅茶には入れるとか?」
「いや。薬品調合の」
「薬品調合」
「そう。試薬を調合するときの」
「それは…調味するために超ミスりましたね」
「……ちょっと?」
「……はい」
「…わたしはいま、コーヒーのせいで機嫌がわるいの」
「確かに」
「だから……イラつくこと言うんじゃないわよ」
「!」
「調味に超ミスですって?」
「…き、聞き逃してください」
「じゃあ初めから言わないこと」
「わかりました。気をつけます」
「言わないこと」
「気をつけます」
「言わない、と言えないの?」
「…気をつけます、としか」
「…」
「…言わないようにします…」
「それはそうと」
「はい」
「甘くて飲めたもんじゃないわ」
「飲めないほど甘いんですか?」
「のめないほどにあまい」
「甘さは疲れを取りますけどね」
「こんなに甘いのを飲むと考えただけで、つかれる」
「甘い飲み物は喉につかえますよね」
「今日はとことんついてないわね」
「ついてますよ」
「は?どこが?」
「……(ぼくが)」
「なに?」
「えっと……(どうしよう)…鼻にクリームが」
「え?クリームなんてどこにも?」
「うそです。言ってみたかっただけです」
「きみね」
「…はい」
「何か喋る前に少し考えた方がいいわよ」
「それ、よく言われます」
「よく言われるんだ」
「先輩に」
「わたししか言わないの?」
「そうですね。他ではあまり聞かないですね」
「言ってくれる人もいないんだ」
「あるいはぼくが聞き流しているのか」
「そっちのほうがありそうね」
「聞き流す力を持っていないと暴言は吐けないですからね」
「暴言である自覚はあるのね」
「…ないですよ?」
「ないの?!」
「周りが暴言だって言うから、暴言だったんだと思うです。喋ってる最中に自覚はないです」
「…そっか」
「暴言の定義もよく知りませんし」
「…うん」
「ひとつ言えるのは…」
「…」
「先輩が指摘してくれないと気づかないということです」
「わたしが言わなきゃ気づかないの?」
「気づかないことが多いですね」
「…(じゃあ、治んないのね)…」
「お気遣いありがとうございます」
「…別に気を遣っているわけじゃないわよ」
「そうですか」
「…きみに気を遣うんならこういうこと言わないわよ」
「…気が違っていると言われないだけマシですかね」
「……」
「………」
「…そう言って欲しいの?」
「欲しくないです」
「…なら、ちょっと黙ってなさい」
「…わかりました」
「……」
「………」
「………」
「…………」
「…………」
「……………」
「………………」
「…あの…」
「………」
「…先輩?」
「……」
「…黙ってると間が持たないんですが」
「……」
「何をしてるんですか?」
「…(はぁ)」
「そろそろ戻りますか。ちょっと思いついたことがあるんで」
「…そうね」
「先に戻っていてください。寄り道します」
「…わかった」
「ええと。いくらでしょう」
「…いいわ。わたしが誘ったんだし」
「そうですか。ごちそうさまです」
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