ラノベ坂
第一回ラノベ坂レースの号砲が小樽の街に鳴り響いたのは、とある秋晴れの日であった。
小樽は坂の街である。山を切り崩して開けた土地には今でも多くの坂が残っている。船見坂、観音坂、地獄坂……とにかく名前を挙げていけば枚挙に暇がない。観光客はもちろん地元の住人さえそのすべてを把握しきれないほどだ。小樽にはそうした知る人ぞ知る坂が少なからず存在する。
そのひとつが、裸野辺坂――最近ではラノベ坂と表記されることが多くなったのだが――である。「ざか」と濁るのではなく「さか」と発音する。その由来は不明である。このラノベ坂は市の南部に位置する急勾配の坂で、上った先に何があるというわけでもなく、そこに住む人々以外はめったに利用することがない。
数年前までは知る人ぞ知る坂だったのだが、小樽在住のライトノベル作家が投稿時代に願掛けでこの坂を毎日上り下りしていたという逸話が知れ渡ると、ネットを通じてたちまち小説家志望の若者たちの間で話題となった。地元の和菓子屋はこれを機に一儲けしようと「ワナビ」に引っ掛けたわらび餅をさも昔からの名産であるかのように装って商いはじめ、またこの坂を駆け上がるタイムを競う大会まで催された。それが第一回ラノベ坂レースである。
「絶対、トップを取ってやる」
スタート地点についたとある大学生がつぶやいた。彼は参加者のご多分に漏れず、一番に坂を駆け抜けた者は作家デビューできるという無根拠な思い込みを持っていた。
「では位置についてよーいドン」
スタートの瞬間、その大学生は派手に転倒した。彼がとあるライトノベル新人賞に投じた作品が、ガイノイドが主人公の百合ロボットハードSFであったことはたぶん関係ない。
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