第018話 奈落
レノックスは緩慢な動きで
レノックスは
「は……やく……げろ……。私が……ひきつ……ッ!」
通信機器が破損したのか切れ切れの音声が聞こえてきた。はやく逃げろと言いたいらしいが……、それは不可能だ。
クルトは頭上を見上げる。
降りてきた出口は
クルトだけならば
ちらりと背後に視線を向けた。
クルトの背中には、手に持った
いまはまだ見捨てるには早すぎる。
「……突破するしかないな」
クルトは
「狂気よ、――
刀身に漆黒の魔力を這わせる。
シュッと息を吐き出して前のめりに飛び出した。
気合一閃。
漆黒の刃を横凪ぎに、腕の一本を両断した。
耳障りな悲鳴が管制室に響く。一抱えもある太さの節だった腕が回転しながら落下していった。
連撃で二本目の腕を斬り飛ばす。
巨大なだけに遅い。思ったより反応は良くないようだ。
だが、腕の切断面に異変が起きる。
滴り落ちる黄色の体液が止まり、切断面が盛り上がる。あっという間に真新しい腕が生え伸びて、表面が赤黒く染まる。
「再生か、……速いな」
高い再生能力を持つ魔物は、
龍神ナクラーダルのように魔法や特殊能力で再生している場合は注意の必要があるが、果たして
クルトは再生した腕を粉砕すべく、ふたたび稲妻の如く斬りかかった。
「クルト! ダメだよ、そのままじゃ――!」
後ろからリーネの声が聞こえてくる。
クルトは黒く染まった刀身を再生した腕に振り下ろす。硬質な金属音が響き渡る。
「なんだと……ッ」
一度刃を引いて斬り上げの一閃をお見舞いするが、やはり刃は通らない。
急に硬くなったのは何故だ。
クルトの疑問に答える声が聞こえてきた。
「
リーネは魔法を唱える。クルトの
「光よ、不浄なる力を退けたまえ。――
「……いらん」
リーネからもたらされた女神魔法を受け入れない。
「ちょっ!? なんでよー!」
「お前のへなちょこな魔法でどうにかなると思ってるのか? 邪魔なんだよ、すっこんでろ!」
「ぅ……そ、そこまで、言わなくたって……」
リーネの瞳が潤む。
が、クルトはうっとおしいと言わんばかりに睨みつけるにとどまる。
事実は事実。
戦闘中なのだ。優しい言葉をかけている場合でもないし、そもそもクルトは誰に対しても優しくないのでいつも通りの対応と言える。
攻撃の手を緩めた瞬間を
最後まで抵抗をしていた
レノックスの声は途絶え、左手が力なく垂れさがる。
クルトは壁を蹴って回避する。
いましがた踏んでいた床が破裂したように弾けた。叩きつけられた
憤怒か焦燥か。
――ギチ、ギチッギチッギチッギチッ、と顎がかみ合わされる異音が聞こえてくる。
操作卓がひしゃげて吹き飛んでいく。
液晶の破片が空を流れる。
床の強化プラスチックパネルが粉塵の如く舞い上がる。
クルトは
さて、どう攻めるか。
リーネの言う通り
攻撃に対する抗体、は魔物の特性として珍しいものではない。
先に例に挙げた
一撃で仕留めるセオリーとしては、頭を潰すか、心臓を破壊するか、このふたつに絞られる。
心臓を狙うには胴体が見えなければいけない。
この案は没だ。
簡単なのは頭だろう。何せ目の前に出ているし、管制室に挟まって身動きができない状態なので、狙いやすい。
方針は決まった、頭を潰す。
「おい! どこかに掴まってろ!」
リーネは小さく頷くと傍にあった操作卓の椅子にしがみつく。
クルトは魔法の詠唱をはじめた。
「狂気よ、我が恨みと憎しみを糧とせよ、我が悲しみと嘆きを粮とせよ。苦痛と怨嗟に満ち満ちた、地獄の刃と成れ。――
いつもの簡略ではなく完全文言詠唱による魔法は、クルトの魔力を大量に吸い上げて発動する。
やがて、刀身は一五メナル、剣刃から剣刃までの幅は一メナルはあろうかという漆黒の剣が顕現する。
「龍神ほど硬くないはずだからな……!」
クルトは
耳を塞ぎたくなるような絶叫が空気を震わせる。
床に隠れて見えないが
しかし、
回避された。
頭を完全に叩き潰すはずだったのに、
抗体をつける前にもう一撃を叩き込もうとさらに一歩踏み込む。だが、
「……ッ!
クルトは咄嗟に防護魔法を張る。
クルトは喉と肺を守るため鼻と口を抑える。
酸だ。
クルトの周りにあった物がグズグズに溶けて爛れていく。
その隙をついて
「逃げたか……、いや、……生き埋めにする気か」
クルトの全力の一撃に加えて
真上からブロック片が降り注ぐ。管制室の壁が剥がれ落ちて、部屋全体が滑り始める。
いまなら崩れた壁から脱出することができそうだ。
「急げ! こっちへ来い!」
「来いって言われてもー! ロープが邪魔で……」
「はやく切れ! 上の廊下が崩れたら一緒に引きずり落とされるぞ!」
リーネがわたわたと腰のジャックに取り付けられたセーフティロープを外し始める。
クルトは切れと言ったのだが、……外すのでは時間がかかる。
「――リーネ!」
とうとう管制室の入口が崩壊した。
通路の瓦礫と塵が一挙になだれ落ちる。クルトは
リーネはどうなったのか。
慌てて首を巡らせると、だらんと下がったセーフティロープの先に気絶したリーネがぶら下がっているのが見えた。
そして、壊れた金属の手摺が視界の端を流れていく。手摺にはセーフティロープの末端がしっかりと固定されている。
手摺といっしょにリーネの体が落ちていく。
管制室の底は見えない。どこまでも暗い闇が広がっている。
落ちれば死ぬだろう、間違いなく、確実に。
暗黒魔法は他人にかけることはできない。
誰も守れない、誰も助けられない魔法だ。
クルトは己に言い聞かせるように、落ちていくリーネを見つめながら呟く。
「オレは神を殺さなければいけない……」
――だから、死ぬわけにはいかない。
「オレは、過去に戻らなければいけない……」
――だから、死ぬわけにはいかない。
――死ぬわけにはいかない。
胸元がズキリと痛んだ。
胸を見ると血が滲んでいる。首から下げていたひび割れた女神の証が胸板に擦り傷をつけていた。
誰かの言葉が記憶の片隅から蘇る。
――心の導きのままに。それがいちばん、■■■ですわ。
「オレは……ッ」
クルトは走り出していた。
手摺を蹴って、管制室の底へと飛び込んでいた。
……死ぬわけにはいかない、はずなのに。
何故、こんな真似をしているのか。
「……闇よ。我が魂を不死へ誘いたまえ。貪欲な闘志を与えたまえ。……死を越えよ。
思考と行動が解離したまま、セーフティロープを捕まえる。
リーネを手繰り寄せた。
クルトは大剣を背負う。
せめてもの防御だ。途中で何かに引っかかれば落下が止まるかもしれない。背中を強打しても背骨がへし折れないかもしれない。……生き残れる確率は無いに等しいが。
クルトはリーネをしっかりと胸元に抱えると、ぐんぐんと加速しながら底の見えない闇の彼方へと落ちていった。
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