それは水風船のように/春
中学生くらいだろうか。色違いの浴衣を着た二人組が、はしゃぎながら春を追い抜いていく。無邪気な彼女たちが繋ぐ手の指は絡まっていない。
小百合に恋をしてから世界が違って見えるようになったが、何故か今はそれが酷く後ろめたく思えた。彼女達が歩く度にお揃いの髪飾りが揺れる。
普段は人の少ない川沿いの道は、春達が来る頃にはたくさんの人で埋め尽くされていた。
やきそば、たこ焼き、かき氷。派手な屋台が両脇にずらっと並び、春の食欲を刺激する。
うずうずした気持ちで隣にいる夏希先輩を見ると、同じく春を見た夏希先輩が楽しそうに目を細めた。
「何から行きます!?」
「粉ものは外せないけどぉ、甘いものも食べたぁい! あんず飴とか、ベビーカステラとか!」
「とりあえずおなかふくらましたいですよね」
「食べたいもの沢山あるのにお金全然足りないよぉ! 給料日後が良かったぁ」
そう言って屋台を見てはあーでもないこーでもないと指を折り、財布と相談している。
まっ黄色なTシャツの夏希先輩は、Tシャツの色も相まっていつもより楽しそうに見えた。こんなに楽しそうにしてくれると、一緒に来た春まで楽しくなる。
さて、前借したお小遣いをどう有効に使おう。そう思い、春は辺りを見回した。
「あ、鳥皮揚げですって」
「なにそれ超おいしそー! ……でも500円かぁ」
「半分こしません? 絶対おいしいやつですもん」
「いいねぇ! あー! やっぱ春と来てよかったぁ!」
ぶんぶんと腕を振り回す夏希先輩が、早く早くと列に並ぶ。
それにしても、いつも変なTシャツを着ている人だ。練習の際に着ているTシャツも独特なものが多いと思っていたが、どうやら単純にそういう服が好きらしい。昨日はパンダが全面に書かれたTシャツを着ていたし、今日は胸の部分に「CAMPING OF BEARS」と書かれている。しかし今日を限って言えば、夏希先輩の服の方がお祭りの雰囲気に馴染んで見えた。
考えてみれば、今年の夏はほとんどの時間を夏希先輩と過ごしている。部活の時もよく一緒にいたが、バイトを始めてお互いの私服をよく見るようになった。毎日のように部活で顔を合わせていても、私服で会うと別の人みたいに見える。あまりにも癖が強いので、春は一度「デートの時とかどうするんですか?」と聞いてみたが、夏希先輩はきょとんとした顔で「同じだよ?」と言った。
あと違うことで言えば、外で会う夏希先輩は部活の時より幼い。先輩でもなくエースでもない夏希先輩はのびのびしていて子供っぽかった。
かき氷を受け取って、ひとさじすくう。
夏休みも終盤だ。いつもはあっという間に感じていた夏休みが、今年は妙に長い。むしろいつもより充実して、楽しい思い出を沢山作っている筈なのに。好きな人に会えない時間はこんなにも長い。
そういえば最後に見た小百合は白いワンピースを着ていた。春にはあれが普段着なのか、お出かけ用なのかもわからない。ただあの日の小百合は腕が出ているせいか普段より華奢で、大人っぽく見えた。
「春? おーい、春」
はっと顔をあげる。夏希先輩はきょとんとした顔をして、春を見ていた。
「ね、何味にする?」
たこ焼き屋にさがる黄色い画用紙に、プレーン、めんたいこ、チーズと書かれている。
「たこ焼きはやっぱ、プレーンじゃないですか?」
「そうだよねぇ! んじゃ買ってくるからちょっと待っててぇ!」
夏希先輩の背中を見ながら、春はスマホを取り出した。
場所取りしたシートに戻るころにはすっかり辺りが暗くなっていた。転げ落ちないように、ゆっくり芝生の斜面を降りる。
「良かったよねぇ、先に場所とっておいてぇ」
持ってきたビニールシートは座ってみると案外小さく、思っていたより距離が近くなった。そんな狭い場所なのに、隣に座る夏希先輩はサンダルを脱ぎ、容赦なくあぐらをかく。
「せっ、まいんですけど!」
「だって仕方ないじゃんかぁ。足も伸ばせないしぃ」
「体育座りすればいいじゃないですか。あっ、ほら先輩の足が私の領地に入ってますよ!」
「もぉ、春うるさぁい!」
夏希先輩は自分の足を机代わりにして、たこ焼きの容器をあけた。ふわっとソースの良い香りがする。
「花火って何時からだっけぇ?」
「あ、先輩おしぼりで手ふいて。お箸ってこっちでしたっけ」
「女子力たかぁい!」
「自分でやってくださいよ。えーっと、花火は確か七時からでしたよ」
「じゃああと三十分かぁ」
言われてスマホを見ると、六時半を少し過ぎたところだった。さっき送ったLINEの返信はない。
夏希先輩は、花火まで残していられるかな、と言いながらたこ焼きを見た。さっきあけたばかりなのに、もう半分になっている。春も夏希先輩の食欲に倣い、かなり溶けてしまったかき氷をすくった。
「ひとくちちょーだい」
夏希先輩に言われすくった氷を食べさせようとすると、ストロースプーンの先から溶けた氷が夏希先輩の膝に落ちた。
「つめたぁい!」
夏希先輩は、濡れた足を掌でごしごしとぬぐう。
「あ、すんません」
「もうドロドロになっちゃってるねぇ。飲んだ方が早いんじゃない?」
「まぁ確かに」
「へへ、おかえしにどうぞぉ」
春の目の前にたこ焼きを差し出し、夏希先輩はへらりと笑った。
「あつくないですか?」
「へーきへーき! もうぬるかったよぉ」
「ぬるいって……」
片耳に髪をかけ、たこ焼きを口っぱいに頬張る。表面は少し冷めているものの中からとろりと溢れ出した生地がほぼよく温かく、ソースがふわふわの生地と絡まってとてもおいしい。
唇についたソースを舐めとると、夏希先輩が春を見て笑った。
「春の唇に青のりついてるー!」
そう言って大きな口をあけた夏希先輩の前歯にも、しっかり青のりがついている。
「先輩にもついてますよ」
「え! 嘘!?」
「ほんとです。鏡あります??」
「あるわけないじゃんー!」
仕方ないなぁ、と言いながらカバンの中からティッシュを鏡を取り出す。
顔をあげると、夏希先輩はどこか遠く、一点を見ていた。
「夏希先輩……?」
「え……あっ」
夏希先輩の手から箸が落ちる。
「あー! もう、どうしたんですか? 知り合いとか居ました?」
「え? あー、うん、なんでもないよぉ」
夏希先輩は春を見ると、曖昧な表情で笑った。夏希先輩の様子がおかしい。
「絶対うそじゃないですか」
本当に嘘をつくのが下手な人だ。春は先ほどまで夏希先輩が見ていた方向に視線を動かし。
金縛りにあったように動けなくなった。
水色のロングスカート。ノンスリーブからのびる、頼りない肩と折れそうな程に細い腕。いつもは下ろしている長い髪はポニーテールにまとめられている。
「さゆ、り?」
小百合は視線を泳がせ、どこか居心地悪そうにしていた。こうして遠くから見ると小百合の存在感は本当に気薄で、花火大会の浮かれた雰囲気とは程遠い。言葉の通じない場所に一人で来てしまった、幼い子供のように見える。
横には同じクラスで美術部の美月がいた。同じクラスとは言え運動部と文化部なので、美月とはあまり接点がない。クラスでも目立つタイプではないが、周囲から浮きがちな小百合を気にしてよく話しかける姿を見ていたし、面倒見が良く明るいので悪い印象はなかった。
しかしその美月は今、知らないカップルと楽しそうに話している。不機嫌そうな小百合の様子を見るに、カップルは美月の知り合いなようだ。
美月はぺこぺことカップルの女性の方に頭を下げた。女性が笑って、美月にお辞儀を返す。
「ねぇ、もう花火大会はじまるよ。春。ねぇ」
夏希先輩が春の袖をひっぱった。それに「あぁ」とか「えぇ」とか返す。しかし返事をしたかも曖昧なくらい、春の視線は小百合と、女性の横顔に釘付けになっていた。
カップルの女性。ちらりと見えたその横顔に、春は既視感を覚えた。遠くてよく見えないが、どこかで見覚えがある。
部活の先輩、学校の先輩、いろんな人を頭に思い浮かべたが出てこない。
「春。春ってば。見つかっちゃうから、ねぇ、やだってば」
よく見ようと春が目をこらすと、顔をあげた小百合と目があった。
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