柏木さん

 高校生になった柏木さんを一度だけ見たことがある。


 レンタルビデオ店の帰りだった。身分証の不備で会員カードを作り損ねた僕はちっぽけな失望を抱えながら来たばかりの道を引き返すところだった。


 私鉄のトンネルをくぐると商店街がある通りへと出る。シャッターが目立ちはじめた店舗。拡張工事中の道路。このあたりの光景も、僕が子供の頃とはずいぶん変わってしまった。トレーディングカードを買いに走ったおもちゃ屋や、漫画の発売予定表がどこよりも早く更新されていた書店が店じまいされて久しく、そこかしこに点在していた空き地は徐々に姿を消し、無慈悲なコンクリートに覆われていった。かつては気楽に行き来ができた通りにも、道路の拡張に伴い車の通りが多くなり、見覚えのない信号が次々と増設されていた。


 新設された信号にぎりぎりのところで気づいて足を止める。信号はなかなか切り替わらなかった。押しボタン式の信号だと気づいたのは、後ろから来た女子高生がボタンを押したときのことだった。


 それが小学校で一緒だった柏木さんと気づくには時間がかかった。


 柏木さんは小学生のときよりも小さくなったように見えた。ふくよかだった頬はしゅっとしまり、ゴムやシュシュでまとめられていることが多かった髪はショートボブに切りそろえられ、大人びた印象の制服を身に着けてはいるが、それらの変化から感じ取れるのは、成長というよりは老衰だった。ちょうど向かいで信号待ちしている老人たちのように、戦いを終えた戦士が武器や防具を徐々に外し、人間本来のサイズに戻っていくような、そんな印象を受けた。


 そこにかつてクラスを牛耳っていた彼女の面影はない。賢しく、狡猾で、同級生だけでなく大人たちをも見下し、ちょっとした間違いや失敗でも見逃さずノートの片隅に書き留め、休み時間になると笑いを堪えながら僕に報告してきたような柏木さんはもうそこにはいない。


 大人をコケにするアイディアを思いつくや否やぱあっと顔を輝かせて身振り手振りを交えて僕に語って聞かせた彼女、ジャージのポケットにいつもこっそり飴を忍ばせ、先生や同級生の目が行き届かないところで(あるいは大胆にも授業中に)それを口の中に含んで転がしていた彼女は、もうどこにもいないのだろう。僕が知っている柏木さんは、きっと削げ落ちた頬の肉や切り落とされた髪、小学生の頃に着ていたジャージや飴玉とともに失われてしまったのだ。


 信号が変わると、僕らはそれぞれの歩幅で横断歩道を渡りはじめた。信号を待っている間、僕らは一言も交わさなかった。柏木さんよりもずいぶん早く向かいの歩道にたどり着いた僕はそのまま彼女と言葉を交わすことなく家路についた。

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