名探偵の弟

1


「今日は来てくれてありがとう」


 赤木が笑うと磨きたての便器みたいに真っ白な歯が覗いた。こんな悪意的な比喩を使いたくなるのは、こいつが忌々しいほどの美男子だからだ。その証拠にほら見ろ、ミステリ研究会の見学に来た女子二人もうっとりしたように赤木の顔を眺めているし、僕の隣に座っている似亜にあは露骨に不機嫌そうな顔をしている。


 赤木、似亜、僕。男三人しかいないミス研の中でも、赤木は一番のモテがしら(そんな言葉があるのかは知らないけど)だ。一方の僕と似亜はというと、女子たちには赤木の友達AとBという認識くらいしかされてない。せめて文章の上だけでもこうしてくささないとやってられないのだ。


「さて、唐突だけど、君たちはわが町が生んだ名探偵、漆間うるしま上穂うえほをご存知だろうか」


 赤木が芝居がかった口調で言う。僕ら五人は放課後の図書室に集まっていた。部員不足で同好会に格下げされ部室を追い出されたミス研の活動拠点だ。部の承認に必要な人数は五人。見学に来た女子二人が入ればちょうど手が届く。女子が入れば華やかになるだろうし、逃がすわけにはいかない。赤木にしゃべらせることにしたのもそのためだ。悔しいけど、今回ばかりはやつの顔の恩恵にあずかるしかない。


「いや、こんなのはただのレトリックだ。まさか、今日の日本に漆間上穂を知らない人間なんているわけがない。そんな人がいるとしたら山にこもってる修行僧か、まだおしめの取れない赤ちゃんくらいのものだろう」


 それにしても赤木のやつは楽しそうにしゃべるものだ。こいつが演劇部の勧誘を何度も断っている理由がわからない。図書室でミステリを読んでるよりも、舞台で名探偵の役でも演じたほうがよっぽど似合っていると思うのだが。まあ、こいつがそんな目立つ部活に入った日にはいよいよ全校の女子がこいつに掻っ攫われてしまいかねないのでいいのだけれど。


「漆間上穂。年齢は二七歳。身長は一七八センチ。体重はヒミツ。血液型はA型。誕生日は――」赤木がカンペも見ずにすらすらと言う。さすが漆間上穂マニアを自認するだけのことはある。だが、女子二人が引きはじめてるからそろそろ切り上げた方がいいぞ。


 僕の心の声を察したのか、赤木はこう続けた。


「いや、やめにしよう。こんなパーソナルデータを並べ立てたところで彼のすごさが伝わるわけでもないのだから」


 芝居がかった動作で頭を左右に振る赤木。


「けれど、ほかに何を語ることがあるだろう。探偵として彼の活躍なんていまさら語るまでもないだろう。国民なら誰もが知ってるような難事件を解決してきた。たとえば――」


 赤木は漆間上穂が解決した事件の中でも特に有名なものを二、三紹介した。なんだかんだで語ってんじゃねえかというツッコミはさておき、万が一、万が一だけど漆間上穂を知らないって人がいた場合のために話を要約すればこういうことだ。


 漆間上穂は名探偵の中の名探偵である。


 以上。


「あの、赤木君」見学に来た佐藤さんが言った。「漆間さんがすごいのはわたしたちも知ってるけど、それがミス研と何の関係があるの?」


 おおっと、もっともな疑問だ。


「ふふ、そう焦らないで。僕は何も憧れの名探偵について滔々と語るために君たちを呼んだのではないのだから」


 え、違ったの? こいつのことだからミス研の紹介を私的に利用するくらいのことはやりかねないと思っていたのだが。


「じゃあ、なんで?」


「それはね、つまりこういうことなんだよ」


 赤木がさっと、右手を似亜の方向に向けた。


「何を隠そう、ここにいる漆間似亜はその漆間上穂の弟なんだ」


「ええーっ」と驚愕の悲鳴を上げる女子たち。当の似亜はというと、口を開けてぽかんとしている。


 はい、出ました。知ってた。知ってたよ。最後はこういうオチに持っていくんだって。


「赤木、お前――」


 赤木を問い詰めようとする似亜だが、赤木のウィンクによって沈黙させられてしまった。何も、似亜までもが赤木の魅力にあてられてしまったわけじゃない。自分の言うことに調子を合わせてほしい――あらかじめ赤木にそう言い含められていたのを思い出したのだろう。


「漆間君って苗字、漆間だったんだ……」佐藤さんのつぶやきに「俺ってそんなに影薄かったのか……」とショックを受ける似亜。元気を出せ、似亜。名前を知ってもらえただけいいじゃないか。たぶん、僕なんてまだ彼女らの中では赤木の友人Bのままだぞ。くそ、なんだか急に帰りたくなってきた。


 とまれ、赤木もまたでかい花火を打ち上げたものだ。


 似亜の苗字は確かに漆間だ。そうそうある苗字じゃない。漆間上穂がこの町の出身であることは有名だし、似亜も苗字を名乗ると必ず漆間上穂との関係を尋ねられる。しかし、珍名といったって一世帯しか残っていないわけじゃない。いつぞやの警察庁長官にも漆間性の人がいたけど、似亜や上穂とは何の血縁関係もないはずだ。つまり――


 僕は赤木の表情をちらと伺った。相変わらず磨き上げられた便器のような歯を見せて笑っている。ああ、こいつ、心の底から楽しんでるな。一方の似亜はと言うと、心ここにあらずといった様子で目を泳がせている。何もスカイフィッシュの数を数えているわけじゃない。自分が漆間上穂の弟だなんて大嘘にどう調子を合わせていいものか必死で思案しているのだ。


2


 県立鞍馬貞高校で、ミス研三羽烏と言ったら、それは僕と赤木、そして似亜の三人を意味している。三羽烏と言うとなんだかかっこいいけど、要は部員がそれだけしかいないってことだ。


 一時は隆盛を誇ったらしいミス研もいまではすっかり落ちぶれてしまった。もちろん、部室の割り当てなどないし、非公式の活動拠点である図書室では、隣で文芸部が活動してる。当然ながら部活としての規模は向こうの方が大きく、僕らは肩身の狭い思いをしている。


 悪いことは重なるもので、ちょっと前まで在籍していた四人目の会員も、深海魚研究会に入りたいと言うので退部してしまった。なんでも彼もいまではメガマウスという深海生物の虜になってしまったらしい。サメの仲間だというそいつは、検索してみたらなるほどたしかにかわいかった。危うく僕までもが深海魚研に引っ張り込まれるところだった(にしたってキーホルダーを自作してしまう彼はやっぱりちょっといきすぎだと思う)。


 図書室を一応の拠点にしてはいるものの、肩身の狭さから、最近は集まる機会もまちまちになっていた。それがその日の昼休み、赤木がどうしても集まって話したいことがあるという。そんなのは教室ででもすればいいのに、と不精な僕は思う。赤城というやつはどうして芝居がかったことが好きだった。


「これより県立鞍馬貞高校ミステリ研究会作戦会議をはじめる」


 赤木が重々しく言う。図書室の長机に肘をつき、顔のすぐ前で手を組みながら。


「早くすませろよ、赤木。俺たちまだ飯食ってないんだから」


「ふふ、僕の話を聞けばすぐに昼食なんてどうでもよくなるはずさ」


「んなわけあるか。今日が新作のコンビニパンが出る曜日だってことくらいは知ってるだろ。俺が昼食の時間をどれだけ楽しみにしてたかわかってもよさそうなもんだがな」


 似亜はコンビニパンマニアだった。


「なるほどね。君は佐藤さんよりもコンビニパンの方が大事なわけだ」

「あ? なんで佐藤さんの名前が出て来るんだよ」


 似亜にコンビニパンよりも好きなものがあるとしたらそれはミステリと佐藤さんくらいのものだ。


「ああ、彼女ね。ミス研の見学に誘ったんだ。二つ返事でうんって言ってくれたよ」


 はい、ここで磨き上げられた便器みたいな以下略。


「マジ?」


「大マジさ。喜べ、似亜。今日の放課後、佐藤さんが見学に来てくれるぞ」


「べ、別に。何で俺がそんなに喜ばないといけないんだよ」


 言いながらも、喜色が隠せない似亜。


「しかしね、似亜。何も僕らは合コンをするわけじゃないんだ。見学に来てもらう以上は何としても引っ張り込まないといけない。わかるだろ?」


「あ、ああ。わかってる。わかってる」


 ああ、これはわかってないときの顔だ。


「佐藤さんはミステリを読んだことがないらしい。そんな彼女にどうすればミステリに興味を持ってもらえるか考えなければならない」


「どうするんだよ」


「僕に考えがある」


「考え?」


「そうだ。見学に来たら、僕の言うことを否定せず調子を合わせてほしい」


「また何かたくらんでるんだろ。俺はいやだからな」


「そっか。じゃあしょうがないな。佐藤さんはつまらないミス研の紹介を聞くだけ聞いてそれっきりだろうさ。あーあ、せっかく部員を獲得するいいアイディアだったのに。残念だ」


 似亜がどう答えたかは言うまでもないだろう。


 放課後、予定通り佐藤さんが図書室を訪れた。予定通りでなかったのは、佐藤さんに付き添いの女の子がいたことだ。なんでも、ミス研に興味があるらしい。だったらもっと早く見学に来てほしいものだけど、やはり男しかいない部活のドアを叩くのは勇気がいるのだろう。


 きっと、彼女が入部するか否かは佐藤さんの選択にかかっているはずだ。その意味でもなんとしても佐藤さんを引き入れないといけない。


「今日は来てくれてありがとう」

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