我らパープー仲間
慈姑の予感は、現実となった。
翌日から、警視庁を始め、全ての都道府県警が大わらわとなった。
日本全国から、妖怪に襲われたという通報が殺到したのだ。
数日前からその兆候はあった。妖怪に襲われたという通報は、その時点で数件あった。だがそのどれもが悪戯だろうと重要視されなかった。
ところがその日を境に、日本中が妖怪で大騒ぎになっていた。
しかも、とても笑いごとではすまされない、深刻な被害が出ている。
礼子が遭遇したというかぶきり小僧は、各地に出没した。実際に対面してその名に思い至った者は少なかったが、通報された情報を統合すると同じ存在であるとわかった。
本来ならば持つはずのない斧で人間に襲いかかったかぶきり小僧によって、怪我人が数えきれないほど出ただけではなく、頭を斧でかち割られ、死亡した事件まで少なくない数報告されていた。
一反木綿に首を絞められて殺された――おとろしに圧し潰されて殺された――鎌鼬に首を切られて殺された――そんな通報が次々と入り、各地の警察署は未曾有の混乱に陥った。
そして何より、警察としても捜査への当たりようがなかったのである。
相手は人間でも動物でもない。妖怪である。人間による殺害ならば刑事部、動物による獣害ならば警備部が出ることになる。ところが、妖怪が相手ではどうにも手の出しようがない。
まず、確かな目撃者がいない。妖怪に襲われたと通報した当事者の証言と、事件現場の第三者による証言は食い違うことばかりだった。確かなのは「妖怪に襲われた」という部分だけで、細部は全く違う様相を呈し、とても信頼に足る証言とは思えない。
そして、妖怪はどこに出るのかわからない。本当に、どんなところにでもぱっと現れる。それはすなわち、逃走も自由自在ということにほかならない。被害者を襲撃した妖怪の足取りを追うことは、どう考えても不可能だった。
警察による捜査の、手出しができなくなるところを突いたような犯行。手出しができないということは本来まず不可能であって、相手は妖怪ということを利用し、この不可能犯罪を堂々と行っている。
警察がこの騒動に対して出した声明はこうだ。
――妖怪は存在しないと考えている。
妖怪事件というものは発生しておらず、全てなんらかのほかの要因によるものである――真っ当な判断ではあるが、説得力は皆無だった。すでに国中に、妖怪への恐怖は広まっている。
「皆さん、お集りいただき感謝します。私は宮内庁陰陽寮の陰陽博士、十塚紅葉です。集まっていただいたのは警察、官僚、大学教授、博物館学芸員、在野の有志まで様々ですが、私たちの目的は一つです。この馬鹿げた騒ぎを一刻も早く収束させ、妖怪をあるべき姿へと戻すこと――そのために、まず私から陰陽寮の見解をお話しさせていただきます」
宮内庁庁舎の中の巨大な会議室。机や椅子は会議のためではなく、作業をするために整然と並べられている。様々な資料がすでに運び込まれており、古い文献から、発端となったコンビニ本まで――それに加えて国中のデジタル化された資料に自由にアクセスできる権限を得たパソコンが人数分。
その中に集められた者たちが、机のないスペースである者は立ったまま、ある者は作業スペースから移動させた椅子に腰かけ、真剣な面持ちで十塚の話を聞いていた。
もう、警察どころの騒ぎではないのだな――三月は十塚の話す、自分にとっては二度目となる説明を聞きながら、遠いところにきたような妙な感慨を覚えていた。
実際は、警察にも陰陽寮が全国からかき集めた優秀な刑事部、公安部の捜査員が揃えられた特別合同捜査本部が、非公式に設立されている。三月と隣に座る大嶽は、その特捜とこの集団のパイプ役を担っている。
日本妖怪愛護協会――そう名付けられたこの集団は、無論陰陽寮と同じく公けにはされず、極秘に陰陽寮がメンバーを選定、招聘した。実際は声をかけたほとんどの相手に断られたらしいが、その中で集まったこのメンバー――絶対にろくでもない連中だという確信が三月にはあった。
十塚が話し終えると、一人の壮年の男性がすっと手を挙げた。十塚が発言を認める。男性はその場でずっと彫刻のように立っており、機械のように一礼してから話し始めた。
「筑波大学准教授の
それはまあそうだろうなと三月は金沢の背骨に鉄の棒が入ったような完璧な姿勢を眺めながら思う。研究者が妖怪を信じていては、研究は全く立ち行かなくなってしまう――慈姑の話に至極納得したものだ。
金沢はそこで一つ咳払いをする。
「ですが、私は違います。私は信じている。妖怪の存在を、一片の疑いもなく」
ほうらやっぱりろくでもない――三月は穏やかな笑みを浮かべる十塚に不審の目を向ける。
「私も公私は分別しています。学術上は、他の研究者と同じ立場を取ってきました。ですが、常々思ってきたのです。妖怪を扱う者が、妖怪を信じていない。こんな不健全な場があってたまるものかと。私は幾度となく妖怪の存在を認めるように他の研究者に忠言してきました。だが、連中は私を一笑に付し、挙句学会の鼻つまみ者として扱ってきた」
金沢の言葉にあからさまな激情はない。極めて事務的に、淡々と事実だけを抑揚なく話し続けている。だがその一見無感情に見える口調の中にほんのわずかに垣間見える昂ぶりが、闇の中にくすぶる燠火のようにはっきりと伝わってくる。
「ですが、今まさに、私が正しいということが証明されています。妖怪は存在する――そう国が認めているということですよね」
十塚は金沢よりもはるかに事務的に、その質問に答える。
「我々はあくまで非公式な集団です。内閣府宮内庁の中にありながら、国はこの存在を認めません。ですが、我々が動くのは至って正当な理由によってのみです」
金沢は暫し固まったあと、無言で頷いた。正当な理由――それはすなわち、大きな意思の下ということ。金沢が納得するには充分すぎる言葉だった。
「あの……聞いてた話と違うんですけど……」
困ったような――ではなく明らかに困惑した笑みを浮かべる、オフィスチェアの背もたれのほうに身体の正面を向けた女性がおずおずと口を開いた。
「斎宮歴史博物館の
三月と違い念入りにメイクをした咲はしかし、言葉とは裏腹に全く緊張感がない。その笑顔は確かに困惑の色を漂わせてはいるのだが、それ以前に完全に弛緩し切っており、見る者をどうしようもなく脱力させてしまう。
「優秀な人材を集めることが急務でしたので、子細はそちらの上層部にお伝えして、能力のある方を送っていただくようにお願いしました」
「館長ぉ……おのれぇ……」
がくりと頭を落とし、背もたれに額をぶつける。
「そりゃあ、私も妖怪好きですよ。でも今起きてる事態は現実感がないというか、警察発表のほうに納得するタイプですよ。陰陽寮が残ってたっていうのも、正直半信半疑ですし……」
「いや、でも十塚さんの話は信頼に足ると思います」
眼鏡をかけた背の低い小太りの男が、背もたれにもたれかかったまま口を開いた。
「ハンドルネーム――少佐です。妖怪関連のネット情報を収集するサイトを管理してます。俺も当然ビリーバーってわけじゃないですが、なんでもかんでも人間に解明できるとは思ってません。だって、そっちのほうが楽しい」
含み笑いをする少佐は人前で話すことに手慣れた様子で、それぞれの反応を楽しむように順々に視線を流す。
「十塚さんの話は、きちんと筋が通っている。俗に言う『霊感がある』人間というのは、俺は九分九厘気の迷いだとは思っていますが、これだけ常識として流布しているということは存在しないと一蹴するわけにもいかないでしょう。それはつまり、妖怪も同じです」
仕立てのよすぎる見る者を威圧するようなスーツを着て、そこだけ開いた胸元に悪趣味な金のネックレスを下げた男がこれ見よがしに溜め息を吐く。大嶽は面相が堅気には見えないが、この男は全体の雰囲気が堅気に見えない。つまりこちらのほうが深刻だ。
「十塚さん、こんな連中、本当に役に立つんですか? 本物は俺とあんただけじゃないですか」
十塚は立ったままの男を無理に制することも増長させることもなく、穏やかに微笑しながら冷静に口を開く。
「事態は見鬼だけで収まる状態ではありません。見鬼以外にも妖怪の被害が出ています」
「だからって、異端の学者に、上司にはめられた学芸員、インターネットのオタク、あとはお役人ときている。実際に妖怪と渡り合ったこともないような連中に、妖怪をどうにかさせようなんざ無理があると思いますがね」
「話を聞いていなかったのですか?」
金沢が、きょとんとした顔で訊ねる。
「妖怪を退治すればすむ――そんな状態ではないのは明らかです。我々の目的は新たに規定され続け暴走を始めた妖怪を無害な状態に還すことです」
全く相手を挑発する素振りはなく、事実だけを淡々と述べる金沢。男の話が全く違う方向を向いていたので善意で据え直したかのような純粋さだった。男もその口調のあまりの無垢さ加減に虚を突かれたように目を丸くしている。
ある意味、喧嘩を買いにいく手合いよりも厄介だ。金沢が異端視されていたのは絶対に自身の主張のせいだけではあるまい。
男は決まりが悪そうに手を挙げ、降参のジェスチャーをする。
「あー、悪かった。俺は
そこで十塚は三月と大嶽を見て、無言で発言を促す。
「警視庁刑事部捜査一課の大嶽准です」
「警視庁神田警察署刑事課の鬼島三月です」
「お二人はこの事態の発端となった『牛の首』事件の捜査をともにしました。優秀かつ、信頼の置ける方たちです」
よく言う――三月は閉口しかけるが、十塚が最後には三月にも陰陽寮の見解を話してくれたことを思い出し、皮肉ではなくお世辞だと受け取ることにした。
「では、我々の行動方針をお話しします。まず、全国の見鬼の把握、保護。これは警視庁内に設立された特別合同捜査本部が陰陽寮のデータベースをもとに進めています。見鬼に働きかけることは、いわば端末を調整することです。我々が行うのは、もっと根本的なこと――いわばOSの修正。この広まっている歪んだ妖怪像の発信源を叩き、拡散を停止、収束させることです」
「ネット検閲ですか? 言論統制もいいところだと思いますが」
少佐の言葉に、十塚は場合によってはやむを得ません――と答えた。
冗談半分で言ったつもりだったらしく、少佐は渋面を作って驚愕の呻き声を漏らす。
「まず第一に向かうべき相手は、この本の著者です」
十塚は三月の渡した『全部本物! 超解読! 日本の妖怪』を掲げた。
「黒沢正嗣――この人物は非常に危険です。知名度も高く、こうした形式の本を濫造している。本人に自覚があるかはともかく、不発弾が大量にばら撒かれているような状況を作っています。そして、今起きている事態を加速させている」
日本中が妖怪でパニックに陥ってから、黒沢をテレビで見ない日はなかった。ワイドショーなどに専門家として出演し、嘘か本当かわからないような妖怪対策の講釈を垂れ、場合によっては余計に不安を煽るような発言を繰り返した。
慈姑の言っていた、妖怪とテレビの最悪の相性――それを有効に扱う術を心得た人物が黒沢だった。とにかくテレビが言ってほしいと思っていることを嘘くさい知識を交えながら話す黒沢は、まさにテレビが求めていた人材だった。
対照的に、大学などに所属する研究者は騒動の最初の頃こそインタビューを受けたりしたものの、すぐに姿を消した。彼らは至って冷静に妖怪の非存在を説き、面白おかしく妖怪が存在する体で話を進めたいテレビと全く相容れなかった。
妖怪の存在を信じる金沢もその点は同じらしく、黒沢の名を聞いて若干眉を顰めている。
「危険と言っても、今さら発言を撤回させたり、書籍を回収したりじゃもうおっつかないんじゃないでしょうか。まさか、呪殺したりしない……ですよね?」
咲が恐る恐る十塚に目をやる。山住がくつくつと笑い、何かを取り出すようにスーツの内ポケットを探った。
「やれと言われりゃ、俺はいつでもやりますよ。呪殺は現行の法律では禁止されてないからなあ」
十塚が目で山住を諫める。鼻を鳴らし、何も持っていない手を出してひらひらと振る。
「黒沢氏の殺害は危険のほうが多いでしょう。死によって英雄視、神聖視される可能性が大いにあります。そうなると、ばら撒かれた不発弾が一斉に炸裂しかねない」
殺害を全く考慮しないのではなく、利害の大小で実行すべきか冷静に判断する――三月は十塚がこういう人物だとはわかっていたが、やはりうすら寒いものを覚えてしまう。
「我々にできることは、彼に自分がやっていることの危険性を認識してもらうことです」
「まさか、今話したことを伝える気ですか?」
少佐が慌てたように身を乗り出す。
「そっちのほうがよっぽど危険ですよ。あの山師にそんなこと教えたら、絶対に広めて金儲けにつかいます。この見識は世に広まってはならないものでしょう」
急に前のめりの早口になった少佐ははっとして、ゆっくり背もたれに身を預けて溜め息を吐いた。
「失敬。黒沢氏とは以前、ツイッターで俺が氏を批判した発言を晒し上げられて信者を突撃させられた間柄でして。危うくサイトを閉鎖に追い込まれるところでしたよ。FF外からエゴサしてまですることかね――」
なるほど、確かに小物だと三月は納得した。特に実績があるわけではない在野の存在の少佐には強く出ている。恐らくは大学の職にある金沢や、学芸員である咲とは論争すらできないのだろう。明らかに自分より大きい相手には関わらず、吹けば飛ばせるような相手は強硬に攻撃する。
「確かに、この見識はごく限られた者しか認識してはならない類いのものです。当然、黒沢氏に伝えるのは少佐さんの仰った通りリスクがありすぎます。そこで、正面から叩きます。氏の著書や発言の明確な間違いを徹底的に指摘し、説明を求める――できる限り大きな場で」
「完全論破、ですか」
咲が泣き笑いのような顔で呟く。
「アポイントメントを取ろうとしましたが、断られました。テレビ番組やネット配信での公開討論も考えましたが、テレビは立場的に氏が勝つようにしか構成しないと思われますし、ネット配信の場合、氏のこれまでの出演歴を鑑みるに出演を断るでしょう。そこで今日、氏が出演するイベントに襲撃をかけます」
そこで三月は思わずあっと声を上げた。礼子が慈姑に言っていた、黒沢が出演するイベントの日付が今日なのだ。
「いや、なんでもないです」
皆が三月が何か思いついたのかとばかりに視線を送っていたことに気づき、慌てて十塚に話を戻すように促す。
「襲撃と言っても、衆人の前で討論を求めるだけです。この中から直接氏と対峙できる方は――」
少佐がすっと手を挙げた。
「相手を知らずに批判はできませんから、あの山師の本はいくつか、断腸の思いで買って読んでいます。突っ込みどころはいくらでもあります。本当はあんな手合いとは二度と関わりたくもないんですが、今は私情を挟むべきではない――ですよね」
「その通りです。場合によっては氏の著作の瑕疵をリストアップする作業が必要でしたが、少佐さんがいてくれて助かりました。なにしろ今は時間がありません。ではイベントに向かうのは少佐さんと――」
「俺が行きましょう。イベントスタッフの警備を妨害することくらいはできますよ」
山住が不敵に笑う。必要なら呪殺してみせると言ってのけた男だ。呪術を扱えると思っていいだろう。味方であることがわかっていてもなお不気味ではあるが、十塚が声をかけたという実力の証左は心強い。
「ではお二人と、もう一人、報告書を作成してもらう方が」
三月と大嶽に目をやる十塚。確かにこの中でそうした作業に向いているのは警察官である自分たちだろう。
「じゃあ、私が行きます。報告書と始末書は任せてください」
三月は大嶽に先んじて手を挙げていた。妖怪騒ぎが始まってから顔を合わせていない慈姑のことが頭に浮かび、前に出られない慈姑の代わりに自分が黒沢を追い詰める一端を担いたいという気持ちが湧き上がっていた。
「私も鬼島さんが適任と思います。『牛の首』事件の時、この本を探し出した功績は非常に重要です」
それは全て慈姑の功績なのだが、ここは口を噤んでおく。
「イベントの開場は午後五時――あと六時間ほどです。それまでは――」
十塚と山住が大きく息を呑み、一瞬の硬直ののち、会議室のドアの方向を睨んで身構えた。
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