夏の夜空に浮かぶ月/小百合

 美月なんかと花火大会に来るんじゃなかった。

 自分のつま先あたりを見ながら、小百合はそう思った。さっさと会話を切り上げて欲しいのに、美月はお兄さんとその彼女と一緒にずっと話している。

 別に男性恐怖症という訳ではないが、それでも男の人は得意ではない。ただでさえ人の多い花火大会で男の人と話すだなんて、小百合にとってはキャパオーバーだった。

 しかし美月にも、美月のお兄さんにも悪気はないだろう。小百合と同じ部外者の彼女さんだって、にこやかに対応している。だから今の状況が気に入らないのは小百合のわがままでしかない。

 早く帰りたい。そう思って河川敷に目をやると、見知った顔がこちらを見ていた。

 春だ。

 ビニールシートが敷き詰められた河川敷の中腹に春がいる。オーバーサイズのTシャツを着た春は、あの日よりかなり肌が焼けていた。

 春は一瞬びくりと肩を強張らせた後、小百合に向かってぎこちなく手を振った。春に手を振り返そうとして、あがりかけた手を止める。

 春の隣には夏希先輩がいた。夏希先輩は体調が悪いのか、うつむいて春のTシャツの袖をぎゅっと掴んでいる。

「あらぁ、夏希じゃなぁい」

 彼女さんが、小百合と同じ方向を見て言った。

「夏希先輩の事知ってるんですか?」

 驚いて彼女さんを見ると、彼女さんは頷いた。

「あ、そっか。夏希先輩が一年の時、三年生だったんですもんね」

「こう見えてこいつ、お前の学校通ってる時バスケ部だったらしいからね」

「そうよぉ、髪もショートにしてたし、今と全然違うんだからぁ」

 とろりと溶けるような口調で、笑いながら彼女さんが言う。

「えー! 全然想像出来ないです! 今は綺麗に伸ばしてますよね。うらやましー!」

「お前もちょっとは女っぽくなれよ~」

「うるさいなぁ、お兄ちゃんには関係ないじゃん」

 もう一度春を見ると、春は小さく身体を丸めた夏希先輩を見ておろおろしていた。小百合の視線に気付くとスマホを高くあげて振ったあと、「ごめんね」というように顔の前に手を立てる。そして春は夏希先輩をかばうように小百合に背を向けてしまった。

「そろそろ花火、はじまるんじゃないですかね?」

 小百合はそう言いながら、ポケットからスマホを出した。LINEの通知が入っている。

「そうだね! じゃあね、お兄ちゃん」

「おう!」

 そうして去って行く二人を見送り、また春の方を見る。花火開始直前だからか、河川敷を照らしていた照明が落とされ、二人の姿がぼんやりとしか見えない。

「春と夏希先輩、本当に仲良いよねぇ」

 同じ方向を見ていたのであろう美月が、ほぅ、と息を漏らした。

「私はレズとかよくわかんなけどさ、お似合いだよね。あの二人」

 美月はうっとりするようにそう言うと、二人の背中を見たまま黙り込んだ。小百合はスマホをポケットにしまい、屋台の方へ歩き出す。

「え? どこいくの?」

「喉渇いたからなんか買いいこ」

「もう花火はじまっちゃうよ??」

「大丈夫だよ、花火なんてどこからでも見えるじゃん」

 とにかくすぐにここから離れたかった。

 小百合の中でまた、どろりとした感情がうごめく。



 花火大会も終わり、家に帰ってやっとLINEを開いた。そこには「今日の夜時間ある?」という言葉。

 どうしようか考えて、「なに?」とだけ返した。

 返してすぐに既読がつき、春からの返信がかえってくる。

『別に用はないんだけどさ。電話出来る?』

 少し考えて、小百合はスワイプをした。

『今は無理。夏希先輩は? なんか体調悪そうだったけど』

『体調が悪いとかではなかったんだけどね』

『どういうこと?』

『いや、私が言っていい事かどうか分からないから』

 煮え切らない春の返信に、小百合はなんだかイライラした。

 小百合はスマホをベッドに放り投げると、着替えをもって部屋を出た。こういう気分の時は、お風呂に入るのが一番良い。

 お風呂に入って、嫌な気持ちを流してしまおう。

 攻撃的な気持ちになっているときに返信をしたら、絶対後悔することになる。


 お風呂からあがってスマホを開くと、春からLINEがきていた。

『明日の夜、時間ある? 出来れば会いたいんだけど』

 正直言って小百合は会いたくなかった。お風呂からあがっても、小百合の気持ちは全然晴れていない。お祭りで感じた嫌な気持ちは今もお腹のあたりでグルグルと渦を巻いている。

 でも、このままでいい訳ではない。

『少しだったらいいよ』

 短く返信をして、小百合は大きくため息をついた。ベッドに横になり、目をつむる。

 瞼の裏側で透けて見える蛍光灯の光がうっとうしい。


 明日でもう、終わりにしよう。

 そう決めて、小百合は薄く瞼を開いた。見慣れた天井が見える。それは小百合に閉塞感と安心感を同時に感じさせた。

 あの日、小百合は春と友達に戻ろうときめた筈だった。春の為じゃない。自分の為にだ。

 夏希先輩から直接何かを言われた訳ではなかったが、きっと夏希先輩は春の事が好きなのだろう。そして美月が言っていたように、春には夏希先輩のような人の方がお似合いなのだ。春の事を考えてくれて、大事にしてくれる人。きっと夏希先輩は、小百合のように自分勝手な理由で春の気持ちを中途半端になんてさせない。

 それなのに今日夏希先輩と一緒にいるのを見て、小百合は裏切られた気持ちになった。

 大会はどうだったのかも、焼けた肌の理由も、なんで夏希先輩と花火大会に来ていたのかも、小百合は知らない。私の事好きだって言った癖に、どうして連絡してくれないんだと春を責めた。そんな資格なんてない癖に。

 春から連絡をしにくいようにしたのは小百合自身だ。それでも小百合は春からLINEが来るのをずっと待っていた。大会がどうなったか位教えてくれると思っていた。

 そんな自分をどこまで自分は身勝手なんだろうと思う。

 元々はじまってもいない関係だったのにおかしいとも思うが、このまま宙ぶらりんの状態でいるのは息が詰まりそうだった。


 枕をぎゅっと抱きしめて、窓の外を見る。

 深い紺色を泳ぐ風鈴の金魚は、小百合を静かに見下ろすだけで何も言ってくれない。


 春はどんな服装が好きなんだろう。そんな事を考えながら、小百合は眠りに落ちた。

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