第21話 イケワキ家

 総合病院ではフタバの両親が働いている。今までも戦地を駆けずり回っていた日曜日なんかは出入りしていたのだが、一度も遭遇したことはない。木造2階建てだがかなり広いし、この混乱期の中かなり慌ただしいから。

 フタバはそんな両親のことも気になっているのだろうが、一切それを口に出さない。総合病院を離れる時は振り返ることもしなかった。自分のやれることと向き合ってそれに集中している姿は健気だ。


「トモ君、馬車が到着します」

「わかった。メイドさん、行こう」

「畏まりました」


 俺とメイドの役割は中腹の診療所から運ばれてきた負傷者を、総合病院の病室や処置室に運ぶこと。応急処置は施された負傷者ばかりなので、戦地と比べれば一刻を争うというわけではない。それでも油断はできない。


「包帯のお取替えをしますね」

「あぁ、ありがとう」

「傷口に貼り付いていたら痛みますが、少し我慢してくださいね」

「わかった。頼むよ」


 フタバは病室を回ってできる範囲で負傷者のケアをしている。これには人手不足で困っていた病院の職員も助かると言っていた。


 それは俺とメイドが負傷者を処置室に運んで、フタバがいる病室に出向いた時だった。俺たちより一歩早くその病室に入る1人の看護師がいた。


「フタバ……」


 その看護師は病室に入るなり室内のフタバを見て立ち尽くした。それを俺とメイドは病室の外の廊下から見ていた。


「お母さん……」


 フタバはその大きな瞳を潤ませ、そして声を震わせた。すると床を蹴って勢いよく看護師に抱き着いた。そう、彼女がフタバのお母さんだ。フタバのお母さんはしっかりとフタバを受け止め、優しくフタバの頭を撫でた。


「無事で良かったわ」

「うん。今はね、シイバ家のお屋敷でお世話になってるの」

「あら。校舎建築のアシスタントでしたっけ? それと関係があるの?」

「そうだよ。お父さんは?」

「寝る間もないほど忙しいけど、なんとかやってるわ」

「良かった」


 すると俺は軽く腕を引かれた。腕を引いたのはメイドだ。


「他の病室を回りましょうか? 包帯の取り換えくらいなら私にもできますので、ご同行をお願いします」

「そうだな」


 俺はメイドと一緒にその場を離れた。

 戦争真っただ中の混乱期。その緊迫した病院内ではあるが、それでもほんの少しだけあの母娘に安らぎの時間を与えてほしいと願った。


 俺とメイドが移動した病室で、メイドが負傷者のケアをし、俺はそのサポートに就いた。そして1室全ての負傷者のケアが終わった時だった。


「馬車が到着するぞ!」


 恐らく医者だと思われる男の声で、それは廊下から聞こえてきた。


「親善大使様、行きましょう」

「あぁ!」


 俺とメイドは病院内を足早に進み、エントランスを駆け抜け、屋外まで出た。すると馬車は程なくして到着した。俺とメイドは病院の職員と協力し合って負傷者を運び出す。


 客車内の負傷者が半分ほど連れ出された時だった。俺とメイドは幌と丸太で作られた担架に1人の負傷兵の男を乗せた。


「え……」

「いかがなさいました?」

「いや、なんでも……」


 俺は唖然としながらもなんとか処置室まで搬送をこなした。そして後ろ髪を引かれる思いで処置室を出た。

 今運んだ男は中年だった。応急処置はできていたものの眉間に皺を寄せ、その苦悶の表情から瞳が開くことはなかった。だから俺の顔を見ていなかったと思うし、見られたところで俺のことを認識しているとは思えない。


「親善大使様、いかがなさいました?」


 俺の足取りが重いので、次の負傷者のために馬車に戻っている時にメイドが問い掛ける。俺は未だに今しがた運んだ負傷者が気になっている。


「さっきの人……」

「恐らく下級市民ですね」

「下級市民……なの?」

「はい。防具がお粗末でしたから」


 それに対してショックが隠せない。そんな俺を見てメイドが怪訝な表情を見せる。


「お知り合い……ではないですよね?」

「違う」


 知り合いではない。この世界では初めて会ったから。しかし、市民が俺の生まれ育った掛守市に類似している市国だ。見覚えのある顔はたくさんいる。


「もし気になるなら調べましょうか?」

「え? できるの?」

「はい。他のメイドに頼みますので」

「お願い」

「畏まりました」


 その夜には屋敷の他のメイドから報告があった。リンもこの時は学校から帰って来ていて、部屋の住人4人の他に、報告に上がったメイドがいる。


「親善大使様よりご依頼がありました今日総合病院に運ばれた下級市民ですが、名をヒロシ・イケワキと言います」

「やっぱり……」

「え? トモ?」


 リンが唖然とした様子で俺を見る。フタバは心配そうな表情を見せた。ツインテールのメイドは表情に変化こそないものの、視線をこちらに向けたので何か感じるところはあるのだろう。


「父さん……」

「そうなのか!?」

「やっぱりここは掛守市の平行世界だ。いや、市国の外を知らないからもしかしたら日本の、むしろ地球の平行世界かもしれない」

「どういうことだ?」


 リンに質問を向けられるがうまく説明できる自信がないし、できたとしても話が長くなる。俺は報告に上がったメイドに向き直った。


「続けて」

「はい。ヒロシ氏には妻と娘がいます」


 俺はいない。シイバ家の占いでも召喚できる旨が出ていたのだから、最初からこの世界の俺はいないのだろう。尤もここが平行世界である前提の考えだが。


「娘は現在高校1年生」


 俺の妹と同い年。それはこちらの世界の妹であると考えて間違いなさそうだ。


「彼女は強く大学進学を希望し、中学卒業と同時に北のヤン国に亡命をして、高校入学からヤン国にいます」

「なっ!」


 妹は亡命をしていた? だからカケモリ学園で見ることがなかったのか。確かに俺の妹は知識欲が強く、勉強熱心だった。医大を卒業してからは薬学研究のために大学の研究室の職員になったほどだ。人の個性には相違の見えるこの世界だが、妹はなぞられている。


「娘は両親を置いて単身で亡命をしたため、両親が下級市民に格下げされました」

「そんな……。じゃぁ、今日運んだ父さんは毎日戦火の中にいたのか?」

「恐れ入ります。親善大使様のお父上だという情報は入っておりません。しかしヒロシ氏が開戦後から戦地にいたのは事実です」

「くっ……」


 俺は膝を付いて発狂しそうになった。しかし発狂したところでそんなことが無意味だと考えなくてもわかる。

 傍でずっと感じてきた。工事中に生徒が自分の親の安否を気にしている姿を。しかし俺のこの世界での父さんは三交代ではなく毎日戦場だった。そんなこと居た堪れない。むしろ今まで負傷兵でなかったことが奇跡なのではないだろうか。


 荒む。心が。やるせない。このぶつけようのない怒りの矛先がわからない。これを破壊衝動とでも言うのだろうか。こんな混乱期の国で、俺は今まで感じたことのない沸々と湧き上がるものを自覚した。


「トモ……」

「トモ君……」


 すると俺の両肩に柔らかくて温かい感触があった。それは俺に心配の眼差しを向けるリンとフタバだった。


「はぁ……、はぁ……」


 呼吸が乱れる。やっぱり落ち着かない。


「悪りぃ。今は近づかないでくれ」

「そうか。では近づかないのは無理だから、ベッドに行こう」

「え……、リン……」

「行きましょう、トモ君。私と会長で全部受け止めます」

「フタバ……」


 俺はリンとフタバから手を引かれた。そこで俺は2人に感情をぶつけた。今までにないほど、荒く、荒く。2人は全身で全てを受け止めてくれた。

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