湿気る夏服とビニール傘/小百合
中間テストも終わり、夏服に衣替えになった。
夏服になったとは言っても今は梅雨真っ盛りで、雨が降る日はまだ少し肌寒い。みんな夏服の上に少し大きめのカーディガンを羽織ったり、腰に巻いてみたり、校則の範囲を出ないおしゃれを楽しんでいる。
定番の白、紺、ベージュ。
変わってるものだと、赤、ピンク、水色。
色とりどりのカーディガンを羽織るクラスメイトを見ながら、小百合は下校の支度をしていた。
さぁ帰ろうかと小百合が廊下に目を向けた時。視界に入った人物に、小百合は率直にヤバイと思った。
「小百合!今日も部活来ないの?」
同じ美術部でありクラスメイトでもある美月だ。腰に手を当て、怒った表情をしている。
サボりがちな小百合とは違い、美月は真面目に部活に出ている。小百合の事を顧問から頼まれているのだろう。二年で同じクラスになってから、度々こうして絡んでくる。
「ごめんって、明日はいくから」
「そんな事言って、ずーっと来てないじゃん」
「うん、まぁ、そのうちね!」
そう言って足早に美月の脇を抜け、廊下へと飛び出す。「幽霊部員ー!」と詰る声が背中から聞こえてきて、小百合は心の中で手を合わせた。
クラスメイト達が残る廊下を出て、階段を降りていく。雨のせいでグラウンドを使えない運動部員が、廊下のいたるところで筋トレをしていた。
いつも号令と共にクラスを飛び出していくあの子は天候関係なく体育館にいると知っているのに、偶然見かけないだろうかと無意識に探してしまう。
しかし小百合の願い虚しく、あっという間に下駄箱までついてしまった。やっぱり見かけなかった人影に肩を落とすも、体育館まで行く気にはなれない。わざわざ体育館に行く位なら、クラスに居る時に声をかけている。
体躯に似合わない大きなビニール傘を差し、水たまりを避けて校門を目指す。霧雨の降る校庭は部活動の生徒も居らず、いつもより静かだった。雨が音を食べてるようだ。小百合は静寂を楽しみながら、明日も雨ならいいのになと思った。
小百合はこの季節が割と好きだった。母親が毎朝「洗濯物が乾かないわ」なんて言ってるが、それでもタンスの中にはいつも清潔な洋服が入っているのだから、雨が降っても困る事なんかない。
今日は雨だし、美月の手からも逃れられた。いい事続きだ。
上機嫌の小百合は立ち止まると少しだけ悩み、踵を返した。いつもは正門から帰る小百合だが、今日は少し遠回りして北門から帰る事にした。
北門から出て、駄菓子屋さんで駄菓子を買って、歩き食いして帰ろう。決して北門の傍にある体育館が気になるからじゃない。
そう自分で自分に言い訳をしながら歩く。
視線の先の、体育館の扉は開いている。雨のヴェールがかかる傘の中で、バッシュの鳴る音と掛け声だけがなぜか良く聞こえた。
そういえば、あの子がバスケをしている姿を見た事ない。ちょっと見るだけなら、きっと気付かれない。
少しだけ。横を通る時に、少し見るだけ。
体育館の中で部活動をする春。体育館を覗く自分を見つけ、駆け寄ってくる春。
容易く想像出来るあれこれは、少し前にクラスであった事だ。小百合はなぜか春と目が合う事が多かった。春は目が合うと、誰かと話していても中断して「なに?」と聞きにきた。
そういえば最近目が合う事もない。
体育館に近付くにつれ、呼吸が浅くなっていく。
いざ体育館の脇を通る時、小百合が体育館の中を見る事はなかった。
駅に向かう足が、無意識に早くなっていく。
あれ以来、春は小百合に話しかけてこなくなった。
元々頻繁に話す訳ではなかったが、意識してしまうと避けられているようにも感じてしまう。
否、避けられているのは間違いないだろう。
テスト前には必ず「ノート貸して」と言われていたのに、今回の中間では何も言われなかった。貸すものだと思って綺麗にまとめていたのに。肩透かしを食らった気分だ。
やっぱりあの日の告白は、本気だったのだろうか。
あの時は一瞬驚いたものの、夜になる頃には冗談だったのだろうと片づけた。小百合の、「好きと言われるのはどういう気分か」という問いに、春が「こんな気分だよ」と教えてくれただけだろうと。しかし避けられているとなると、話が変わってくる。
頭の中で「でも」と「だって」を繰り返しても、答えを持っているのが自分ではない以上意味がない。だからこそ何度か春に直接聞こうと思った事はある。
「私の事好きなの?」
なんか調子乗ってるみたい。
「あれってマジなの?」
ばかにしてるみたい。
「ハッキリしてよ」
はっきりされて困るのは自分なのではないか?
考えれば考える程、なんて聞けばいいか分からない。
そもそも聞いたからどうだというのか。そもそもそれが本気だったとき、自分はどうするつもりなのだろう。
春の事が好きかと言われれば好きだし、告白をされて意識するようになったのは事実だ。
でも恋愛としての好きなのかどうかわからない。
第一、好きって言われたから好きになるだなんて、なんだか不純な気がした。
改札を抜けて、駅のホームに立つ。イヤホンを耳に差し、プレイリストの中からお気に入りの曲を探す。すぐに見つけて再生ボタンをタップすると、小百合はやっと大きく息を吐いた。
最寄り駅のホームには、同じ制服の女子がちらほら立っていた。小百合はその中に一組、こっそり手を繋ぐ二人を見つけた。
二人はこそこそ耳元で話してはクスクスと笑いあっている。二人共、ネクタイの色が小百合と違う。一年生と三年生だろう。話し続ける一年生に、三年生がにこにこと頷いている。一年生の方が夢中に見えるけど、案外三年生の方から告白したのかもしれない。二人は小百合の視線には気付かないようで、相変わらず指を絡ませている。
あの二人は卒業したらどうするのだろう。上級生と下級生のカップルだと、先に大学生になった方が異性と付き合い、別れてしまう事がよくあるらしい。みんな女子高での、ここ限りの恋と割り切っているのだろうか。
「女子高だからなんだろうね」と冷めた目で言っていた春の横顔を思い出す。女子高だから。春もそう思っているから、あんな目をしていたのではないだろうか。
それは、私に対しての気持ちも?
頭を振り、嫌な想像を追い出した。春に好きと言われても答えられないのに、中途半端な気持ちで好きと言われるのは嫌だなんて、あまりにも都合が良すぎる。
足元を見た。一年の頃からずっと履いてるローファーはつま先の方が擦れていて、雨の日は水が染みる。濡れた靴下の先が気持ち悪い。
大好きな雨の日に、大好きな曲を聞いてるのに。濡れた靴下が染みをつくる。
早く帰ろう。そして熱いお風呂に入ろう。
顔を上げると、丁度電車が滑り込んできた。
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