第5話 簸川正の章

 捕虜の視察が終わり、出口まで革命軍メンバーの山内が見送ってくれる。

「本日はありがとうございました。簸川さん、お気をつけてお帰りください。」

山内の言葉は普段通りだが、俺はその裏側にあるものに気がついてしまっていた。

「ああ。山内もお疲れさん。」

あくまで笑顔で、自然に答える。

今日の出来事を思い返すと、どうしても笑顔が引きつりそうになるのを必死で堪える。


 捕虜を収容している故宮は、不穏な空気に満ちていた。

そしてそれを隠そうともしていないようだった。

捕虜とした兵士たちを手厚く待遇するように、きれいな寝床や日に三度の食事を与えるように指示は出しておいた。今日はその視察だった。

確かに、寝床は整えられていたし、食事も与えられていたようだ。

問題は何もないように見えた。そう、表面上は。


 しかし、だったらあの捕虜たちの怯えようはどうだ?

ある捕虜は俺の足音に対して敏感に反応し、小動物のような怯えた視線を向けてきた。その顔には脂汗が浮かんでいた。

また、ある捕虜は俺に笑顔を取り繕おうと、世にも恐ろしい歪んだ笑顔を浮かべていた。

さらにある捕虜にいたっては、床に横たわり、食事に何も手を付けず、その手はぶるぶると震えていた。視線は宙を漂っているだけだ。

俺はその捕虜を知っている。

神田の妹たちを殺そうとしていた残虐な小役人だ。

やつはあの日に肩と足を撃たれて重傷を負っていたはずだが、大した治療もされずに冷たい床に転がされていた。


 それを見るうちに、俺の中にある疑念が生まれた。

その疑念とは、「こいつらは捕虜を虐待しているのではないか?」というものだ。

勿論俺はこいつらを信頼しているし、長年行動をともにしてきた仲間に対してそんな疑念を抱いてしまったことを恥ずかしいとも思った。

しかし、視察を進めていくうちに、裏付ける証拠ばかりが目について疑念はどんどん強くなってしまった。

俺は心の底から願った。頼むよ、俺にみんなを信じさせてくれ、と。

こんなくだらない疑念を打ち砕いてくれ。


 そして意を決して、山内を問いただした。

「なんだか、捕虜の連中は怯えているようだが、どうしたんだ?」

しかし山内は取るに足りないことであるとでもいうように鼻で笑いながら、

「ええ、まだ革命から3日しか経っていませんからね。現実を受け入れられていないんじゃないでしょうか。あと、自分たちが支配していたやつらにどんな復讐をされるのか、気が気でないんじゃないでしょうか。」

その笑いは、疑念をほぼ確信に変えるに十分だった。

しかし、俺はまだ仲間を信じたかった。

山内だって、もう数年間も行動をともにしてきた仲間だ。

熱血漢で、正義を貫く、信頼できる男だ。

俺らの理念はよくよく伝わっているはずだ。


 わざと少しふざけた口調で問いかける。

「まさかとは思うが。おまえら、この連中を虐待なんてことはしてないよな。」

「ええ。そんなことはありませんよ。許すことからしか未来は生まれない、それが『貴方の』理念ですからね。」

山内は声のトーンを変えずに答える。

その表情からは何の気持ちも読み取れない。


 もはや疑いの余地はなくなってしまった。

山内の中では、「俺らの理念」はいつの間にか「俺の理念」に成り下がっていた。

俺は努めて平静を装ったが、心の中ではとても大きな失望に打ちのめされていた。

たった3日だ。

たった3日でこの有り様だ。

俺はいままで、15年間戦ってきた。

15年間、「殺さないこと」「許すこと」を俺らの理念として掲げてきた。

それはいったい何だったんだろうか。


 たしかに、殺さない革命家など、お人よしと言われるかもしれない。

世間知らずと言われるかもしれない。

そんな革命はありえないと言われるかもしれない。

それでも俺に付いてきてくれた仲間を、心の底から誇りに思い、敬愛し、信頼していた。


 でも、違った。

すべては俺の勘違いだった。

俺は15年間、いったい何をしてきたんだ?

いったい何のために戦ってきたんだ?

何もかもがわからなくなった。


 しかし、確かな事実として、こいつらは捕虜を虐待している。

そうでもなければ、捕虜があんな怯えた目をするわけがない。

そして、ことさらその虐待を隠そうともしていない。それはなぜだ?


 日も暮れて、暗澹たる気持ちのまま帰りを急いだ。

さきほどのことは、神田とも相談しなければならないだろう。

途中で、女の子とすれ違った。

ずんずんと刑務所方面に歩いて行く。

彼女は、確か、神田の妹の友人で、高海桃という子だったはず。

こんな時間にどうしたんだろう。

普段の俺だったら、呼び止めていただろう。

まだ心の傷も癒えていないであろう彼女のために小粋なジョークのひとつでも言ってやれただろう。

しかし、今日はとてもそんな気にはなれなかった。

通り過ぎる彼女に声をかけることなく、神田の元へ急ぎ向かった。

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