第28話 召喚士と身分解放

「はぁ……」


 自国の人間だけになった応接室で俺は深く息を吐くと、どっと疲れてソファーの背もたれに体重をかけた。そんな俺を秘書が心配そうに見ていた。副市長は記者会見に行った。


「俺の外交ってこれほど力がなかったのか。先方を怒らせて帰らせるなんて何やってんだろうな……」


 静けさ漂う市長室で自分が情けなくなって思わず愚痴を零す。それに対して秘書が言う。


「市長は親善大使様です。思うままに動いてください。市国民の矢面には私と副市長が立ちます」

「そんなわけには……」

「いえ。それが政治です」


 自分の右腕をないがしろにしているようにも思い、自己嫌悪に陥る。しかしやはりこれが政治なのだろう。


 この日は南北両国の重鎮を呼んでいたわけで、シイバ家の屋敷で晩餐会の準備もしていた。しかしそれも流れてしまった。するとせっかく用意した料理が勿体ないと、夕方から客人が訪ねてきた。


「初めまして、親善大使様。アキコ・ヒグチです」

「初めまして。トモヒロ・イケワキです」


 この老女は白髪を蓄え、皺だらけの顔に朗らかな笑顔を浮かべた。リンの母方の祖母だ。


 晩餐会自体は滞りなく済み、リンのお婆さんは食後に俺とリンの寝室に来た。


「少し親善大使様とお話がしたくて来ました」

「お気を楽にしてください。トモでいいです」

「そうですか。それではトモさん」


 俺とリンは御付きのメイドを部屋から出し、お婆さんと3人でソファーに腰かけた。そしてお婆さんが切り出した。


「私が占い師です」

「そうですか」


 意外ではなかった。当初こそリンが占い師かとも思っていたが、俺と会ってからそんな素振りは一切見せないし、それなら身内の誰かがそうだと思っていたのだ。


「それから初代召喚士です」

「なんと!」


 これは意外だった。女の血筋はそうだとリンから聞いていたので、俺が驚いたのは「初代」の方だ。


「召喚の儀を執り行えることは占いで知りました。そして私は今から54年前に1人の男性を召喚しました」

「そうですか」

「彼はこの国に発展をもたらしてくれて、やがて私と結婚をしたリンの祖父です」

「えっと、今は?」


 この場にいないのでなんとなく聞きづらかったのだが、結局聞いた。


「10年前に61歳で他界しております。この国では平均的な男性の寿命です」


 若いな。医療の発展も課題かな。しかし平成の日本ではそのために高齢化が進み、体が元気なのに対して脳が退化するから認知症問題も発生している。要検討だ。


「彼も当時は親善大使様と期待をされ、見事その期待に応えて当国の発展に尽力してくれました」

「それでこの世界の人間として認められたわけですね?」

「そうです。しかし彼にはもう1つ使命がありました」

「そうなんですか?」

「はい。出会ってすぐに思考がまだ付いて来ていない彼に私が言ったことなので、彼はそれを思い出すことなく先立ってしまいましたが。私も教えませんでしたしね。おほほ」


 上品に小さく笑ったお婆さんがお茶目に見えた。


「因みに既にこの世界の人間だと認められた人間が、もう1つ使命を果たすとどうなるんですか?」

「同じように体が光ります」

「それだけ?」

「いえ。加えて子孫に、同じように召喚術をもたらしました。これは私の占いでわかりました」

「だからリンも召喚の儀ができたわけですね」

「そうです。但し女だけですが」

「娘さん、つまりリンのお母さんはしないんですか?」

「いえ。先日占いで出ました。再び親善大使様が現ると」

「じゃぁまた!?」

「はい。娘にするよう私から申し伝えます。ただ来年ですが」

「そうですか」


 それでも文明が遅れた世界だ。これは朗報である。できれば俺のように元の世界に未練がなく、そして専門知識を持っている人が召喚されればいいと願う。


「その報告と合わせて今日はこれをお持ちしました」

「ん?」


 それは紙束だった。


「私の夫が書いた論文です。次の親善大使様が現れたら渡すよう言われておりました」

「ありがたくいただきます」

「それでは年寄りはもう寝るとします」


 するとここでリンがメイドを呼び、予め用意させていた客室にお婆さんを案内した。その時に外交について話がしたいと言われ、俺は前市長に呼ばれたので論文をデスクの引き出しに入れて部屋を出た。


 そして翌日からだった。突然情勢が変わり俺は論文のことを失念した。


 前日に行った副市長の記者会見が空気を変えていた。いや、正確に言うと記者会見に南北両隣国の記者を呼んでいたことが功を奏した。

 なんと両国の国民が民主主義という言葉を初めて知ったのだ。むしろ今まで知らなかったことに驚きだ。すると両国で瞬く間に民主化運動が始まった。


 ヤン国は民主化運動に圧されて国王が退陣。主権を国民に渡した。自身は国の象徴という役職を新設して政から身を引いた。


 一方、ソウ国将軍は最後まで抵抗を見せたが、決定打は先の戦争で負傷した多くの兵を抱える軍だった。軍はもう人命を失いたくないと職務を放棄し、民主化運動に参加した。

 やがて将軍は陥落し、先の戦争の戦犯として幽閉された。謀らずとも俺の個人的な復讐が達成された形だ。そう、平行世界の人物に対して元の世界の怨恨が。ただ気分のいいものではない。後の裁判で元将軍は終身刑になるか極刑になるだろうと言われている。


 そしてヤン国に続きソウ国も民主主義国家となった。よってカケモリ市国は防壁を残したまま部分開国をした。防壁は国の象徴であるとともに税関のようなものだ。


 開国によって俺は国立大学の建設を市議会で可決させた。ソウ国とヤン国から大学教授の派遣ができるようになったからだ。こちらの交換派遣人員は両国よりも進んだ技術者である。

 大学建設場所は木造のカケモリ学園があった場所だ。既にこの時、特進科までの建設は済んでいて、他の科の新校舎が完成したら大学着工だ。


 この流れで留学生の交換もできるようになった。するとそれは下級市民にも影響する。犯罪者の身分解放はないが、亡命者の残された家族は身分解放され一般市民となった。

 更に進学のために亡命した学生は、本人が希望すればカケモリ市国の市民権を戻され、留学生と扱われるようになった。つまり俺の両親も妹もカケモリ市国の市民権が戻ったのだ。尤も彼らの俺に対する認識は親善大使でしかないが。


 ただこの下級市民の解放こそ俺が市長になってやり遂げたかった事案である。


 加えて俺に感謝の念を述べたのはシイバ家のツインテールのメイドだ。涙を流して喜んでいた。そりゃ、幼馴染が下級市民から一般市民に戻ったのだから。もうしばらくシイバ家でメイドをして、ゆくゆくは彼と一緒になることを考えるそうだ。


 話を戻し、技術者派遣によってソウ国が驚いたのが、山頂に建った鉄筋コンクリート造4階建ての建造物が高校の校舎だと知ったことだ。


「そんなことを知っていたら戦争なんてしなかったのに」


 俺が出張視察したソウ国内で国民がそんな愚痴を零した。けど当時は好戦的な独裁国家だったし、こちらからそんなことを言っても信じてもらえたのか些か疑問が残る。それに今更考えても後の祭りだ。

 ただ、戦死者たちへの敬意だけは忘れないようにしたい。


 やがてシイバ家の分割した土地に俺とリンとフタバの新居が完成した。そしてリンとフタバには何もさせず、俺はメイドたちと一緒に荷解きをしていた。するとリンのお婆さんからもらった論文が出てきた。

 俺は夜になって荷解きが落ち着いた頃、その論文を捲った。

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