第025話 奇跡の合流点

 クルトは影の如く疾駆する。

 地を擦る魔導女神の大剣メテオスライサーの刃から煌めく火花が迸る。


 側面より向かってきたタイラント・アラクニドに一閃。返す刃で背後のタイラント・アラクニドの上顎を斬り飛ばした。


「フッ――!」


 鋭く息を吐く。

 右足で力強く大地を蹴って加速する。正面のタイラント・アラクニドに肉薄し、駆け抜け様に胴体を横薙ぎにした。

 クルトの走りぬけた空間を遅れて蟲の肉と血がぶちまけられた。


「――ッ、くそ……」


 だんだんと視界が暗くなっていた。

 体は重く、しだいに足に力が入らなくなってくるのがわかる。


 死人であるクルトは疲れることを知らない。

 クルトの身体は死者の強欲グリード・オブ・デッドマンによって死を免れている。体が動かなくなってきている原因は、死者の強欲グリード・オブ・デッドマンで消費される魔力が大きいため、クルトの持っていた魔力がどんどん枯渇しているのだ。


 いまさらだが理解していた。

 死者の強欲グリード・オブ・デッドマンの効果で死んだ肉体が動いていられる時間はごくわずかな時間であると。

 良い経験を得られたと思う反面、もはや死ぬのも時間の問題であると突きつけられていた。


 ぐしゅっと蟲の肉と血を踏みしめる。

 数百に及ぶタイラント・アラクニドの死体が山となり、夥しい量の体液が地面に池をつくっていた。


 タイラント・アラクニドの数もずいぶんと減っていた。

 津波のような猛攻を仕掛けていたタイラント・アラクニドたちは、微かな鳴声を上げるばかりで襲いかかってこない。

 無機質な瞳からは何も読めない。

 クルトを恐れて遠巻きにしているのだろうか。

 それとも、クルトの活動が鈍ってきたことを感じて観察をしているのか。


 ……おそらく、後者であろう。


 タイラント・アラクニドたちは行動を変えた。

 クルトを遠巻きに囲むと口から網状の粘糸を吐く。四方から投げられる粘糸を切り払うが、完全に切断はできない。粘ついた糸は魔導女神の大剣メテオスライサーに張りついていく。


 だが、この程度で怯むクルトではない。

 きれあじの落ちた魔導女神の大剣メテオスライサーを大上段に振り下ろす。タイラント・アラクニドの甲殻ごと、胴体を叩き潰す。

 次のタイラント・アラクニドを追って踏み込んでいく。

 しかし、文字通り蜘蛛の子を散らすようにタイラント・アラクニドたちは飛び退き、接近戦を許さない。


 クルトは喰らいつく。すべての魔力を振り絞って疾走する。


「はぁぁぁぁぁ――!!!」


 一撃必殺の突撃で、一匹、また一匹とタイラント・アラクニドを屠る。体に無理をさせているせいで魔力の消費が一段と上がっていく。その結果は火を見るよりも明らかだ。

 やがて、限界がくる。


 クルトの体がぐらついた。

 魔導女神の大剣メテオスライサーを杖にして寄りかかった。もはや、片目が見えなくなっていた。


 全身の力を振り絞ろうとも体はぎこちなく震えるのみ。

 魔力が、尽きる……。


 これが終わりなのか。

 女神を討つこともできず、神の消えた世界で死ぬのか。


 ひたすらに眠い。

 落ちてくる瞼は鉛のように重い。






 これが、死か。






 タイラント・アラクニドが迫る。

 大顎がクルトの身体をかみ砕こうとする、刹那。


「女神、キィィィーーーック!!!」


 流星の如く落ちてきた者があった。

 蒼銀の髪が闇に流れ、すらりと伸びた両脚がタイラント・アラクニドの顎にめり込む。その勢いのまま踏み砕いた。

 頭蓋を砕かれたタイラント・アラクニドは吹っ飛んで瓦礫に激突。無残な肉塊となった。


 クルトは霞む片目で見やる。

 蒼銀のセミロングヘア、寝癖の立った前髪、扁平胸に小さな体。間違いなく、幻覚でも今わ際の夢でもなく、あの役立たずなポンコツの魔導女神だった。


「……ばか、が……。なんで……戻っ、て……きた……」


「ばかだよ、知ってるよ! だけど、もう、……見てるだけはうんざりなの!」


 リーネは背中に巨大な鉄塊を背負っていた。

 魔神機デモンズ・フレームが肩に装着していた大口径魔導砲マッシブ・ソーサリーランチャーを三砲門並べたような、大砲だ。それを四基、合わせて十二砲門。

 まるでヤドカリのような姿である。


 タイラント・アラクニドたちは闖入者の不意打ちから立ち直りつつある。我に返った数匹が瓦礫を蹴散らしながら突進してくる。

 クルトは動けない。じっと眺めているよりほかない。


 リーネはクルトを守るように立つ。

 タイラント・アラクニドの突進を前にして仁王立ちとなった。


「私だって戦える! 魔導女神じゃなくたって、戦えるんだから――ッ!」


 リーネが吼える。

 背中の砲門が一斉に火を噴いた。反動でリーネの足が沈み込み、踵が後ろへと引きずられた。


 魔力を凝縮した魔導弾が螺旋を描く。青白い魔粒子の軌跡をたなびかせてタイラント・アラクニドたちに突き刺さった。


 爆発と轟音。

 閃光が円錐状の洞穴の闇を真っ青に染め上げた。


 タイラント・アラクニドが破裂して、バラバラになった甲殻の破片が宙を舞う。衝撃波が荒れ狂い細かな埃が頭上から降り注いできた。


 やりすぎだ。

 この場が崩落したらどうするつもりなのか。


 文句をつけたいのは山々だが、衝撃波に堪えるのでいっぱいいっぱいで口も開けない。吹き飛ばされないように魔導女神の大剣メテオスライサーにしがみつく。


 形勢不利と悟った生き残りのタイラント・アラクニドはくるりと背を向ける。一目散に瓦礫の続く洞窟の奥へと逃げ出した。

 しかし、リーネの砲撃は止まらない。

 リーネはタイラント・アラクニドを追って瓦礫の山を駆けあがる。


「逃がさない、――リロード! エイム! ……せーの、ファイアー!」


 砲門を旋回。しれっと謎のポーズを決めて、敗走するタイラント・アラクニドへ一斉射する。


 絨毯爆撃の如く爆発の華がタイラント・アラクニドたちを覆い尽くす。

 閃光の余韻が消え去り、もうもうと白煙がゆっくりと晴れていくと、穴だらけになった地面には焦げ臭い肉片が残されているのみとなった。


 廃戦艦で見つけた武器だろうか。ずいぶんと使い慣れたように扱っている。

 魔導女神の装備とでも言うのだろうか。


 気の抜けたクルトはその場に腰を下ろす。

 タイラント・アラクニドに喰われる最後はなくなった。しかし、クルトの魔力が消えるのは避けられない。

 死が迫っていた。


「クルト!」


 地面に崩れるように座り込んだのが見えたのか。

 リーネが瓦礫の山を滑り降りて走り寄ってくる。


 寝転がって見下ろされるのは情けない。少なくともリーネには絶対に見られたくない。

 クルトは立ち膝の姿勢で魔導女神の大剣メテオスライサーに寄りかかった。


「だいじょうぶ!? まだ、……生きてる、よね……?」


「……辛うじて、な」


 あと何秒、話していられるだろうか。

 一秒が過ぎるたびに闇が忍び寄ってくる。


 リーネはクルトの前に立つと、ポケットから小さな細長い筒を取り出した。筒の蓋を開けると、やおら中身をゴクゴクと喉を鳴らして飲みはじめた。

 半分ほど飲んでから口を離す。


「ぷはーっ! 一本だけ残ってたから魔力回復薬エリクサーを持ってきたんだよ」


 魔力を回復させる薬か。

 便利な時代になったものだ。

 クルトたちの時代にはなかったものだ。魔力を回復させるには体を休めるしか方法がなかったから、自分が魔法をどれだけ使うことができるのかを常に把握しておかなければいけなかった。


 リーネは立ち膝のクルトの目線を合わせるように屈んだ。


「なにを、する気、だ……」


「治療だよ。ダメかもしれないけど、ダメだってわかりきっているかもしれないけど……、私はあきらめたくない」


「……ま、ほうの、むだ、だ……、やめろ……」


 突き放そうとして伸ばした掌を掴まれる。

 魔導女神の大剣メテオスライサーに添えていた左手と一緒にリーネの小さな両掌に包まれた。


 意地なのか。

 自棄なのか。

 馬鹿なだけかも知れない。

 いったい何を信じたら無駄だと思えることを試そうとするのだろうか。

 クルトにはわからなかった。


 しかし、リーネの瞳は真剣だった。


「おねがい、まかせて……」


 弱ったクルトではリーネの腕を振り払うこともできない。されるがままに眺めていることしかできなかった。


「……かってに、しろ……」


 クルトはなげやりに吐き捨てた。


 リーネが小さく頷く。

 重ねた掌から流れた魔力が魔導女神の大剣メテオスライサーに伝う。刀身が蒼く輝いて闇の中に向かい合うクルトとリーネを朧げに浮かび上がらせた。


 リーネは何度も深呼吸をする。

 鼓動を抑えるように胸に何度も手を添える。


 それから、意を決したように口を開いた。


「……光よ、我が掌に奇跡を宿らせたまえ……」


 完全文言詠唱だ。

 当然か、死者を生き返らせるつもりならば出し惜しみをするべきではない。


「……我が掌に神秘を授けたまえ……」


 かつて女神騎士であった頃はよく聞いた文言。

 いまは遠い昔のことであるが、懐かしい気持ちになる。


 ……最後の文言だ。詠唱が完成する。


「……光の祝福によりこの者に大いなる癒しを! ――救済の御手タッチ・オブ・リリーフ!!!」


 リーネの魔法の詠唱が響き渡る。


 ……何も起きるはずがない。

 ……無駄な魔力を消費しただけ。

 ……数秒後にクルトは死んでいく。


 そう、クルトは信じていた。


 ふっと、クルトに残されていた一欠けらほどの魔力がすべて消費された。


 何故、クルトの魔力が?

 疑問に思うと同時に、リィンと小さな硬質な音がどこからか聞こえた。


 そして。

 光が爆発した。


「ん――!?」


「な……ん……!?」


 リーネとクルトの掌から目のくらむ様な光が溢れだす。

 目も開けられないほどの閃光が迸り、リーネとクルトを呑み込んで、円錐状の洞窟を真っ白な光に塗りつぶしていく。


 左腕に違和感を感じる。

 目を灼かれないように気をつけながら薄目を空ける。


 驚愕の光景に肌が泡立った。


 クルトの身体には異変が起きていた。

 折れて肉の飛び出たクルトの左腕が治っていく。左手の無残な傷跡に筋肉の筋が生まれ、皮膚が張られ、血色の良い色に変わっていく。骨が繋がっていく。


 胸の大穴も肉が盛り上がり塞がっていく。

 無残な傷跡が消える頃には、クルトの止まっていた心臓が脈打ち始める。


 全身の傷が治ると破れた衣服が修復されていく。

 糸のひとつひとつが再生されて、絡まり、布となる。瞬く間に真新しい服へと変わる。


 すべてが癒された。

 そう思う頃に、荒れ狂う光はゆっくりとクルトに吸い込まれて収まっていく。


「……これ、を、お前が……。いや、……」


 リーネを見つめ、握り合わされた掌に視線が映る。


 クルトの魔力が消費されたのは、何故か。

 リーネの魔法の威力が上がったのは、何故か。


 頭に電流が走りぬけたかのように記憶が呼び覚まされる。


「テレサ……」


 この感覚をクルトは知っている。

 掌を合わせた感触から遠い過去の出来事を思い出していた。


 これは、感応シンパシーだ。


 感応シンパシーの能力をクルトと共有できたのは妹のテレサだけだ。

 女神騎士団に感応シンパシーの能力を持つ者もいたが、クルトとは共有できなかった。


 それが。

 まさか。

 こんな遥かな未来世界で感応シンパシーを共有する者と出会うことになるとは。


 光が消えて闇が戻る。

 クルトはボケっとした顔のまま固まっているリーネを重ねられた掌で小突いてやる。


「……手、放せ」


「あ、ごめん……」


 掌を天上の小さな空に翳す。


 生き返った。

 信じられないことだが、クルトの体は仄かに温かく、指先ひとつひとつの感覚もしっかりと存在している。

 クルトは全身を見返し、改めて驚嘆する。


 凄まじい威力だ。

 体の怪我どころか衣服の汚れと破れすら残っていない。救済の御手タッチ・オブ・リリーフは無機物を修復するような力はなかったはずだが、魔導女神の使う女神魔法だけが特別なのか。


 いや、そんなわけない。

 リーネの拙い女神魔法はクルトの知るソレを変わりない。

 感応シンパシーによって威力が増大しただけでなく効果も変質したのだろうか。それでも説明は出来ないことが多い。


 クルトは戦闘の中で得た知識をなるべく深く考えるように意識していた。新しい戦術の発見になるかもしれないし、思わぬ知識を得られてとっさの判断の一つになると信じているからだ。

 リーネとの感応シンパシーについてもう少し試してみたい。

 だが、それよりも伝えるべき言葉があるだろう。


 所在無げに立ち尽くすリーネに向き直る。


「…………助かった。お前のおかげでまた戦えそうだ。――ありがとう……」


 我ながら思ったよりも素直な言葉だな、と思った。


 暗黒騎士は忌避される。

 街を歩いているだけでも人は避け、物売りは商品を隠し、警備兵が厳しい目を向けてくる。


 善意から人を助けたところで悲鳴を上げて逃げられる始末。

 それにだ。

 助けたことはあっても助けられたことなど無い。それ故に、人に感謝の言葉を告げたことなど片手で数えるくらいしかなかった。


 だから、目の前にリーネがほろりと涙を流しても大して戸惑いはなかった。

 普段のクルトであったなら背を向けて立ち去るだけだ。しかしながら、リーネは知らぬ仲ではないのでフォローが必要だ。

 少ない語彙を駆使して言葉をひねり出す。


「……さっきは怒鳴って悪かった。もう怒らないし、何もしない。泣くな」


「そ、そうじゃなくって……、クルトが死ななくて、良かったなって、嬉しくて……、さっきのは、しょうがないし……、……なんか、なんかね……ふぇ、っくし――ッ!」


 リーネはポケットからティッシュを取り出すと、ぶびーと鼻をかむ。涙をごしごしと拭く。

 しばらく経つとリーネの様子が落ち着いてきた。


「……ぐす、……それで、何が起きたの? 光がバーッてなって、魔法の力が上がって、今まであんなの見たことない……」


 クルトは感応シンパシーについて簡単に説明する。

 感応シンパシーの能力を持つ者同士、それも互いに繋がりを持てる者同士だけが使える奇跡であること。

 感応シンパシーを持つ者同士が、魔法の発動や祈りを捧げると威力や効果が特大に増幅されること。

 詳細は掻い摘んだが大まかな特徴だけをしっかりと伝えた。


 ふんふんと頷いていたリーネは自分なりにかみ砕いて理解に努める。


「えーっと、超ざっくり言えば、クルトと手をつないで魔法を唱えると威力が上がるってこと?」


「そうだ、……ここから脱出するのも楽になる」


「あー……、天馬の恩寵グレイス・オブ・ペガサスで?」


「そうだ。感応シンパシーで効果を高めれば、地上まで一気に脱出できるはずだ」


「なるほど! って、魔力はあるの? ……私は空っぽだよ」


「オレも空だが、……お前が飲んでいた魔力回復薬エリクサー。あれでどれくらい魔力が回復する?」


 リーネは魔力回復薬エリクサーの入った容器を揺らす。ちゃぷん、と水の揺らぐ音がかすかに聞こえる。精々残っているのは一口か、二口と言った具合だ。


「んん……、はんぶんこして魔法の一回か二回くらいじゃない?」


「それでいい」


 魔力回復薬エリクサーを二人で分け合って飲み干す。

 味は鳥人族ガルーダの呪術師が作っていた薬草茶に甘酸っぱさが加わったようなもの。やや飲みやすくなっていた。


 リーネが、やーん、関節キスはずかしぃ~~~、などと悶えていたが無視しておく。

 クルトは回復した魔力を感じとる。

 ほんの雀の涙ほどの魔力であるものの、勝利を得るためならば重要な力となる。


星界の大厄蟲ネビュライーターを倒す。……お前の力が必要だ」


 クルトは右手を差し出す。広げた掌に、おずおずと差し出されたリーネの手が重ね合わされた。

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