第26話 終戦
改正法が施行されたその日、即俺は職場である市役所にリンとフタバとの婚姻届けを提出した。2人とも職場を抜けて来ていて、俺は仕事中に他の課に赴いている。
「重婚第一号だな」
「そうだな……」
「これで私たち夫婦なんですね」
「そうだな……」
自分からプロポーズをしたとは言え、人生二度目の結婚で2人目と3人目の妻に少しばかり気恥ずかしい。シイバ家が屋敷の土地を分割してくれたので、そこに建築予定の家が完成したらフタバも同居を始める予定だ。
婚姻の手続きが完了し、市民課の窓口を離れた時だった。
「親善大使様!」
血相を変えてやってきたのは副市長の秘書だ。
「どうした?」
「市長と副市長がお呼びです。すぐに市長室にお越しください」
「ん、わかった」
俺は一度フタバとリンを見た。
「私はそろそろ学園に戻らなくてはならないから気にするな」
「私も休憩時間が終わってしまいますので、もう行きます」
「そっか。それじゃ、行ってくる」
そう言葉を交わして俺は副市長の秘書について市長室まで行った。市長と副市長は緊張したような、それでいて興奮したような表情を見せる。
俺が彼らの対面のソファーに座ると市長が言った。
「関所の兵から今連絡がありました」
「どういう連絡ですか?」
「敵が撤退しました」
「なっ!」
自分でもわかるほど目が見開き、前のめりになった。
「それってつまり……」
「はい。終戦です」
「うおー!」
俺はその場で立ち上がり、拳を握って両手を突き上げた。市長も副市長も、果ては彼らの秘書もそんな俺を微笑ましく見ていた。
「親善大使様が築造された防壁をどうしても破れないと判断したようです。無理をすれば自分たちの兵がどんどん削られますので」
もちろん人の命を奪うために作った防壁ではない。自国を守るために作った防壁だ。しかし結果は敵国の兵の命を奪っているわけで、それを思うと手放しで喜べるものではない。
ただ、今は、今だけは、終戦を喜びたいと思う。
「ソウ国の使いの者が今防衛局に来ていて、当国の防衛大臣と外務大臣と話をしております」
「そうですか! 内容はどんな?」
「まだ詳細はこれから報告が上がりますが、第一報として首脳会談の開催を求めているとの情報が入ってきました」
「なるほど」
つまり撤退して終戦させたが、要求はあるということなのだろう。
「市長はそれに応じるおつもりで?」
「それなんですが。そのことについて親善大使様にご相談があってお呼びだてしました」
「何でしょう?」
「私はそろそろ任期の4年を迎えます。今月には次期市長選の公示があります。それで親善大使様に次の市長に立候補をしていただけないかと」
「次期市長!? 俺がっすか!?」
思わず素が出てしまった。だって心底びっくりしたんだもん。
「はい。シイバ家で全面バックアップしますし、それがなくとも親善大使様の支持率は盤石だと思っております」
「あのぉ……、この国の被選挙権って……?」
「選挙権が18歳で、被選挙権は20歳です」
クリアしてるし……。俺、今人生2度目の21歳だから。
「えっと、いきなりのことで……」
「そうですな。けど公示まであまり時間もありませんし、是非とも立候補をしていただきたい。そして当選した暁には首脳会談をするかどうか、するならどういうお話をされるかまでお任せしたいのです」
なんとも恐れ多い。余所者の俺が市長か……。でも考え方を変えれば余所者だからこそ市国の政治に新しい風を吹かせることができるのか。難易度は高いしその重圧は計り知れないが、間違いなくやりがいはある。
「一晩考えさせてもらってもよろしいですか?」
「はい。いいお返事を期待しております」
その後、俺が市役所内に用意してもらっている自分の執務室に戻った時だった。
「親善大使様、今までお世話になりました」
俺の正面に立って頭を下げたのはツインテールのメイドだ。俺は思わずきょとんとしてしまった。
「終戦につき、私の護衛も終わりです」
「あ……」
俺は反射的に立ち上がって、デスクを回り込み、メイドのすぐ目の前に立った。するとメイドは俺を真っ直ぐ見据えて言った。
「明日から私はシイバ家のメイドに戻ります」
そうだ。メイドの使命は終戦まで俺の護衛をすること。その終戦が今日やってきた。
メイドとは校舎建築の途中からアシスタントのフタバよりも長い時間工事現場に一緒にいた。それに戦地では一緒に火矢の脅威に晒され、資材調達や負傷者の搬送のため市国中を駆けずり回り、トイレと風呂も一緒に入った。
風呂で洗いっこをしたことがあるのは2人の嫁には絶対内緒だけど。
しかしそんなメイドだからこそ多大な情がある。開戦してから3年半、常に隣で多くの時間を共にしてきた。
「そっか……、そうだよな。今までありがとう、ミヤビさん」
「ふふ。初めて名前で呼んでくれましたね」
そう言って笑うメイドの顔がとても眩しかった。――と思った瞬間だった。メイドの両腕が俺の首に巻きつき、俺はメイドから熱い口づけをされた。
長く濃厚なキスだった。その瞬間こそ驚いて頭が真っ白になった俺だが、メイドの唇が離れた時にはうっとりしていた。
「これまで親善大使様と過ごした時間は冒険のようで楽しかったです。それから名前で呼んでくれて嬉しかったです。今のはそのお礼です」
「あ……、う……」
俺が何も言葉を繋げず口籠っていると、メイドが人差し指を立てて俺の唇に当てた。このメイドは本当に綺麗で、けどツインテールだからどこか幼くも見えるのだが、しかし今の仕草と表情はとても魅惑的だ。
「ずっと我慢してたんですよ? 毎晩トモ様の行為を見せつけられて」
確かに俺がソウ国の刺客に殺されかけてからは寝室にも入ってきていた。
そして俺も初めて名前で呼ばれた。メチャクチャ熱い矢で射られた思いだ。戦地では全て振り払ってくれたのに、自分の火矢だけはしっかり俺の心臓に突き刺しやがった。
「羨ましかったから今のはリン様とフタバ様に対する当てつけでもあるんです。これも1つの浮気ですよね?」
今の表情と仕草で小首を傾げるのは反則だ。何も言い返せない。
「トモ様に娶られたいな、なんて淡い期待をしたこともあるんですよ?」
2歩押せばソファーに押し倒せる。どうしよ……。いくか? 俺。けどリンとフタバが……。
「私はこれから当てにならない期待を胸にシイバ家のメイドを続けます」
「期待って?」
メイドの指が触れたままの俺からやっと言葉が出た。
「下級市民から解放されるかもわからない彼を待ちます」
あ、幼馴染か……。
「やっぱり私は彼のことがずっと心のどこかにありますので」
そうか、ちょっと期待した自分が滑稽だ。この小悪魔め。
とは言え、下級市民と言われて俺にも思い浮かぶ人物がいる。この世界では赤の他人で血の繋がりもない両親だ。北のヤン国に亡命した妹も気になる。自国が鎖国をしているため、他国の情報も満足に入ってこない。ブローカーからの情報だけでは限界がある。
するとメイドが俺から離れ、1歩距離を取った。そして途端にキリッとしたいつものメイドの表情に戻った。
「本当に今までお世話になりました、親善大使様。失礼します」
そう言うとメイドは深く腰を折り、執務室を出て行った。
俺はメイドが出てからしばらく呆然としていた。いつも一緒にいたはずなのに、嵐のようだった。
やがて自我を取り戻し、思考がまとまると俺は市長室に駆け込んだ。
「市長! 俺、次期市長選に立候補します!」
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