第六章

第六章

杉三の家。テーブルに座って、食事をしている杉三と藤吉郎。

美千恵「それで、由紀夫さんはどうしてる?」

杉三「大家さんに精神科まで運んでもらった。」

美千恵「そう、急にそんなことってあるのねえ。で、入院になった?」

杉三「うん。一応。」

美千恵「もしかして、保護室とか?」

杉三「わかんない。病院の判断による。」

美千恵「どこの病院にいったんだっけ?」

藤吉郎「木村病院。」

美千恵「あそこ?まあ、まずいところに入ったわねえ。あそこは、犯罪者を収監するとこよ。全然評判よくないところって聞いてるわよ。」

杉三「あれ、きれいに掃除されてたところだったけど?」

美千恵「それは、ただのだまし絵。中に入ったら、怒鳴り声と、くさりの音の温床ってまえにうちを利用していた人がいってた。」

杉三「そうなの!なんか間違えた判断しちゃったかなあ、、、。はじめに池本クリニックに連れて行ってさ、そうしたら、看護師さんがあっという間にそこへ連れていった。ここでは見切れないからって。僕らもついていったら、なんだか池本クリニックとは全然違ってさ、僕らも診察に立ち会わせくれと言っても、怖い顔してだめだというし、僕らが待合室でまってても、誰も声をかけないし、しびれを切らして受付に聞いて、やっと入院したと知ることができたよ。」

美千恵「まあ、そういうところよ、あそこは。池本クリニックとは全然違うの、覚えておきなさいね。」

藤吉郎「かわいそう。」

美千恵「まあ、仕方ないわよ。」

藤吉郎「僕と同じ。」

杉三「どういうことだ?」

藤吉郎「ダメになる。」

杉三「なるほど。」

藤吉郎「必ず。」

杉三「必ず?」

藤吉郎「帰れない。」

杉三「帰れないってどこにさ。」

藤吉郎「ここ。」

美千恵「確かにそうかもしれないわね。でも、そうせざるを得ないのが、今の日本ってもんじゃない?」

藤吉郎「いや。」

美千恵「いやでも仕方ないわよ。」

藤吉郎「見える。」

杉三「誰が見えるんだい?」

藤吉郎「由紀夫さん。」

杉三「何が見えるんだ?」

藤吉郎「そと。」

杉三「そりゃ、目が付いてて、窓があれば、誰でもできることだろうが。」

藤吉郎「ガラスの。」

杉三「ガラスの?」

藤吉郎「棺。」

杉三「ガラスの棺。」

美千恵「もう少し詳しく言える?」

藤吉郎「出られない。」

美千恵「出られないって?」

藤吉郎「永遠に。」

杉三「永遠に出られないガラスの棺?なんだろう。あ、わかった!わかったよ!」

美千恵「何がわかったのよ、あんた。」

杉三「こういうことだ。つまり、外を眺めることができたとしても、二度と外へは出られない、それが木村病院のようなところと言いたいんだろう。ガラスの棺というと聞こえはいいが、確かに中に入っている人はたまらないよね。」

藤吉郎「だから。」

杉三「うん。だから?結論までちゃんと言ってみな。途中で止まる様じゃダメだぞ。」

藤吉郎「助けよう。」

美千恵「二人とも、待ちなさい。彼がそこへ行ったのは必要だからいったわけでしょ。素人が勝手に外へ出してどうするの。日常生活ができないんだったら、こっちではくらしていけないのよ。うちの施設に来ているお年寄りも、そういう理由で預けてもらっているご家族はいっぱいいるわよ。」

藤吉郎「だめ!」

杉三「僕もそう思う。だって彼には時間もあるし、和裁という素晴らしい能力もある。ガラスの棺に閉じ込められたら、それが全部なくなるような気がする。」

美千恵「でもねえ、、、。あんたたちがいくらそう思っても、あのマンションの大家さんをはじめとして、彼に対して好意的に接してくれる人はいないんじゃないかなあ。だって、大家さんにとっては家賃を払ってもらわないと、困るわけでしょうが。金を払えばそれでいいじゃあ済まされないって偉い人はいうけどね、庶民にとっては、それほどありがたいものはないわよ。」

杉三「じゃあどうしたらいいんだ?」

美千恵「だから、さっきも言ったでしょ。そうするしかないところもあるのよ。」

杉三「あのマンション、どうなるだろう。」

美千恵「強制退去だと思うわ。家賃を払えなくなるんだから。」

杉三「じゃあ、彼が帰ってくる場所もなくなっちゃうの?」

美千恵「そうね。一からやり直しってことになるかなあ。それとも、それすらできないかもね。一度入ると、ああいうところは癖になるし、、、。」

藤吉郎「だめ!」

杉三「僕もそう思う。」

美千恵「でも、病院以外で、受け入れてくれる施設なんてあるかしらね。」

杉三「じゃあ、うちにこさせよう。」

美千恵「ちょっと、何を考えているの?」

杉三「当り前だ。誰かが一人でも、味方になってやらないでどうするんだ。うちだったら、どうせガラクタばっかりあるんだからさ、暴れられたっていいさ。うちに空き部屋があるんだから、もう一度住まわせてもいいじゃない。それで、一からやり直しさせよう。」

美千恵「あんたって人は、変なことばっかり思いつくのね。」

杉三「あれ、一からやり直しってのは、母ちゃんが発言したんだぜ。」

美千恵「そうだけど、それとこれとは話が別よ。」

杉三「それじゃあ、母ちゃんの職業が泣くよ!」

藤吉郎「そのほうがいい。」

美千恵「理想的に言えばそうだけど、現実はねえ、、、。」

藤吉郎「そのほうがいい。」

杉三「もし、可能であれば、もう一回和裁を仕込んでしまおうか。」

藤吉郎「そうだね。」

杉三「僕は馬鹿だから、幸いあの時はこうしてやったのに、今はなんでできないとか、そういうおかしな感情は持ちませんから!」

美千恵「全く。そういうところ、誰に似たのかしら。うちにはそんな考えをする人は誰もいなかったんだけど。」

杉三「それはねえ、母ちゃん。僕が馬鹿だったから。それ以外にない。」

美千恵「そうね。それしか考えられないわ。あんたが、そう思うんなら、懲りるまでやってみたら。」

杉三「よしわかった。じゃあ、由紀夫さんを、何とかして連れ戻して、こっちで生活させようぜ。」

美千恵「何を考えているのかしらね、、、。」


翌日。木村病院。病棟にやってきた、杉三と藤吉郎。

看護師「彼ね。ずっと座り込んだままよ。まあ、ただの鬱状態じゃないかって、先生に聞いたけど。暴れることも全くないし、ここで言ったら優等生になるかも。」

杉三「だったら早く外へ出してやってくれ。そのほうがよっぽどいい。」

看護師「そうね。私もそう思う。軽い人を閉じ込めていたら、かわいそう。」

杉三「いまはどこにいるんだよ。」

看護師「ああ、もう、保護室にはいなくてもいいからって、解放病棟に移ったわ。」

杉三「じゃあ、あって話せるかな?」

看護師「まあ、返答はできないかもしれないけどね。」

杉三「それはどうでもいいから、とにかく会わせろよ。」

看護師「こっちの部屋ですよ。」

と、一室に案内する。

看護師「佐藤さん、お見舞いが来たけど、話せる?」

由紀夫は、窓の前に置かれた椅子に座って、外を眺めている。

杉三「おい、由紀夫さん、見舞いに来たよ。」

由紀夫は、杉三のほうを向く。

杉三「今日はいい青空だぜ。外へ出たらまた違うかもしれない。一緒に来ない?」

とてもそんな気はしないらしい。

杉三「こんなところにいてもしょうがないよ。外のほうが、空気もよく、うまいものがあるし、綺麗なものもあるし。ちょっとでいいから出てみよう。」

藤吉郎「そうだよ。」

由紀夫は黙って椅子から立ち上がる。

看護師「あら、佐藤さんが立った。」

杉三「じゃあ行こう!」

杉三が部屋を出ると、由紀夫もついてきた。そして、三人そろって廊下を歩き始めた。

他の患者たちは、エントラスホールで何かしていたから、廊下には誰もいない。そのほうが好都合である。

杉三「なあ、青柳教授に頼まれて、頑張って着物を十枚縫ってあげたんだよね。」

由紀夫は黙って頷いた。

杉三「疲れたんか?」

由紀夫はまだ黙っている。

杉三「まあ、馬鹿は全否定なんかしない。きっと、無理をするなとか言われたんだろうけど、違うよねえ。本当の気持ちは。」

由紀夫が杉三のほうを見る。

杉三「隠さなくたっていいんだぜ。きっと、着物を縫ったことで、疲れてしまって、また迷惑をかけたとか、自分を責めてしまったんでしょう。まあ、人間だからさあ、誰でも得手不得手があっていいと思うんだけど?」

藤吉郎「暴れた?」

由紀夫「まあ、、、。」

杉三「やっぱりそうか!およそ、そんな理由だと思った。僕らはそれを責めたりはしないよ。だって僕らは馬鹿だもん。偉い人はなんでもできちゃうから、そういうことを言うけれど、君にしてみれば、それをするだけで、精いっぱいだったでしょ。君がそれで落ち込んだら僕みたいな人はどうなるのかと思ってよ。僕みたいに、文字を読み書きできなくても、ノータリンとして生きている人間もいるんだぞ。」

由紀夫「でも、杉ちゃんは、暴れることはないでしょう。」

杉三「文字が書けないからと言って、馬鹿にされることも多いけど、僕にはどうしてもできないので、、、。」

三人は、うるさいエントラスホールを避けて、誰もいない病棟のロビーについた。

杉三「ああ、窓の外がきれいだな。早くガラスの棺から抜け出したいよね。」

由紀夫「正直、自信ないよ。」

杉三「なんで?」

由紀夫「だって、また暴れる。」

杉三「まあ、それは、仕方ないよ。そういうことは。僕も、馬鹿だけど、楽しくやっているよ。」

由紀夫「馬鹿と、精神障害とは違います。」

杉三「そうかな?」

由紀夫「はい。」

藤吉郎「なぜ。」

由紀夫「事実、そうだからです。杉ちゃんは、感情もコントロールできて、他人に迷惑をかけることはしない。」

藤吉郎「もっと悪い。」

杉三「こいつの顔や手をよっく見ろ。自由になるのはどこなのか確認してみろ。それを見て、もういちど、理由を答えてみな!」

由紀夫「確かに、、、。」

杉三「じゃあ、もう一度いってみな。」

由紀夫「ごめんなさい。」

杉三「ごめんなさいじゃないよ。頼むから、手も足くっついていることに目を向けてくれよ。それさえあればできるよ、何だって。それに早く気が付いて、こっちに帰ってきてくれ。」

由紀夫「でも、でも、でも、、、。」

藤吉郎「でもじゃない。」

杉三「お前もたまにはいいこと言うんだな。だからね、こいつみたいに、何にもできないけど、こうやって生きている奴もいるんです。君はそれも、全否定して、自分がだめだというのなら、僕の友達は、みんな犯罪者みたいになるね。」

由紀夫「僕はどうしたらいいんだろう。」

杉三「簡単なことじゃないの。君が力を振り絞って獲得した称号が泣くぜ。」

由紀夫「何もないですよ。そんなの、こういうところに入ったら無効です。」

杉三「へえ。じゃあ、彼女、香織さんはどうなるんだろうね。彼女は君が作った着物を毎日着て、一生懸命水穂さんのこと見てるみたいだけどね。着物って、洋服と違って意外に直しが利くもんだと思うんだが、それをやってくれる人もいなくなるわけだねえ。」

由紀夫「だって、僕よりうまい方はいっぱいいますよ。僕なんていなくてもいいでしょう。」

藤吉郎「ダメ!」

由紀夫「それがあるなら、お和裁の先生に頼めば、、、。」

杉三「お和裁の先生の家は、遠いんだよなあ。」

由紀夫「杉ちゃんだって和裁できるでしょうが。」

杉三「じゃあなんで、僕のところに弟子入りしようと思ったの?」

藤吉郎「教えて!」

杉三「本当だ、さっきの言葉が正しければ、君が和裁をしようとは思わないはずだ。」

由紀夫「だから、、、。」

杉三「悪いけど、あいまいな答えでは認めないからな。僕は、答えを聞きだすまで、質問をし続けるので。」

由紀夫「わかりません。あの時はただ、やってみたいなあと思っただけで。」

杉三「それだけじゃないんじゃないの?」

由紀夫「それだけですよ。」

杉三「へえ、そんな理由で、十枚も縫える?」

由紀夫「彼女がかわいくて。香織さんが、かわいくなっていくのが見たくて。」

杉三「そうだろう。もっと、あるんじゃないの?僕のうちに弟子入りしようと来た理由。」

由紀夫「何もできないのではなく、何かできる人間になりたいなあと、本気で思ったから。でもその何かが何もなくて、、、。だったら、やるものが少ない、伝統的なものに行ったほうが、まだ何かできるかなあと、、、。」

藤吉郎「それでいい。」

杉三「それで、十枚も縫えるんだから大したもんだよねえ。」

由紀夫「でも、そんな簡単な理由でよかったのか。」

杉三「いいんじゃない?それで十枚縫えたんだから。」

由紀夫「そうでしょうか。」

杉三「だって、本当にやりたくなければ、十枚も縫えないよ。もうちょっと、素直になれ!」

由紀夫「はい、、、。」

杉三「ようし!よくいった!それを口にしたんだから、二度と逆戻りはいけないぞ!」

由紀夫「わかりました。」

その時、患者たちが病棟に戻ってきたので、

杉三「じゃあ、また。ひとまずかえるわ。」

藤吉郎「またね。」

と、静かに、ロビーから去っていく。


一方、製鉄所では、、、。

布団に寝ている水穂。

香織「ご飯、持ってきました。」

水穂「ああ、もうそんな時間なんですか。」

香織「ええ。今回は、ただの白がゆではなく、卵を入れてみたけどどうですか?」

と、おかゆの入った茶碗を差し出すが、

水穂「生憎、卵は苦手なので、、、。」

香織「食べれないんですか?」

水穂「はい。」

香織「ごめんなさい、すぐに変えて来ますから、」

水穂「悪いのは僕ですから。作ってくれてありがとう。」

香織「私何も知らなくて、、、。」

水穂「これからは、ただの白がゆで大丈夫ですからね。栄養価とか、本当に気にしないでいいですから。それにしても、そんなことまで、よく考慮できますね。」

香織「私、どうしてこんな風に失敗ばかりなんだろう。」

水穂「それなら、作る前に確認を取ったらどうですか。」

香織「いえ、自分でできなきゃダメって、、、。」

水穂「まあ、失敗することもありますから、確認を取るってことは、悪いことでもないですよ。」

香織「でも、自分でできなきゃ、自立できない、、、。」

水穂「そうやって、自身をがんじがらめにするのもよくないですよ。」

香織のほうを見たが、彼女は泣きはらすのみである。

そこへ戸を叩く音。

水穂「はい。」

がらっと戸が開いて、懍が車いすでやってくる。

水穂「あ、おかえりなさい。」

懍「ただいま戻りました。どうですか、お加減は。」

水穂「ええ、おかげさまで何とか明日には立てそうです。」

また少し咳が出る。

懍「無理を言ってはなりませんよ。よくなるまで、きっちりと休んでもらうことも使命の一つでもありますからね。もう、お食事は済まされました?」

水穂「いえ、まだなんです。」

懍「今日はどうしたのでしょう。馬鹿に遅いですね。」

香織「ごめんなさい先生。私が、間違えたばっかりに、食べるものがなくなってしまって。」

懍「間違えたって何をです?説明してごらんなさい。」

香織「だ、だから、調理係のおばさんに、いつもと同じ全粥でと言われたんですけど、私、全粥では栄養が足りないんじゃないかなって思って、卵を入れてしまったんです。水穂さんが、卵を食べられないことを知らないで。」

懍「すぐに作り直してきてください。食べるものが本当になくなったらどうなるか、それくらいわかりますよね。」

香織「は、はい、わかりました。すぐに作り直してきます!」

懍「泣いていてはだめですよ。それより、次にどうするかを考えないと。」

香織「ご、ごめんなさい。」

懍「謝るより、次にどうするかを考えるほうが先決です。」

香織「すぐ行ってきます!」

と、立ち上がって、厨房のほうへ走っていく。

水穂「教授が帰ってくるまで、そこで泣いていました。きっと、感情が溢れすぎてしまうんだと思います。」

懍「そうですね。それが良いほうへ向いた時には、素晴らしいものがあると思います。例えば、音楽などには高い能力を発揮すると思いますよ。しかし、それが、日常生活となると、ああして手が付けられなくなるんでしょうね。彼女が、座敷牢に幽閉された原因の一つはそこだと思われます。」

水穂「そうですね。ピアノなんかを仕込んだら、きっとうまくなると思います。ヤナーチェクのシンフォニエッタに興味を持つということは、おそらく、感性が良すぎるくらい良いと考えられますね。」

懍「ヤナーチェク、ですか?」

水穂「僕が倒れる寸前にそういっていました。あと、ゴドフスキーのソナタを聞きたいともつぶやいていましたよ。」

懍「これはもしかしたら、彼女が与えられた、天からのたまものともいえるかもしれません。

現代風に言うと、障害という言葉になるかもしれませんが、そう解釈するよりも、前述したように解するべきです。いや、そうしてやらないと、彼女は立ち直るきっかけを失います。彼女を座敷牢に幽閉したのは、おそらく彼女の両親だと思いますが、きっと、彼女がほかの子供と、あまりに違いすぎて扱いに困っていたのだと確定できます。もしかしたらですが、精神科などに行った可能性もありますね。もし、彼女の症状を良いほうに解釈してくれる医師であれば、何かしらの対策を取ったと思いますが、生憎彼女は、そうではなく、おそらく多剤投与などしかされなかったのではないでしょうか。」

水穂「教授、彼女がもしやりたいと言いだしたらの話ですが、一絃琴のような簡素な楽器を習わせるのも一つの手ですね。残念ながらピアノですと、幼いころから研鑽を積まなければなりませんが、一絃琴のような楽器であれば、比較的短期間で引きこなすこともできるでしょう。一絃琴保存会などに問い合わせてみましょうか。」

懍「そうですね。あれであれば、非常に簡素な楽器ですからね。その提案は、僕もよいと思いますよ。」

水穂が再び咳をする。

懍「しかし、あなたも、体を治すことが目下の急務と言えます。」

水穂「ああ、すみません。」

懍「そのためにも、今日は無理をしないでくださいね。」





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