汗に濡れたユニフォーム/春

 期末テスト最終日、春は最後のテストが終わると同時に教室を飛び出した。向かった先はもちろん体育館。部活は明日まで休みだが、体育館は今日から解放している。


 テストから解放された春の足が、弾むように廊下を跳ねる。一週間ぶりの体育館だ。バッシュが床を鳴らす音を頭に思い浮かべるだけでウキウキしてくる。


「あれぇ? 春じゃん」

「あ、おつかれっす」


 体育館へ向かう途中で夏希先輩に会った。考える事は同じらしい。夏希先輩と合流すると、春は早歩きになっていた足を緩めた。


「テストどうだった?」

「ぼちぼちです」

「歯切れ悪いなぁ、赤点取ったらシャレになんないよぉ?」

「先輩こそ大丈夫なんですか?」

「だっからさぁ、私けっこー頭いいんだってばぁ」


 体育館の扉を開けると同時に、中に溜まった熱気がむわっと飛び出す。換気用の小窓をあけてみるものの、焼石に水だ。


「あっちー! 今年の暑さやばくない?」

「熱中症で倒れる子、たくさん出そうですね」

「マネージャーにポカリ多めに用意してもらおっか。とか言って、春も夢中になりがちなんだから気をつけなよぉ?」


 体育館に二人きりでいると、広い体育館が更に広く感じた。二人の声が高い天井に反響する。しかしこれは二人にとって珍しい感覚ではなかった。元々朝練や居残り練習等、二人で練習をする事が多い。

 ユニフォームに着替え終わった二人は慣れたように向かい合った。ぐ、と体を伸ばす。


「勉強会はどうだったの?」


 そう聞かれた春は、一週間前の小百合との勉強会の事を掻い摘んで話した。といっても自分のせいで勉強はほとんどしてないし、アイスを食べて帰っただけだ。


「それでぇ?」

「……別に、それだけですよ?」

「なぁんだぁ、つまんなぁい」


 言いながら夏季先輩はぐーっと上体を逸らし、体育館の天井に顔を向けた。反動を付けて何度か後ろへ逸らすと、向かい側で体を倒している春に向き合う。春を見る目が不満げだ。


「なんですか、つまんないって」


 春は眉を寄せ、抗議の顔を作った。ねだられたから勉強会の話をしたのに、つまんないとは酷い。


「だってつまんないよぉ! ちょっと進展しそうだったのにぃ」

「どこら辺がですか?」

「春の好きぴが嫉妬してたあたりとか」


 夏希先輩の春を見る目が、ゆっくりと細められる。にたぁ、という擬音が似合いそうな、下世話な視線だ。


「小百合が嫉妬? 誰に?」

「春に決まってんじゃん! 勉強中に別の子の事考えてたでしょ! って言ってたあたり?」

「違いますよ、私がちゃんと勉強しなかったから小百合は怒ったんです」


 嫉妬。なんて甘美な響きだろう。小百合が自分に嫉妬してくれたら……そこまで考えて、春は頭を振った。


「小百合が私に嫉妬なんて……ないない、ありえないです」


 春は顔の前で手を振り、夏希先輩の言葉を一蹴した。大きく足を広げ、上体を前に倒す。伸ばされた股関節にぴりぴりと心地よい痛みを感じた。春は決して身体が柔らかい方では無いが、柔軟をしている時の心地よい痛みは好きだ。


「小百合って、なんていうかクールなんですよね。あんま動じないっていうか。間接キスしても全然気にしてなさそうだったし」


 春としてはそこが小百合の良いところであり、ヤキモキさせられる部分でもある。

 小百合は自分をどう思っているのだろう。普通の友達よりは、近い距離で見てくれている気がする。でも、それが゛どの″距離感なのかはわからない。

 女友達というのは、元々距離が近い。友達同士で手を繋いだり、お揃いのものを持ったり、唇が触れそうな距離で内緒話をしたりする。だからどれだけ近くにいても、恋人のように接しても、同じ気持ちかどうかは分からないのだ。

 それは春にとって切実な悩みなのだが、そんな春を夏希先輩はケラケラと笑い飛ばした。


「ウケるぅ、じょしこーせーにもなって関節キスって」

「なんですか、何がおかしいんですか」

「えー、だって関節キスなら部活のメンバーでいつもしてるじゃーん」

「部員とするのはノーカンじゃないですか? 私にとっては家族みたいなもんだし」

「それ、他の子の前では言わない方がいいよぉ?」


 信じられないくらい身体が柔らかい夏希先輩は、痛みを感じる関節など無いのかと思う程にべったりと床に体を付けている。春が上体を起こすと夏希先輩も上体を上げ、手を春の前に出した。その少し汗ばんだ手を掴み、ぐっ、と引っ張る。夏希先輩の体はなんの突っかかりもなく、再びべったりと床に伏せた。


「夏希先輩だってそうじゃないですか?」

「そんな事ないよぉ、春と回し飲みするときはいつもドキドキしてるよぉ」

「またバカみたいなことを」

「なんたって、春はうちの次期エースだからねぇ」

「現エースが何言ってるんですか」


 冗談めかせた夏希先輩の言葉を鼻で笑う。バカにしたような春の態度に、夏希先輩はぷくっと頬を膨らませた。子供のような仕草に、ぷっと噴き出す。


 夏希先輩とペアで柔軟していると、本当に自分と同じ人間なのか不思議に思う。それは初めて夏希先輩のバスケを見た時にも思ったことだ。

 春は中学の頃から周辺の学校に噂される位の選手だったし、自分の技術にも誇りを持っていた。それでも慢心することなく、誰よりも練習をした。自分の技術は誰にも負けることはないと、そう思っていた。今考えるとそれこそ慢心だが、自信を裏付けるための努力はしてきたつもりだ。もちろん自分より凄い人が沢山いることは分かっているが、それは高校でも変わらないと思っていた。

 夏希先輩の第一印象はあまり良くない。喋り方がふにゃふにゃしてて、適当な感じで、こんな人がどうして? と思った。こんな人がレギュラーか、この高校もレベルが落ちたんだなと見下した程だ。

 しかし新入生の体験入部の際に1on1を申し込んだ時、春の考えは180度変わった。


「そろそろ夏休みが始まるね」


 今年の大会で三年生は部を引退する。先輩達の夏が続くか、それともあっという間に終わってしまうかは、自分にも責があるのだ。


「せっかく二人だし、久しぶりに1on1しましょうよ」

「おっ! いいよぉ、負っけないよぉ!」

「私だって負けませんよ。何か賭けましょうよ」

「んー、じゃあ」


「「スイカバーで!」」

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