第4話 神田真の章

 俺は元内務省、現臨時政府の一室の椅子に深く腰掛けている。

ここはリーダーである簸川さんと俺の合同執務室として設えてもらった部屋だ。


 革命が成功して3日がたった。

見込んでいたとおり、国王軍の兵士はろくな訓練もされていなかった。

やつらは、武器の面で劣る一方で高い士気を持った革命軍を前に臆病風に吹かれて降伏し、大きな戦闘もほとんど発生しなかった。

精鋭部隊であるはずの近衛兵も国王を守るどころか見捨てて逃げ出した。革命の終わりはなんともあっけないものだった。


 これからこの国は変わる。自由で寛容な国になる。

故宮、つまり旧宮殿では、いまは捕虜を大量に収容している。

今日、簸川さんはその視察に出ている。

きちんと人道的に捕虜を扱っているか、暴力を振るったりしていないかを確認する必要があるからだ。

俺たちは「殺さない」ことを理念に行動してきたし、この先それを曲げるつもりもない。


 確かに国王一派はたくさんの人々を殺した。殺しすぎた。

一緒に戦ってきた革命軍の仲間もたくさん死んだ。

家族を殺された仲間もたくさんいる。

妹だって危うく死ぬところだった。

そのすべては理不尽な死だ。

俺たちは一方的に奪われ続けた。

仲間を失った怒りや悲しみは決して消えない。


 しかし、それでもその罪を許すことからしか、未来は生まれないのだと簸川さんは言ったし、俺もそれを信じている。

 

 ここまで来るまでに長い時間がかかった。

リーダーである簸川さんがこの革命軍を組織してからかれこれ15年。

俺たちはようやく、ようやく自由を手に入れることができた。


 小さかった頃、近所に住んでいた簸川さんにはよく遊んでもらった。

簸川さんは10歳以上年の離れた俺を可愛がってくれた。

楽しい遊びをたくさん知っていて、優しくて力持ちのお兄さんだった。

もともと自衛隊の出身で、身体の大きかった簸川さんは穏やかでちょっと抜けていて、でも締めるところはきっちり締める、尊敬できるリーダーだ。

いまでは俺もその右腕として認めてもらっている。

俺は自他ともに認める交渉上手なので、そこを買われているんだと思う。


 うーん、と伸びをする。

これからが正念場だ。

臨時でもまずは政府を作り、国を新しく作り直さないといけない。

そして、現在そのための人手が圧倒的に足りていない。

つらい体験を乗り越えて、涼や刑務所にいた友人たちも参加して手伝ってくれている。

特に優は一番積極的に意見を出してくれていて、かなり助かっている。


 その時、部屋のドアがノックされ「神田さん、ちょっと。」という声。

「どうした、井口。」

「高海桃さんが、神田さんと話したいって。」

高海桃。涼の友人で、東洋刑務所に捕らえられていたあの子か。

一体どうしたんだろう。

「わかった。ここに通してくれ」

と言うと、井口が彼女を呼びに玄関まで降りていき、ややあって遠慮がちにドアがノックされた。


「どうぞ、入って。」

「失礼します。」

桃は目線を下に向けている。

彼女は5人のなかでも内向的な子で、まだ心の傷も癒えていないのだろう。

「とりあえず座って。今日はどうしたの?」

「真さん。今日はお聞きしたいことがあって来ました。」

「なんだろう。あ、桃ちゃんって呼んでいいかな。」

俺はにこやかに微笑む。いつものように。

「あ、はい。それで本題なんですけど。」

「国王をまだ生かしているって聞いたんですけど、本当ですか。」

静かだが怒気がこもった口ぶり。俺は逡巡したが、

「…ああ。そうだよ。殺さないのが俺たちの理念だからね。」

と、変わらぬ笑顔で伝えた。


 沈黙。1分が数時間にも引き伸ばされて感じられる、重苦しい沈黙。

「…なんで。」

桃がその沈黙を破る。

「なんで、殺さないんですか。あいつは生きてちゃいけないんですよ。最も苦しい方法で、見るも無残な姿で殺さなきゃ。絶対楽に殺してなんかやんない。」

「桃ちゃん、落ち着いて。」

彼女は俺の制止を聞いてはくれない。

手で机を叩き、声も大きくなってくる。

それを聞きつけた井口が、不穏な空気を感じて部屋に飛び込んでくる。


「だいたいあたしがあんなに苦しんでこんなに苦しいのに、なんであいつがのうのうと生きているの!真さん、そんな理念だかなんだか知りませんけど、あいつを殺してください!」

「そういうわけにはいかないよ。」

「真さんはあたしの神様なんです。その神様でさえ、あたしを裏切るんですか。」

桃はすっかりヒステリーになってしまっている。それに、神様ってなんだ?

「神様…?」

「そうです、助けてもらったあの日から、あなたはずっとあたしの神様です。この何も楽しくない真っ暗闇の世界で、ただひとつの明かり。」

「そんなことは…」

彼女の論理は完全に破綻していて、流石に俺の笑顔もひきつってきた。

俺を見つめるその目には狂気が宿っている。


 その迫力に気圧されそうになるが、俺は桃の目を見て、冷静に告げる。

「…桃ちゃん。俺は、神様なんかじゃないよ。俺はただの神田真っていうひとりの人間。神なんて、そんな神聖なものになるつもりもない。」

「嘘をつかないでくださいよ。神様は神様です。あたしの罪を許してくれるのは、あなただけ。」

理解が追いつかない。

「それは違う。桃ちゃんがどんな罪を犯したのか知らないけど、その罪は桃ちゃんしか許すことができない。それを他人に求めることが間違っているんだ。それと、繰り返すようだけど、俺は神様じゃない。」


 桃はついに泣き始めてしまった。俺はため息をつきながら

「あまり駄々をこねないで欲しい。俺たちはこれからの国作りを考えていかなきゃいけないんだ。そりゃあ国王一派に恨みは死ぬほどあるさ。でもね、例えば彼らに国作りの知恵を借りることだってあるかもしれない。優秀なひとだってたくさんいるはずだ。…わかってくれるね。」

笑顔で、柔らかい口調で言いながらも目では威圧する。

これは俺が交渉でよくやる手だ。

弱っている相手は、これでだいたいノーとは言えなくなる。

それをわかっていて高校生相手にそんなことをする俺も大人げない。

すっかり怯えた桃は泣きじゃくりながら下を向いている。

頃合いを見計らって井口にアイコンタクトを送り、桃を部屋から連れ出させようとする。すると

「あたしに触るな!!!」

目をカッと見開き、大声で叫ぶ。

「神様じゃないなら、神様じゃないなら、」

ゆらりと立ち上がる。

「あなたなんか、いらない!」

ドアを乱暴に開き、出ていってしまった。


 部屋に取り残された俺たちは呆然とそれを見送ることしかできなかった。

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