魔法杖作者

鳥ヰヤキ

短編:魔法杖作者

 街を遠く離れ、郊外の不便な道筋も抜けて、宿屋暮らしすら贅沢になって……連立する山峰を上がったり、降りたり。もう何日が過ぎただろうか。

 冬から春へと移り変わる季節は、空気が甘い。融け始めた氷粒から弾ける、忘れ去られた遠い土地の大気の香りと、春を待ちわびながら眠り続けてきた草木や地衣類の、今か、今かと萌動の時を呼ぶ声と。

 ざわざわ――ざわざわ――。

 実際、山の中は騒がしい。早起きの虫や動物達の気配や、小鳥たちの鳴き声、そしてどこからか湧き出したせせらぎが、大地を泥へと変えようとしていく音とが音楽のように折り重なっている。そして、視線だ。ここでは下手したら街中以上に、何者かの視線に晒されている。……ような、気がする。

 高い木々の上から。岩の先から。はたまた、立ち枯れた巨木の暗い洞(うろ)から。

 何か複数の視線が、私達を射貫いている。そんな気がして、ならなかった。

「……!」

 ハッとして、立ち止まる。師匠が、私を押し止めていた。

 彼女は、私の心の内などお見通しででもあるように、軽く首を振った。……意識を道先に集中させず、不安で視界を狭めていた私の愚考を叱られたようで、眉が下がる。

「“いる”……ね。ここはいい場所だ。幼く、小さな者達が見えるかい? 生まれたての魔力の灯火、小さな小さな光。あちこちで煌めいている……気持ちの良い場所だね」

 私は、黙って頷く。――実際は、ちんぷんかんぷんだったが。だって私が見ている世界にあるのは、相変わらず木漏れ日の下の初春の景色だけで、ちらつくのはただ、胞子や木の葉がそれらの光を反射させているだけに過ぎなかったから。

 師匠の声は歌うように頭蓋に響く。全身に薬草の香油を塗り、歯や舌さえ独特の色に染めた彼女は、その頭の中すら薬の霧に満たされているみたいに、発音も内容も、不可思議で取り留めがない。そうして紙風船のように彷徨う彼女に、いつも不安を深めさせられるけれど。

 しかし私のように“その力”が弱い者は、この人をただ盲目的に信じるしかないのだ。

 信じられない……と思えば、終わってしまうのは私の方なのだ。……きっと。

「…………」

 師匠が、私に合図を送る。慌てて、背負っていた籠を降ろし、中から数個の箱を取りだした。――籠の中は箱だらけだ。まるでロッソの入子人形のように。師匠はそれらを吟味し、暫しの後、針金細工で囲われた小さな銀鼠の小箱を持ち出した。

「おいで――おいで、かわいい自然の子供たち。森の家もいいだろう。同じ岩肌に抱かれて生まれ、抱かれて死ぬのもいいだろう。けれど、もし、気まぐれを起こしたならば……私の処へおいで。君たちが触れることのない世界、聞いたことのない音、交わすことがなかった言の葉を、届けてあげる。おいで――おいで――」

 師匠の脚はコンパスのようにくるくる回る。オルゴールのように抑揚なく歌う。私は待っている。師匠が残した外套の上。彼女が描いた魔方陣の内側で、小さく脚を抱えながら。

 おいで――おいで――。

 甘い甘い歌声。眠気を誘う、糖衣を纏ったとろけるような声は。……遠い昔に忘れてきた母の声のようで……瞼を閉じればそのまま沈み込んでしまう……。

 耳の奥で、水と風の音が、サラサラと鳴っている……。


「…………リ…ューコ…………起きて……起きて」

 揺り動かされて、気づいた。ガバッと起き上がると、もう陽は橙色に傾いていたし、師匠はとうにこちらに戻ってきていた。背後には、もう既に満杯になったらしい銀鼠の籠がある。軽く布で覆われたそれは、ただの空籠にしか見えなかったが、目を凝らせば闇の奥で何かが蠢いているようにも思えて、慌てて目を逸らした。

「し、師匠、あの」

 言い訳を考えていた脳みそが一瞬でフッ飛んだ。何をされたのかよく分からず、そのまま首を横にして呆然としていた。数秒の後、やっと、頬を叩かれたのだということが分かった。じんじんと頬が痛んで、熱くなっている。

 師匠はもう、立ち上がって籠を片付けたりと、帰りの支度をしている。見ればほかの籠にも、新芽やキノコや苔、小さな花や、木の実、樹の枝などが種類別にまとめられていた。

 精霊収集はともかく、それらの採取作業は、私も手伝わなければならなかった領域だ。それを私は、寝過ごして……。

「あ、あ、あ、あの」

 怒られた。失望された。自分の仕事をこなせなかった。挽回しなきゃ。言い訳しなきゃ。湧いてくる言葉も意思も感情も全部、バラバラだ。

 立ち上がって、拳を固めてズボンを握りしめて、しかし、頭が沸騰したようにうまく働かない。だから出てくる言葉も支離滅裂だ。

「あの、師匠、歌が、その……すごく、その、お母さんみたいで、優しくて……それで、その……あの……ごめんなさい」

 ……何を言っているんだろう、私は。叩かれた時以上に頬が熱く、赤くなる。師匠は手を止めている。呆れ果てているのかもしれない。……あ、ほら、溜息ついてるよ。つらい。もう、死んでしまいたい。

「……リューコ」

「は、はひ……」

 師匠は私の前に立っている。彼女はなんとも言えない表情を浮かべている。

 厚ぼったい唇を結んで。胸の前で腕を組んで。垂れがちな瞼の向こうから確かな、しかし感情の読めない菫色の眼差しを浴びせて。

 ……優しい人みたいな立ち姿で。

「帰りますよ……」

「はっ……はいっ……」

 泣きたい気持ちで頷いた。この人は不思議な人で、私には彼女の気持ちも考えも、ひとかけらだって分からなくて……それはきっと私が、あまりにも子供なのだという証明なのだろうな……。

(きっと、駄目な弟子だって、思われているな……)

 そう思うと、急に悲しくなった。師匠の支度を手伝いながら、スンと鼻を啜った。

 


 ◆



 夜。下山した先の小さな小屋。魔術師や狩人達、入山を許された極一部の人間達が、代わる代わる利用する、テント代わりの掘っ立て小屋。私は素材のチェックをしている。街に降りれば加工が始まる。杖へ。魔道具へ。あるいはそのまま粉末にして、薬剤へ。一つ一つ、吟味する。既に萎みつつあるものは、火の中に投げ入れる。

 揺らぐ炎の縁から滓が出て、その臭いが鼻を突く。リューコにも届いたのだろうか。彼女は、私の後ろで毛布にくるまりながら、軽く呻っている。

 ……ああ、そうだ。昼間、彼女を叩いてしまった。

 悪いことをしたな……と、私は一瞬だって思っただろうか。きっと思ってなかった。手が勝手に動いていた。

 ……悪いことをした。今更だけど、そう思う。

 山の夜は煮詰めた蜜のようにねっとりと、濃い。春の夜は特別。生気が、魔力が、溢れている。地の底、川の底、雪の底から、漏れ出してくる。

 霊脈を擁する山。更に奥まった場所には、天使もいるらしい。もちろんそこまでは行けない。行かない。天使を見た人間は壊れてしまう。天使は魔力の純粋な塊、信仰心の亡霊。それに天使がいない領域だって十分危険。妖精や精霊たちの巣窟だから。

 リューコ。リューコは。そんな場所で眠ってしまった。

 私の声が眠かったんだって。反省しないと。だって、眠ると危ない。すごく、危ない。

 寝返りでも打って、魔方陣から出てしまえば? ――神隠しに遭う。私の“勧誘”に乗らず、気を悪くした“仔”達が、あの子に悪さをしてしまう。危険。

 眠ったまま、夢魔に遭えば? ――危険。魂を囚われる。目覚めのない夢。悪夢の世界に、墜ちる。危険。

 でも一番危険なのは、きっと、私……。

 精霊に呼びかけている間、トランス状態だった。あの子のことを置いてけぼりにしてしまった。気づいたら夕方だった。反省。深く、反省。

 ……叩いて、悪かったな。そうだ、自分のことも、ちゃんと叩いておこう。師匠として。

 ……えいっ!


「……えっ、師匠!? どうしたんですか、師匠!?」


 音が大きかったかな? リューコが起きちゃった。ごめんね。寝てていいのよ。

「平気よ。平気。……頬に、虫が、止まったから」

「こんなに強く!? 腫れてるじゃないですか……ダメですよ師匠、抜けてるんだから、慣れないことしちゃ……」

 リューコは、私の為に水筒から水を出して、濡れタオルを作ってくれた。優しい弟子。笑うと、彼女は不思議そうな顔をした。怪訝そう、とも言うのかな?

 私、君が弟子で、良かったと思うよ。……駄目な師でごめんね。

「……? 師匠、なにか……?」

 なんでもないわ。私は小さく首を振る。

 さあ、帰ったらこの素材達を、ちゃんと生かしてあげないとね。仕事は春から。……ひとまず今夜は、一緒に寝ましょうか。


(終)

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