タイミング

穂積 秋

第1話

「ちょっと。きみ、こっちに来て」

「なんですか、先輩」

「これ持って」

「なにを。これって、懐中時計?」

「違う。ストップウォッチ」

「ストップウォッチ?」

「そう」

「針のストップウォッチなんてあるんですか」

「今でも作ってるし使われてるよ」

「はあ」

「そう。それをスタートさせて」

「どうやるんです」

「上の竜頭を押すの」

「押しました」

「見方はわかる?」

「この、細かく動いてるのが秒針ですよね」

「秒よりも細かいから、秒針と言っていいかどうかわからないけど」

「そうですね。でも秒針でいいでしょう」

「そうかな」

「いいでしょう?」

「じゃあ、秒針でいいや」

「はい」

「止め方は、もう一度竜頭を押す」

「押しました」

「止まった?」

「はい」

「リセットは、二回押す」

「おお。針が戻りました」

「そりゃそうでしょ」

「すごいですね」

「凄いかな?」

「すごいですよ。こんなアナログな」

「アナログが凄いというわけじゃないよ」

「古いものにもいいものがあるってことですね」

「アナログは古いって意味じゃないし」

「そうなんですか」

「そうだよ」

「でも古いものをアナログって言いませんか」

「新しいアナログ技術もあるんだよ」

「新しいアナログ技術?なんかへんですよ」

「何も変じゃないよ」

「だっておかしいじゃないですか」

「何もおかしくない。ところで、時計を見せたくて呼んだんじゃないのよ」

「そうなんですか」

「まずそのストップウォッチを動かして」

「はい」

「その針を見ながら、こっちに来て」

「はい」

「この中をゆっくり歩いて」

「なんです?」

「いいから」

「…はい」

「ゆっくり歩いて」

「…はい」

「壁に沿って歩いて」

「…はい。あ」

「ちょっと暑いけど気にしないで」

「わかりました」

「その暑さがイイのよ」

「なにがいいんですか」

「なんでもいいのよ」

「なんでもないって言いたいんですか?」

「…そろそろね」

「そろそろと歩くんですか」

「そういう意味じゃなくて」

「ああ、わかりました」

「ストップウォッチ、見ててね」

「はい」

「…」

「…」

「…どうだった?」

「?!」

「何か変化があった?」

「ええと。なんと言ったらいいか」

「途中、遅くならなかった?」

「そ、それです!」

「なったよね?」

「なりました!」

「だよね」

「もう一度、試してみてもいいですか」

「いいよ」

「…では」

「…」

「……」

「…どう?」

「!!」

「ふふ」

「やっぱり…遅くなりました」

「だよねえ」

「不思議ですね」

「今度はこれで試してみて」

「これは?」

「クォーツのストップウォッチ。デジタルの」

「ああ。こっちのほうが馴染みですね」

「使い方はわかる?」

「使うのは久しぶりなんで。ええと」

「右のボタンで…」

「ああ、書いてありますね」

「わかった?」

「だいじょうぶです」

「じゃあ、もう一度、行ってきて」

「…はい」

「…どうだった?」

「…あれ?」

「ふふふ」

「デジタルだと遅くならないんですね」

「やっぱり、そうなのね」

「なぜですか?」

「わからない」

「わからないって…」

「私にもわからないの」

「でも、このタイム」

「なあに?」

「測った時間は、アナログでもデジタルでも同じです」

「ん?」

「入るときにスタートして、出るときにストップしたんですが」

「うん」

「計測時間はほぼ同じです」

「そう」

「でもアナログは途中で遅くなった」

「ああ」

「少なくとも、遅くなったように感じました」

「私が試したときも、そう感じたよ」

「どうしてですか」

「さあ。わからない。わからないから、きみを呼んだのよ」

「ヒントを、ください」

「ヒント?」

「そもそも、この装置はなんなのです」

「わたしが、造ったの」

「そんなことはわかりますよ。既製品じゃないことくらい」

「それで?何を知りたいの?」

「なんのために造ったのかを教えてください」

「この装置はね」

「はい」

「場の電荷量を測って」

「はい」

「帯電量に応じてマイクロ波を放射して」

「はい?」

「電荷を共振させる」

「ええと」

「共振した電荷は熱を持つ」

「…」

「量子力学的には、電子軌道が励起状態にある」

「……」

「励起状態の電子は運動量が不安定なので」

「ちょっと待ってください!」

「?なにか?」

「それ、電子レンジじゃないですか!」

「?!」

「マイクロ波って!」

「!!!」

「加熱するのが目的なら二か三ギガヘルツ帯域ですよね」

「…あ、うん」

「まさに電子レンジじゃないですか」

「…そうか!そうだな!電子レンジだな!うふふ」

「うふふじゃないですよ」

「言われるまで気づかなかったよ」

「気づかなかったよじゃないですよ」

「(笑)」

「なんだって電子レンジを作ったんです」

「電子レンジだとは思ってなかったんだ」

「誰がどう聞いても電子レンジですよ、その原理は」

「そうだよねぇ」

「わざわざ作ったんですか?」

「…そう」

「買ったほうが安そうですね」

「ああ。間違いなく、そうだね…」

「買えばよかったのに」

「…うん」

「材料費にいくらかけたかしらないけど」

「…言いたくもない」

「お金だけじゃなく」

「…あー!」

「時間も労力も無駄にして」

「言わないで!」

「それだけの時間があれば、書きかけのあの論文も」

「!」

「ぼくも共同執筆者なんですからね」

「…しゅん」

「口でしゅんって言わないでください」

「…きゅん」

「なんですかきゅんって」

「…にゅん」

「なにが言いたいんです」

「こんなとき、なんて言ったらいいのかわからないの…」

「…笑えば、いいと思うよ、です」

「ぎゃははははは」

「そういう笑い方じゃないです」

「ははははは…はは…は」

「そういうのでもないです」

「うふふ」

「撤回します。笑ったらダメです」

「あっぷっぷ」

「にらめっこじゃないです。変顔しないでください」

「うにゅ」

「やめてください」

「顔がにやけてるよ」

「しょうがないじゃないですか。先輩のそんな顔を見るのは初めてなんですから」

「そうか。きみには見られたくないものを見せてしまったな」

「見られたくないものなら見せないでください」

「見せたくて見せたんじゃないんだ」

「だったらなおさら見せないでください」

「けどね。笑ったらダメだと言われると笑いたくなるでしょ?」

「いいえ。そんなことはありませんが」

「わたしは、笑いたくなるんだよ」

「笑えと言っても笑ったじゃないですか」

「笑うなと言われても笑えと言われても笑いたくなる」

「ゲラですか?」

「?わたしは鳥じゃないし、木を突つかないよ?」

「そのゲラじゃなくてですね」

「じゃあ、お腹を壊したときの…」

「下痢じゃないです。汚いな」

「食べ物を戻したときのものかな?」

「ゲロでもないです。可愛い顔してそういうこと言わないでください」

「生理的に嫌悪感を催すようなもの」

「?なんですか?…グロ?どんどん嫌な方向にいきますね」

「…ことほど、さように」

「さように?」

「ガ行とラ行の組み合わせは悪いイメージの言葉が多い」

「悪い言葉ばかりじゃないでしょう」

「だからわたしは、そんな言葉で呼ばれたくない」

「いいイメージの言葉もあるんじゃないですか?」

「あるかな?」

「ゲルとか」

「ゲルにはいいイメージも悪いイメージもない」

「義理とか」

「人によって違うだろうけどわたしにはいいイメージじゃない」

「ゴリとか」

「ゴリ…」

「ゴリラじゃないです、五里霧中のゴリ」

「イメージ悪い」

「五輪書」

「宮本武蔵はお風呂嫌いで有名だし」

「合力」

「賭場の胴元?いいイメージなのかな?」

「ロシアの作家のゴーリキ」

「固有名詞は卑怯」

「御陵」

「…それ、お墓でしょ?」

「ご利用は計画的に」

「…」

「…」

「話を戻しますよ」

「あ、うん」

「大きな電子レンジを何のために作ったんですか」

「…そうだ。もともと、電子レンジは軍事用だったって、知ってる?」

「知ってるけど知りません。指向性レーダーの話も知りません。質問に答えてください」

「その前に、電子レンジっていうのやめよう」

「こんな大きな装置は電子レンジじゃないですもんね」

「そう。だから買ったほうが安いというのは当たらない。だいたい、買えない。売ってない」

「承知してます」

「さっきは調子を合わせたけど…」

「責めてほしいのかと思いまして」

「…まあ、そういう面はある」

「あるんですか!てっきり先輩はドSだとばかり」

「人間誰しも二面性や三面性があるでしょ」

「そうですけど、真反対の性質ってことはないでしょう」

「六面体なら真反対もありうるよ」

「…サイコロじゃないですか」

「どんどん面を増やしていったら…」

「十面体サイコロですか」

「…十一面観音?」

「ああ、そっちで来ましたか。でも十一面観世音って後ろだけには向いていないですよね」

「え?向いてるよ?」

「右と左と正面を向いてませんでしたか?」

「後ろに一面あるよ」

「そうなんですか?でも後ろ向いてたら、見られないですよね」

「見られないってなにが?」

「観客が、です」

「観客って…」

「仏像なんて見られてなんぼじゃないですか」

「せめて、参拝客って言おうよ…」

「あっ。そうですそうです、参拝です」

「それから、造形しなくても観音様はあるんだからね」

「ぞうけい?」

「造形」

「三人寄れば文殊の智慧?」

「造詣ではなく。そもそも文殊は観音様じゃないし」

「あっ。もしかして象形ですか?」

「馬鹿にしてる?象形をぞうけいと読みまちがえたりはしないよ」

「だって、観世音でしょ?頑是ないような気がするですよ」

「十一面観音は全方位を見張ってるんだよ」

「そうですね」

「いろんな方向の困っている人を見つけて、施すんだよ」

「はあ」

「だから、昔から御利益あるんだよ」

「御利益…あっ」

「?」

「先輩、御利益は?」

「御利益はとは?」

「好きですか?」

「そりゃ御利益はあったほうがいいけど」

「好きですか?嫌いですか?」

「好き嫌いをいうものじゃないでしょ」

「いいイメージですか、それとも悪いイメージですか」

「悪いイメージじゃないね」

「と、いうことは。いいイメージなんですね!」

「いいか悪いかと聞かれれば、そうだね」

「先輩」

「ん?」

「先輩はさっき」

「さっき?」

「ガ行とラ行ですよ」

「ガ行?…あっ」

「ふふふ。気付いたようですね」

「わ、わたしとしたことが」

「御利益はいいイメージなんですよね」

「そ。そうだけど」

「ではこれから先輩のことをゴリ役と呼びます」

「やめて」

「ぼくのことはアレクセイ・ゴリャークと呼んでいいですよ」

「呼ばないし、呼ばないで」

「ゴリ役の先輩」

「やめてって」

「御利益の先輩」

「イントネーション変えても、だめ」

「ゴリャークの先輩」

「やめなさいっ!」

「あ…はい」

「…」

「…」

「……」

「……ごめんなさい」

「………」

「…あの、怒ってます?」

「きみは少し調子に乗りすぎる傾向があるね」

「好不調の波が激しいですから、仕方ないです」

「そうね…」

「絶不調のときのぼくは、自分でも目も当てられないですよ」

「ええと…」

「だから、好調の波を捕まえたら、逃すわけにはいかないのです!」

「ちょっと…」

「御利益を捕まえるためなら、アリョーシャ・ゴリャークに改名してもいいです」

「何を…」

「父性が必要なら父にもイリヤに改名してもらいます。アレクセイ・イリイチ・ゴリャークです!」

「…ふう」

「残念ながら、ロシア語はできませんが」

「…少し休憩しましょうか」

「いいですね」

「中央棟に行きましょう」

「カフェテリアですね」

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