第19話 狙われた命

 休工日である日曜日の俺たちの日課はお忍びで防壁まで行き、少ない時間で戦況を確認し、多くの時間で馬車に負傷者を乗せて診療所に運ぶことになった。俺たちとは俺とフタバとツインテールのメイドだ。

 戦況は関所の扉が破られ、今は敵国の侵入を許さないよう関所での攻防が続いている。よって死傷者の数は増えている。尤も敵国はそれ以上の被害を出しているとのことだ。


「うぅ……、痛てぇ……」

「大丈夫ですからね。今止血はしましたよ。もうすぐ診療所に到着しますよ」


 客車の中で応急処置をしたフタバが懸命に負傷者を励ます。負傷者が痛みで顔を歪める様に思わず目を背けるが、俺たちのやっていることは必要なことなのだと自分に言い聞かせ、目の前の作業に集中する。

 俺は医療の知識がないため力仕事を担当している。専ら負傷者を抱えて馬車に乗せる役目だ。メイドが御者席に座る移動中の高速馬車はそのなりを潜め、速度は中速だ。それでも客車が揺れるので、俺は負傷者の負担にならないよう彼らの体を押さえている。


 やがて診療所に到着するとメイドが急いで客車にやってくる。そして幌と丸太で作った担架を客車の天井から下し、重傷者をメイドとフタバで運ぶ。俺は比較的軽傷者をおぶって診療所に運んだ。


「先生、こちらの方が重症です」

「わかった。処置室に運んでくれ」

「はい。今日は何名まで受け入れられますか?」

「今運んできた2名が限界だ」

「わかりました。総合病院行きの患者さんはいますか?」

「今のところはいない」


 診療所内で医者とメイドの会話が木霊する。客車の患者はもう1人いるが、彼は比較的軽傷者なので次の診療所に運ぶことになった。

 そして診療所はいつ来ても処置室や病室に収まりきらない負傷者で溢れ返っている。体は包帯が巻かれ、ロビーや廊下で壁に背を預けて座ったり、そのまま床で横になったりしている。


「トモ君、その方を下ろしたら看護師さんに傷薬をもらって、客車の方の手当てをお願いできますか?」

「わかった」


 フタバから仰せつかって俺はロビーで背負っていた負傷者を下ろすと、看護師から薬をもらい客車に戻った。フタバとメイドは担架を処置室まで運んでいた。


「薬だ。今から塗るぞ。染みるけど我慢な」

「うぅ……」


 俺は客車の中で負傷者に薬を塗るが、比較的軽傷者とは言えその程度は平和な日本を基準にすると重い。薬を塗られて悶絶するこの兵士の痛みが計り知れない。


「親善大使様、ありがとうございます」

「お礼を言われることじゃないよ」


 少しだけはにかんでそんな言葉を返すが、間違いなく歪めた表情の奥にある笑顔のこの言葉は報われる。するとその時だった。


「うおっ!」

「うはっ……」


 突然馬車が走り出した。

 馬車の中で突然の揺れに俺は驚き、兵士は苦悶の表情を浮かべた。薬の瓶も落としてしまい、貴重な薬が少しばかり客車の床に散った。車窓からは過ぎ行く景色が見える。


 しかしなぜ動いた? メイドか? いや、違う。まだフタバが戻ってきていないし、メイドが客車内の様子を確認せずいきなり馬車を発進させるなんてあり得ない。

 そしてかなり高速なので外に出られないのはもちろんのこと、上下に揺れる客車で兵士を押さえることに精いっぱいだ。だから誰が御者席にいるのかも確認できない。しかし御者席に人はいる。確実に馬をコントロールし、道を走行しているから。


 かなりの時間が経って、馬車は見るからに深そうな林の中で止まった。それ以上は馬車では進めない獣道だ。この時俺は誰がいきなり発進させたのか怒り心頭で、即座に客車から出た。すると業者席から人が下りて来て、俺はそいつと対峙した。


「お前……」

「やぁ、やぁ、トモ」


 不敵に笑った彼は健やかな笑顔なのだが、しかしいつもとは違ってその瞳の奥が真っ暗に感じた。身震いすらするほど俺は彼に恐怖した。


「副会長、なんでここに? なんでこんなことを?」


 彼はカケモリ学園生徒会副会長だった。続けて俺は捲し立てる。


「フタバとメイドと離れちゃったじゃないか! 切羽詰まってる時になんてことしてくれたんだ!」


 俺が怒鳴ると副会長は尚も不敵に笑った。それは明らかに悪意ある笑みだった。


「安心しろ、トモ。フタバとお付きのメイドとは生涯の別れだ。護衛のメイドが離れるのをずっと待ってたよ」

「は……、どういうこと――」


 俺の疑問の言葉は最後まで続かなかった。彼の手に持たれた紐を見たから。爽やかな奴だと思っていたが今は明らかな悪意を向けている。行動からもその瞳からもそれは窺える。

 そして手には紐。それは間違いなく武器で、俺はこの紐で絞め殺されようとしているのだと悟った。そして一歩後退り、逃げようと踵を返して踏み出した瞬間だった。


「先に中の兵士を殺そうかなぁ」

「くっ……」


 俺の動きは止まった。そして恐る恐る振り返る。


「俺、ソウ国からの隠密なんだよ。ははは」


 彼の口から発せられた事実に絶望する。既に確信してはいたが改めて敵認識した。


「この地で生まれたけど、ずっとそう言って育てられた。そして今回下った命令が山頂建造物指揮官の抹殺」

「校舎建築の阻害か?」

「そうだ。ソウ国は得体のしれない建造物に恐れている。命令ってさ、一方的に送られてくるものだから、俺ってまだ向こうに行ったこともなければこっちからコンタクトを取ったこともない。だから今回の手柄で母国に帰って、あれはただの校舎だって報告するんだ」


 くっくっくと笑って山頂を見上げる副会長。俺を殺せると確信しているのだろう。有意義な情報まで与えてくれた。とは言え絶体絶命に変わりはなく、俺から絶望感は引かない。


「と言うことで、死んで」


 そう言った副会長は足早に俺まで寄って来て、俺の首に紐をかけた。それは平和ボケした俺でもわかる訓練された者の動きだった。敵いっこない。


 ――そんな……。ここまでなのか……。


 すると血飛沫が上がり、視界が赤くなった。


 ――え? 血……?


 俺は状況が飲み込めず呆然と立ち尽くした。と言うことは、まだ俺は死んでいない。


「申し訳ありませんでした!」


 張ったその女声で俺が目線を下げると、そこには首から血を流して横たわる副会長と、土下座をするツインテールの後頭部が見えた。


「メイド……さん? どうして?」

「馬車がないのに気づき、慌てて追いかけました」


 あぁ、そういうこと。俺はメイドに助けられたのか。さすがは護衛。

 しかし学友だと思っていた生徒の死体が足元にあり、思考はうまく働かない。確かに敵なのだが、なんだろう、このやるせなさは。


「親善大使様から目を離すなど、護衛としてあるまじき行為。この命で償います」


 するとメイドは真っ赤になったナイフを自分の喉元に突き付けた。俺ははっとなった。


「ダメだ!」


 咄嗟のことで俺はメイドの手ではなく、ナイフの刃を握ってしまった。手のひらから血が滴る。すると可愛いくせにいつもは仏頂面のメイドが瞳を潤ませ、声を震わせて言うのだ。


「うぅ……、大使様、手から血が……」

「兵士たちの負傷に比べたらこんなの蚊に刺されたようなもんだ」

「それでもお役目のために必要な大事な手であります」


 お役目。そう、俺には校舎建築という大事な役目がある。だからこそだ。


「メイドさんだってそのために大事な人だ。だから今は俺を助けたことを誇ってほしい」


 ナイフを取り上げた俺がメイドを抱きしめて耳元で言うと、メイドは俺の背中に腕を回して「はい」と弱く返事をした。

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