第2話



ピーンポーン、ピーンポーン。



ふいにインターホンが鳴って、ゆらゆらと我にかえった。目に映った景色はまるで知らない家のようで、鈍い違和感が頭の中で渦巻く。


ピーンポーン、ピーンポーン。



「……出なくていいのかよ」


ぼーっと突っ立っているあたしを見かねて、遠慮がちにかけられた声。


「っ!よ、よくない!」


毎日のように聞いていたはずのその声は、なぜか心を震わせる。反射的に口にした言葉が裏返ったことに驚いて、心臓が跳ねた。

まばたきをしてクリアになった視界は、いつもどおりで。だけど、浮かんでいるようなふわふわとした気持ちだけは、元の状態には戻りそうもなかった。



急ぎ足で玄関に向かいながら、いつのまにか火照っていた頬にそっと触れる。

こんなに熱いのはきっと、あいつがあんな顔するからだ。あんなこと言うからだ。これからひとに会うっていうのに、なんてことしてくれるんだ、まったく。口に出せないぶん、心の中で全力で叫ぶ。

というか、そもそも。何かの冗談じゃないのか。洸太が、あたしを好きなんて。顔を合わせればケンカばっかりのあたしを、好きなんて。


廊下が一直線なのをいいことにぐるぐる考えながら歩いていると、玄関にたどり着いたのにも気づかずに足を動かし続けて、段差でドスンと尻餅をついてしまった。


…地味に痛い。それに、なんて恥ずかしい。生まれたときから住んでる自分の家で、どうしてこんなに間抜けに転んじゃうんだ。


「なっ、何の音だよいまの!大丈夫か!?」


本気で焦った声とバタバタという足音とともに洸太がリビングから飛び出してきて、ひっくり返っているあたしのそばで、驚いたように足を止める。あたしはお尻をさすりながら立ち上がると、どんな顔をすればいいのかわからずに引きつった顔で答えた。


「えーっとね、……すべっちゃった?」

「……は?」


口をぽかんと開けた洸太が、理解不能とでも言うようにあたしを見ている。その表情とさっきまでの真剣な顔との違いがおかしくて、状況も忘れて思わず口角が上がる。


「いやー、その、ね。ほら、つまり、さあ。……そこの段差で、こけちゃった、みたいな」


いまいましいその場所を指差ししてそう言って、アハハハハーと自分で苦笑い。ほんと恥ずかしすぎる。あたし、バカだ。口に出した事実のひどさに落ち込む。

絶対笑われるだろうなあと思って洸太の様子をうかがうと、案の定。


「っ、ぶふぉ!おっまえバッ、バッカじゃねえの!!ありえねえー!!」


盛大に吹き出されていた。肩を震わせて、お腹まで押さえてヒイヒイ言っている。

あんた、あのキリッとした顔はどこに行ったんだ。いやまあ、戻ってきたら戻ってきたで困るんだけれど。


「そっ、そこまで笑わなくてもいいじゃん!」


確かにいまのはあたしが抜けてたんだけど。段差で尻餅とか、自分でもありえないと思うんだけど。それでも、バカにされっぱなしがムカつくのはきっと、長年積み重ねてきた時間と、アホみたいな口ゲンカのせいだ。


「いーやありえねえ。絶対爆笑もんだぞ、いまの。おまえお笑い芸人にでもなるつもりかよ」

「んなわけないでしょーが!頭どうかしてんじゃないの?」

「おれは常に正常ですー!どこかの誰かさんみたいにひとりでボケたりしませーん!」

「だーかーらー、違うって言ってんでしょ!事故だよ、事故!!」



不思議だなあ。いままでで初めてってくらい、あんなにも気まずかったのに。ふたりとも、もういつもどおりみたい。こんなふうな会話が、いつからかあたりまえになってたんだ。それこそ、呼吸をするような感覚で。


「あーはいはい。しょうがねえから事故ってことにしといてやるよ」

「む、むかつくっ!サルのくせに生意気なー!」

「サルじゃねえよ!立派な人間!……はあ。心配して損した」


ふっと。ちいさなため息と一緒に洸太から零れた言葉に、とくんと心臓が揺れる。

そっか。あたし、こいつに、

――告白、されたんだ。


いつもなら笑い飛ばすセリフが、いまさらのようにあたしに突きつける。

ちゃんと理解してる。洸太の気持ちが冗談なんかじゃないってことも、あたしがそれを真剣に受けとめなきゃだめだってことも。

でも。あたしには、わかんない。かっこいいなって思うことはあっても、恋心をいだいたことなんてたぶん、生まれてから一度もないから。

そして、悔しいけど、洸太はかわいい顔をしてる。あたしもそれを認めてる。悔しいけど。だからこそ余計に、わかんない。だって、多すぎて選べないくらいデートのお誘いがあったやつなのに。その中には絶対あたしよりかわいい子からのもあったはずなのに。洸太が誰とも付き合わずにあたしを想っていたことが、不思議で不思議でたまらない。


「…あたしのこと、いつからすきだったの?」


ポロっと。こんがらがっていた頭は、自分の声とは思えない情けない声をはじき出した。触れたら割れてしまいそうなんて、自分の声にそんなこと思うのはおかしな話だけど、そのくらい揺れた問いかけが洸太とのあいだにじんわり広がってとける。

サル呼ばわりされたと思ったら急に話題を引き戻すような質問を投げかけられて、驚いたんだろう。洸太は目を白黒させながら、それでも、すごく恥ずかしそうに話しだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る