第一幕
第1話 仮称平行世界
透き通るような白い肌に、真っ直ぐ綺麗に伸びた黒髪。美人で聡明で、しかしそれらを鼻にかけることなく人当たりが良く、学校中で人気者だった椎葉凛。その彼女が今俺の目の前にいる。
とは言え、おかしい。彼女は俺と同級生なのだから今年36歳のはず。しかし彼女は高校生の時のままの容姿だ。
ただ高校生の時と違うのはシャープな縁なし眼鏡をかけていないことと、今の服装。尤も服装は制服のイメージしかないからだが、今は地味なシャツとダボダボしたパンツに身を包んでいる。綿だろうか? 寝間着か?
「えっと、椎葉凛だよね……?」
ベッドで上体を起こしただけの俺が最初にかけた言葉はこれだった。すると椎葉はみるみる目が見開く。
「なんで、私の名前を知っている? 親善大使はそんな能力があるのか?」
違和感を覚える。人当たりと愛想が良かったはずの椎葉だが、今はどこか気高く高飛車に思う。それはこの佇まいと口調だろうか。そもそも親善大使ってなんだ?
「いやいや、その親善大使ってなんだよ? 俺だよ、俺。
「それはお前の名前か?」
「そ、そうだけど……」
「もしかしてファミリーネームが逆じゃないか?」
「ん? どういうこと?」
「私の名前はリン・シイバだ。シイバ学園理事長、アラタ・シイバの娘だ」
「へ? じゃぁ、俺はトモヒロ・イケワキってこと?」
「だと思うが、違うのか?」
とにかく頭がついてこない。疑問が山ほど降って来るから。親善大使とは? まだ質問に答えてもらっていない。それからシイバ学園とは?
「話を整理しよう。俺は東海だか信州だかの山奥でトンネルを潜ったんだ」
「そうだな。トモヒ……むむ。長い。トモでいいか?」
「あぁ」
とは言え、高校生当時人気のあった椎葉に名前で呼ばれるのは少しばかり高揚するのだが。まぁ、いい。
「私のことはリンと呼んでくれ。――それで確かにトモは炭鉱の入り口となるトンネルの外で倒れていた」
「はっ!? 炭鉱!? なんだよ、それ!?」
「炭鉱は炭鉱だ。それを炭鉱作業員が見つけてここまで運んでくれたんだ」
「なんで?」
「占いでトンネルの入り口に親善大使が現ると以前から出ていたのだ。だから重宝されてここまで運ばれた」
「……」
意味が解らん。頭イッちゃってんのか? この年を取らない椎葉は。いや、リンは。て言うか、リンと名前で呼び合うのが照れる。とは言え、こいつの表情は真剣だ。
「さっきからその親善大使って何なんだ?」
「親善大使とは、このカケモリ市国に技術をもたらす大使のことだ」
「技術?」
もう1つ疑問に思ったことがあるが口には出さなかった。質問ばかりが溢れてきて追いつかないから。カケモリ市国って……。
「そうだ。それにより国は発展し、豊かになる」
「あのさ、国って?」
「この国をカケモリ市国と言う」
なんだ、それ? ただそうは思うものの、カケモリと聞けば俺の実家がある地方都市、掛守市を思い出すのだが。因みにその掛守市にあった掛守高校が俺の母校で、この椎葉……えっと、リンが同窓生だ。
「しかしお前外見は変わらないな」
「どういうことだ?」
「高校生の時のまま。だって今年もう36歳だろ?」
「なっ! 失礼な! 私は高校2年生だ!」
「は!?」
「お前とそれほど変わらんのではないか?」
「は!? 俺!? バカな! 俺は36歳だ!」
「なんと! 親善大使は若く見えるのか?」
意味不明。完全にこいつの頭の中はイッていると判断した。高校卒業以来の再会になるが、その間に彼女に何があったと言うのか。しかも高校2年生だと言い切るし。確かにそれくらいに見えるが。
「なんだ、若々しい自覚がないのか? ちょっと待ってろ」
そう言うとリンは一度部屋を出て、再び戻って来た時には壁掛けの鏡を持っていた。そしてそれを俺の目の前にかざす。
「なんだこれえええええ!」
俺は発狂した。
若い。確かに若い。そう、リンが言うように今目の前にいる彼女と同じ頃の年に見える。まず髭が薄い。そして皺がないし、肌に張りがある。
俺は着ていたシャツの襟元を引っ張って体も見た。て言うか、この服なんだ? まぁ、これは次の質問でいい。
なんと俺の体だが、胸板が薄い。細いくせに申し訳程度に筋肉がついている。Bカップはありそうだった中年男のブヨブヨに弛んだ胸がないのだ。腹もだらしなくない。
俺はズボンのウェスト周りを引っ張ってみる。
「う……、ノーパンかよ……」
「なにをやっているのだ! お前は!」
突然怒鳴られた。そのリンは慌てて俺に背中を向ける。
まぁ、下半身は太ももの弛み以外特に変化がないようだ。いや、むしろ朝の元気さは若さが復活しているようで、テントを張っていた。毛布がかかっていなかったらリンにも把握できたことだろう。
間違いなく俺は今、少年だ。リンの年齢を参考にするなら17歳。高校2年の年頃だ。唖然とするが、とにかく質問はまだまだある。
「俺が着てた服は?」
「も、もう……そっちを……向いてもいいのか?」
「あぁ、ごめん。もう大丈夫」
すると顔を真っ赤にしたリンがこちらを向いたのだが、その時の表情と言ったらない。射抜かれた思いだ。これほどしおらしい椎葉凛を俺は見たことがない。
「お前の服はこの国では目立つから燃やした」
「はぁぁぁあ!? 燃やしただと! あのスーツ高かったんだぞ!」
「そんなことは知ったことじゃない」
先ほどのしおらしい凛はどこにいったのか。やはり違和感がある方の高飛車なリンだ。
「俺の持ち物は?」
「それも燃やした」
ガックリと項垂れる俺。そうか、財布もスマートフォンも燃やされたのか。これで誰とも連絡が取れないな。
「この服は?」
「お前がここに運ばれてからこの家の男性陣で着せた」
「部屋着?」
「そうだ。それでも来客用だからなかなか高級なものだぞ。いいだろ?」
そうかな? 単純にTシャツを着せられているだけにしか思えないのだが。
「俺ってどのくらい寝てた?」
「発見されたのが日の出と同時で、今初めて目覚めたと思われる」
と言うことは2、3時間程度か? それよりやっぱりこれだ。俺はなんで17歳なんだ?
「なぁ、リン。今西暦何年?」
「セイレキ? なんだそれは?」
「は? 暦だよ、暦」
「あぁ。今は東暦3011年5月15日だ」
「……」
なんだ、それ。東暦と言ったか? 確かに日本は極東地域だから東暦と言われて納得はするが、それならなぜ和暦じゃない?
それに3011年とは? 確かに俺が高校2年生だった頃は平成11年だったが、3千が加わる意味がわからん。尤も平成ももう終わるが。ただ年号はともかく日付は俺がやけ酒をした翌日だから合っている。
俺は信じられない可能性を理解し始めた。ここは俺が元いた平成の日本ではない。ただ信じられないのだから頭の中は絶賛混乱中だ。しかし見覚えのある顔と名前に、馴染みのある地名。
――もしかして平行世界……?
まさかな。そんなSFみたいな話、ちゃんちゃら可笑しいぜ。
「腹は減ってないか?」
徐にリンが言う。呆然と考えていた俺は表情を整えた。そう言えばと思って腹をさすると、空腹を感じていた。
「あぁ、確かに」
「既に食事を用意してある。こっちへ来い」
そう言ってリンが部屋を出て行ったので、俺は慌ててベッドから飛び降りた。
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