3-3-05
「それで、これからどうするんだ」
俺は壁時計を見上げた。針は夜の十一時を指している。
「反地平面に戻るのか」
「いヤ。もう反地平面には戻らなイ」
「どうして」
「向こうの世界とのリンクが弱まっていル。仮想空間を安定して維持することが難しイ。今、仮想空間にいるのはあまり得策ではなイ」
「そうか」待てよ。ということは――。「もしかして、リンクが切れてしまったら、お前は向こうの世界に戻れなくなるんじゃないのか」
「その通りダ」
カレヴァは平然としている。
「いや、ちょっと待て。向こうの世界に戻れないということは、こっちの世界と心中するってことじゃないのか」
「このままこの世界が滅んでしまったら、そういうことになル」
こいつは自分が何をいっているのかわかっているんだろうか。
「お前はそれでいいのか」
「ボクという生命の終焉を経験したいとは思っていル」カレヴァはじっと自分の手のひらを見つめた。「ボクたちは、命が終わる瞬間というものを滅多に見ることができないんダ。だから純粋に興味があル。それに、まだそうなると決まったわけではないんだろウ」
相変わらず無表情のまま俺を見返すカレヴァに、俺は肩をすくめるしかなかった。
結局その晩、カレヴァは俺の家に泊まった。リビングのソファでもいいか、と聞くと、問題なイ、というので、そこで寝てもらった。そもそも、カレヴァには睡眠が必要なのかどうかもわからなかったけど、どうやら普通に寝るみたいだ。夜中に一度トイレに行くついでにリビングを覗いてみたら、おとなしく寝ていた。
不思議な感じだ。
メサが来てから不思議なことのオンパレードだったから、何が起こっても、もうあまり驚かなくなっているけど。まさか、カレヴァとひとつ屋根の下で眠ることになろうとは。
翌朝七時頃に起き出した俺は、二人分の朝ごはんを作り、カレヴァと食べた。
カレヴァは余計なことはしゃべらず、おかげでこちらも気を遣う必要がなくて楽だったけど、逆にどう接していいかつかみかねた。
間が持たないので、俺はテレビをつけた。
テレビの中では、ニュースキャスターが淡々とニュースを伝えている。
当然のことだが、鐘のことや創造物が消滅したことについての言及はない。小説や絵画や映画が消滅したからといって、世の中が大混乱に陥るわけではなかった。ただ、テレビの画面は心なしかいつもより寂しい気がした。たぶん画面から絵画的なものやデザインされたものが消えているからだろう。
その後、ドラマの時間になってもドラマは始まらず、画面は外国の風景を映し続けていた。こういう映像につきものの音楽は当然流れない。
昼頃、ほたるたちがやってきた。
「どう? 少しは仲良くなれた?」
ヨシカさんがにこにこと俺に笑いかけた。
「まあ、おかげさまで少しは」
「ごめんなさい」アイノさんがぺこりと頭を下げた。
「いや、大丈夫です。大事なことも聞けましたし」
ほたるが居心地悪そうに、首を振った。
「私、よくわかんないんだけど。自分ではそんな特別な感じ、しないし」
「でも、カレヴァと渡り合ったんだろ」
「そうだけど……」
アイノさんがほたるの腕にそっと手を触れた。
「普通の人で、あそこまでカレヴァと対峙することはできないわ。そうでしょ、カレヴァ」
昨日からの定位置になっているテーブル席のカレヴァは、相変わらず無表情のまま「そうダ」といった。
「たぶん、これからのメサにはほたるちゃんの力が必要になってくると思うの。だから――」
無機質な音が鳴って、ヨシカさんがスマートフォンを耳に当てた。
「うん。ちょうどみんないるわ。――わかった。向かう」
通話を切ると、ヨシカさんがいった。
「リーリンが来てほしいって」
壁一面にずらりとモニターが並ぶ。
大学の教室くらいの広い部屋に並べられた机の上には、パソコンが置かれ、席の半分くらいにリーリンの配下のスタッフが座っている。女性と男性が半々くらい。
その部屋は、NASAの管制室のようだった。
あの洋館の地下にこんなものがあるなんて。
モニターには、とあるウェブサイトのトップページが表示されている。
小説投稿サイト『R⇔W』のインターナショナルバージョン。
でも、かつてあったイラストやデザインはなく、文字情報ばかりになっている。
「まだ完全じゃないけど」リーリンが席を勧め、俺たちは空いている席に座った。「サイトの運営は私たちがすべて引き継いだの。実際、もう誰も小説のことなんて覚えてないから、何の問題もないんだけどね」
リーリンはジャケットの胸ポケットから取り出した眼鏡をかけると、目の前の空間に指を走らせた。どうやら仮想のキーボードを操作しているらしい。
一番大きなスクリーンにタイのページが表示された。
そこには、新しい小説がアップされていた。作者はDAOとある。
さらにリーリンが仮想ボードを操作すると、俺たちが座っている長いテーブルに埋め込まれているスピーカーから英語の声が聞こえてきた。
「もしもし?」
「リーリンです。ダオ、小説をアップしてくれたんですね」
「ああ。でも、すぐに消滅してしまうんだ」
「今、ウキョウさんたちも来ています」
「ウキョウ? そうか。久しぶりだな。元気か?」
「元気だ、ダオ。お前はまだ小説のことを覚えているのか」
「覚えてる。フィフィやリエンもだ」
「どういうことだろう」
「恐らく、カレヴァと接触した人間には何らかの変化が起こっているようです」リーリンが少し離れた場所に座っているカレヴァの方を見た。カレヴァは相変わらず無表情だ。
「俺たちだけが覚えていても、形として残せないのなら意味がないぜ、リーリンさん」
「わかってるわ」
「一応、そっちの状況は聞いてる。ウキョウ、メサちゃんの様子はどうなんだ」
「ずっと書庫に閉じこもったままだ」
「そうか。彼女の読み込んだものが、世界に残っている最後の小説ということになるんだな」
「そうだ。メサの記憶が俺たちにとって最後の砦になる」
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