第023話 衝動の代償


 ――時を遡ること、数刻。


 クルトは誰かの泣く声に目が覚めた。

 背中に感じるゴツゴツとした感触。指先に触れる廃材の硬さ。顔を横に向けると瓦礫の山に寝転がっているのがわかった。


 遥かな天井に小さく光る空が見える。

 ここは廃戦艦の末端部。周囲は円錐状の洞窟になっており、廃戦艦は円錐の中点に直角に刺さっている。

 円錐状の洞穴は廃戦艦から降り注いだ残骸で瓦礫の山になっていた。


 痛みはない。

 気怠く、ぼんやりとした感覚だけがクルトを包み込んでいた。


 頭を起こすとお腹のあたりにリーネが顔を埋めているのが見えた。

 激突して気絶する瞬間まで庇っていたおかげか怪我は見られない。せいぜい衣服が埃と血に汚れているくらいだ。


 ホッとした。

 昔、テレサが木から滑り落ちて寸でのところを抱き留めた時のような、そんな気持ちだった。


 安堵した心でいたのも間。すぐに己の浅はかさにうんざりしてきた。

 悔やんでも仕方ないことだが、何故、命を投げ捨ててまで助けに飛び込んでしまったのだろうか。


「重い、どけ……」


「……ッ!?」


 クルトは乱暴にリーネを押しのける。軋む骨を無理やり動かして上半身を起こす。


 リーネは涙と鼻水を垂らしながら驚いた顔でこちらを見つめている。

 そして、涙声で叫んだ。


「ぎにゃぁぁぁぁぁ――――!!! いきてるぅぅぅ――――!?」


 喜んでいるのか。悲鳴を上げているのか。よくわからない叫び声を上げつつリーネは抱き着いてくる。


「寄るな」


「ぶへっ!?」


 クルトはすばやく避ける。行き場のないリーネは顔面から瓦礫に突っ込んでいった。

 鼻水やら涎やら垂らしたまま抱きついてくるな、と言いたい。


「ひ、ひどい……! せっかく心配してあげたのにー!」


「黙れ、これで生きてると思うのか?」


 クルトは自分の姿を見返す。

 湿った衣服は赤黒くまだらに汚れており、おびただしい量の血が地面を染め上げている。左手は妙な方向に曲がっている。つまり、折れている。

 致命的なのは右胸に突き刺さっている鋭い金属片だ。

 完全に貫通して背中から顔を出している。


 クルトは無造作に金属片を掴むと、力任せに引き抜いた。

 痛みはない。肉のちぎれる感触が不快だった。


 血が噴き出すこともない。

 何故なら心臓が止まった体から血が流れることはないからだ。

 クルトは死んだのだ。


「だいじょうぶ、なの……?」


「さあな。……魔力が切れるまでは動ける、はずだ」


 死者の強欲グリード・オブ・デッドマンの効果は、死人になっても動くことができるとは知っていたが経験するのは初めてだ。

 何ができるのかを確かめるべく自分の体の感覚を確かめていく。


 まずは、背中の魔導女神の大剣メテオスライサーを抜いて構える。


 だらんと下がった左腕に目を落とす。

 右手は健在だから剣は振れる。

 しかし、左手の指は動くけれどまともに使えない。しかたがないので適当に転がっていた金属棒と革ベルトを使って手早く固定する。剣を振るときに手を添えるくらいはできるだろう。


 クルトは魔導女神の大剣メテオスライサーを杖代わりに立ちあがった。


「ちょっと! な、治さないと……」


「どうやってだ?」


 女神魔法で傷を癒すには救済の御手タッチ・オブ・リリーフを使う。

 しかし、傷を癒したり、毒を中和することはできるが、クルトがいた女神歴時代でも死者を蘇らせるような救済の御手タッチ・オブ・リリーフを使える者はいなかった。


「それは、その、やってみないとわからないじゃん! 土壇場で超凄い力がでるかもしれないし? 私にまかせて!」


 何を言っているのだろうか、コイツは。

 どうしてこんな状況になっているのか、理解できているのだろうか。


 魔法もろくに使えない。

 剣もろくに奮えない。

 自分の実力も理解できずに迷惑ばかりかける。


 そんな奴が。

 そんな、勘違いの産廃女神が……、土壇場の力だって?


「……ふざけるなよ」


 魔導女神の大剣メテオスライサーを地面に突き立てると、空いた右手でリーネの襟を掴む。


「ぁ……! ……ぐ……! ちょ、ク、……クルト……」


 もがくリーネを片腕で釣り上げる。力任せに胸倉を締め上げた。


「役立たずのくせに、土壇場の力だって? 笑わせるな!!!」


「ぅ……く、……な、んで、そんなに怒るの……」


「癇にさわるんだよ」


 人族の魔力量は生まれもった差はあれど、訓練を繰り返せば筋肉のように鍛えられていく。魔法を繰り返し使うほど体に蓄える魔力量は増えていく。

 また、魔法の威力は内包する魔力量によって比例する。


 クルトは戦士として恵まれていない。

 体格は小柄のため、体格差のある戦士と戦えば力負けをしてしまう。

 だからこそ、体を鍛えると共に、魔力を鍛えた。


 クルトは騎士や傭兵として生きていくためにあらゆる努力を積み重ねてきた。訓練を積んでいくことで、己の身体ができることを学んでいき、できなかったことができるようになっていった。

 神々との戦いでクルトが生き残れてきたのは、奇跡のような瞬間の積み重ねであり、鍛錬の賜物であると信じている。


 日々怠らない鍛錬。

 努力の結晶。


 土壇場で思いもよらぬ力が発揮できるのは鍛錬を続けているからこそ。

 体に刻み付けられた鍛錬の成果によって本能的に体が動き、絶体絶命の窮地を切り抜けられるのだ。


 それを、コイツは。

 何様のつもりだ。

 クルトが血反吐を吐いて身に着けてきた力を安く見られたものだ。


 苛立ちが収まらぬまま、リーネを掴んでいた手を放す。突き放されたリーネはたたらを踏んで尻もちをついた。


「土壇場の力は努力した奴だけが発揮できるものだ。お前が口にするな」


「けほっ……、私だって、努力してないわけじゃ……」


「その身体と魔力でか? ……鍛えていないだろ」


「そ、んなこと言われたって……。私は魔導女神だから……、機械だから……。体を鍛えるとかできないし……、魔力だってこのままだよ……」


 クルトは機械とは何かを言語文化学習装置ラーニングマシンで学習している。

 ただ、魔導女神が機械であることは初めて知ったことだ。


 リーネの言葉が気にかかる。

 機械は大量生産される。精密な部品の集合体であり、一分の狂いもなく動作し、機械の性能に差はないはずだ。


「魔導女神は強いと言っていただろ。なんでお前は弱い?」


「私は実験機テスターだから……、ほかの子たちとは、……違う。けど、性能が発揮できていないのは、星乙女の疑似神核ディシーヴ・アストライアーズ・コアへの魔力供給に、女神になるための要素が足りないからだって……」


 何を言っているのかサッパリ理解できない。

 専門用語の意味はわからないが、リーネの言葉でわかる部分を繋ぎ合わせると導き出される結論はひとつだ。


「つまり、壊れてるのか?」


 リーネの肩がびくっと震える。

 すみれ色の瞳からはポロポロと涙が溢れ、薄桃色の唇は心なしか青ざめて小さく震えていた。


「私は壊れてない! ……博士が、そう、言ってたもん……」


「そうかよ……、がっかりだ」


 舌打ちを漏らす。

 リーネは震えたまま祈るように掌を組んでいた。


 クルトの勝手な思い込みだった。

 八〇万年という時の最果てに放り出されて、魔導女神は唯一の馴染み深い存在だった。神の気配は怨敵そのものであったが、怨みすら懐かしく感じた。


 クルトは魔導女神の存在に不思議な期待を抱いていたのだ。

 親近感かもしれない。

 あの強大な女神の存在をリーネに重ね合わせていた。


 しかし、リーネは魔導女神であって女神ではない。

 魔導女神としても壊れている。

 裏切られたように感じたのだった。





 落胆するクルトに、それは突然に訪れた。


「!」


 雷鳴が落ちたかのように過去の情景が脳裏を駆け巡る。

 視界が真っ白に染まり、時間の進みが感じられなくなる。


 声が聞こえた。

 名前も忘れていた人の姿が霧が晴れるように蘇ってくる。




 ――黒曜石の騎士様、人はあらぬ期待を抱くもの。こうなってくれれば、ああなってくれれば、と願うでしょう。



 ――ですが、期待は心の弱さのあらわれ。ときに望まぬ結末に己を見失ってしまう。……いまのあなたのように。



 ――期待を捨てて、悔いのない決断を……どうか、心の導きのままに。



 ――それがいちばん、あなたの期待した結末、ですわ。




 誰に言われた言葉だったかをはっきりと思いだした。


 女神騎士団に襲われた獣人族フェルパーの村。

 炎に炙られる死体の山。

 弄ばれた躯。

 焼け落ちた獣神の教会の扉に縫いつけられた四肢のない肉塊、元、獣神の司祭の女性。


 ――彼女の名は、シルフィアと言った。


 血と汚濁に塗れた獣神の司祭の女性は、女神騎士団への罵りも恨みも言わず、昨日の晩に宿を貸した暗黒騎士の少年に告げた最後の言葉。

 馬鹿笑いを上げながら去っていく女神騎士団を追おうとするクルトに告げた最後の言葉だった。


 暗黒騎士の少年は女神を討つ旅をしている、とは知れ渡っていた。

 そして、魚人族サハギンの神を倒すために森を抜けると獣神の司祭の女性には伝えていた。


 魚人族サハギンの神は降神の儀式を終えてすぐに倒さなくては海に逃げてしまう可能性があった。そのためには急ぎ旅になる。

 それなのに、暗黒騎士の少年は村から棚引く煙を目にして道を引き返した。引き返したせいで降神の儀式を潰す時間はない。下手をすれば魚人族サハギンの神を逃す危険すらあった。


 一晩の宿の恩があるとはいえ、仇をとる時間も、埋葬のための時間もなかったのだ。

 それを獣神の司祭の女性は指摘した。


 悩んだ末、クルトは獣神の司祭の女性シルフィアの言葉を信じた。


「……」


 意識が現実に戻ってくる。

 足元にある瓦礫を蹴り飛ばしたい衝動をグッと堪え、ささくれた感情を必死に宥める。


 クルトの心は二つに割れていた。


 女神への復讐がすべて。

 旅の途中で見かけた死人の言葉など忘れればいい。湧き上がる怒りを発散すればいい。暴虐な暗黒騎士となって暴力を振りまけばいい。

 我慢する必要などないのだ。


 しかし、小さな楔がクルトを引き留める。

 胸元のグラーティアから伝わる氷のような冷たさが痛い。


 助けたいと思って行動してしまったのは、未熟で役立たずになるとわかっていたのは、クルトだ。

 この結末はクルトが望んだ行動の結果に過ぎない。

 責めるべきは己の非情さのない精神である、と囁く内なる声がある。


 クルトは固めた拳を握りしめたままリーネから視線を逸らした。彼女の泣き顔を見ていたくなかった。


 そのとき。


「! ……ッ」


 気配を感じた。

 しんと静まり返った闇にはリーネの嗚咽だけが聞こえている。



 クルトは腰を落として、ゆらりと魔導女神の大剣メテオスライサーに上段に構える。

 渦巻く激情に翻弄されていても戦士としての感覚は生きている。


「……ど、どうした……の?」


 リーネの問いにクルトは答えない。

 無言のまま魔導女神の大剣メテオスライサーを振り抜いた。


 闇を薙ぐ剛閃。


 瓦礫の陰から飛び出してきたタイラント・アラクニドを一刀のもとに斬り捨てる。

 上顎から両断されたタイラント・アラクニドの死体が緑の血をまき散らしながら転がり落ちていった。


「ひぃ!?」


 リーネが悲鳴を上げる。

 周囲から一斉に蟲の音が鳴り渡る。

 円錐状の洞窟の奥から湧き出るようにタイラント・アラクニドが姿を現して、クルトとリーネを取り囲んでいく。その数は十を越えて、百に迫るかと言う大群である。


「な、なな、なんでこんなに……」


「……ここは巣だったらしい、な」


 クルトは周囲を見渡す。

 鋼板の破片、タイラント・アラクニドの輝く目、斜めに傾いた通路、すだれになったケーブル、ぼんやり瞬く赤色灯。

 閃くままに行動に移る。


 魔導女神の大剣メテオスライサーを地面に突き刺す。空いた右手で、むんずとリーネの襟首を掴む。


「うわ、うわわわわわ――!? ちょぉぉぉ――!?」


 そのまま力任せに投げつける。

 狙いは、斜めに傾いた通路だ。


「――ぉぉぉ!? へぶぅ!?」


 通路に大の字に張り付いたリーネが情けない悲鳴を上げる。


 難ありだったが無事に通路に放り込むことができたようだ。

 通路の先を辿っていけばかなり上の方まで戻れるはず。地図もなしで外まで脱出できるかわからないが、タイラント・アラクニドの巣で喰われるよりはマシだろう。


「いけ! 通路を上がっていけば地上に出られるはずだ」


「クルトはどうするの!?」


 瓦礫の山を猛然と這いあがってくるタイラント・アラクニドたちを眺めながら、クルトは言った。


「片づけたら追う」


 リーネはひどく傷ついた顔を見せた。

 今までに見たことがない大人びた表情に心が騒ぐ。この幼い少女にも過去があるのだな、と感じた。

 感傷は一瞬だ。


「はやく行け!」


 リーネは、目を伏せて、顔を背ける、……寸秒の逡巡の後に叫ぶ。


「…………ッ、……わかった。ぜったいに助けに戻るから! 死んじゃダメなんだからね!!!」


 リーネは通路の上から叫ぶと、一目散に地上を目指して駆けあがっていく。

 その後姿を見て苦笑する。


「……オレはもう死人アンデッドだよ」


 瓦礫の山を登り終えたタイラント・アラクニドが鉤爪を振りかざす。背後からは大顎を広げたタイラント・アラクニドが覆いかぶさってきた。


 クルトは身を低く伏せる。軸足と腰の捻りに魔導女神の大剣メテオスライサーの重量を上乗せして、独楽のように一回転。魔導女神の大剣メテオスライサーを振りぬいた。


 襲いかかってきたタイラント・アラクニドたちが旋風のような太刀筋に両断される。

 猛攻は終わらない。刃の竜巻のように当たるに任せて斬って斬って斬りまくる。

 肉片と体液が降り注ぎ、瓦礫の山を染め上げた。


 回転斬りを止めて体勢を整える。

 まだまだ数が減らない。タイラント・アラクニドたちは怯むことなく押し寄せてくる。


「あなたの期待した結末、ね。……シルフィア。……本当に、そう思うのか……!」


 クルトは魔導女神の大剣メテオスライサーを振り上げると、雄たけびを上げて瓦礫の山を駆け下りていった。



 獣人族フェルパーの村の話には続きがある。


 暗黒騎士の少年は、獣神の司祭の女性を看取ると心の導きのままに行動した。

 意気揚々と帰途につく女神騎士団を追いかけると、騎士から荷運び人に至るまで全員を殺戮した。騎士の中には降伏を申し出た者もいたようであるが、懇願の表情のままの首が野ざらしになっていた。


 そして。

 暗黒騎士の少年は、獣人族フェルパーの遺体を丁寧に集めて身を清めると、獣神の教会の近くに埋葬した。




 暗黒騎士の少年は知らない。


 殺戮された騎士団は、魚人族サハギンを合同で攻めるはずであった別の女神騎士団と合流する手はずであったことを。

 魚人族サハギンを攻める作戦が中止になったことを。


 この隙に魚人族サハギンの軍勢が女神騎士団を押し返し、結果として降神の儀式が数日ばかり伸びたことを。


 暗黒騎士の少年は知る由もなかった。


 この因果を知り手を叩いて笑ったのはただひとり。

 すべてを見ていた神のみである。

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